第14話 今度は、私が伝える番
「……朔也」
夕暮れの公園で、私は隣に座る朔也を見つめた。
さっき、有坂くんに告白されたことを話したばかりだ。朔也は怒っていないと言ってくれたし、私の気持ちも信じていると言ってくれた。それなのに、いつもより少しだけ口数が少ない。繋いだ手は温かいけれど、何かを考えているような横顔が気になった。
そして、最後にぽつりと呟いた言葉。
『……ちょっと、妬いてるだけ』
その言葉が、まだ胸の奥に残っていた。
「……朔也、こっち向いて?」
「ん?」
朔也が私のほうを向いた。
私は繋いでいた手をそっと離すと、思いきって彼の胸に飛び込んだ。
「……っ、莉子?」
突然抱きつかれた朔也が、驚いた声を上げる。私はそのまま彼の背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。身長差があるから、座っていても私の顔は自然と彼の胸元に収まる。
「私が好きなのは、朔也だよ」
「……莉子」
「有坂くんは優しいし、いい人だと思う。でも、私が恋人になりたいって思ったのは、朔也だけなの」
言葉にしてみると、不思議なくらいすんなり出てきた。
少し前の私だったら、恥ずかしくてこんなことは言えなかったと思う。朔也に好きだと言われるだけで、顔が真っ赤になって、どう返したらいいかわからなくなっていたから。
でも、今日は違う。
朔也に、安心してほしかった。
「……だからね、朔也には私の気持ちを、ちゃんと知っててほしいの」
私がそう言うと、朔也の腕がゆっくりと背中に回った。大きな手が私を包み込むように、優しく抱き返してくれる。
「……うん」
耳元で、低い声が聞こえた。
「わかってる」
「ほんと?」
「うん。莉子のこと、疑ったりしてないよ」
朔也は少しだけ腕に力を込めた。
「……もう少し、このまま」
「……うん」
私は彼の胸に頬を寄せた。
秋の夕方は、思っていたよりも肌寒い。けれど、朔也の腕の中は温かくて、まるでそこだけ違う季節みたいだった。少し離れたところからは子供たちの笑い声が聞こえ、公園の入り口では犬を連れた人がゆっくりと歩いている。そんな何でもない景色の中で、私たちはしばらく抱き合っていた。
◇
「……ねえ、朔也」
「ん?」
「朔也って、あんまり嫉妬しない人だと思ってた」
少し身体を離して尋ねると、朔也は意外そうに私を見た。
「なんで?」
「だって、いつも落ち着いてるし。私が誰と話してても、そんなに気にしてないみたいだったから」
「……そう見えてた?」
「うん」
朔也は一瞬黙ったあと、小さく笑った。
「……結構、気にしてるよ」
「えっ!?」
「莉子、自覚ないだろうけど」
「な、何の自覚?」
「人との距離、近いときあるから」
そう言われて、私は首を傾げた。
「そうかな?」
「うん。誰にでも普通に笑いかけるし、話しかけられたら嬉しそうに返事するだろ」
「だって、話しかけてもらえたら嬉しいもん」
「知ってる。そういうところも好きだよ」
さらりと言われて、今度は私が言葉に詰まってしまった。
「……もう、朔也ってば」
思わず頬を押さえると、朔也は少し楽しそうに笑った。
「だから、そこを変えてほしいわけじゃない」
「……うん」
「ただ、俺が勝手に妬いてるだけ」
朔也は私の手を取り、指先をそっと包み込んだ。
「有坂が莉子を好きになるのも、わからなくはないし」
「えっ?」
「一緒に課題やって、話してたら……そりゃ、好きになるやつもいるだろ」
「そ、そんなことないと思うけど……」
「あるよ」
即答だった。私は思わず目を丸くする。
「……だって、俺もそうだったから」
朔也が静かに続けた。
「中学の頃、莉子のこと好きだって気づいてから、今までどおりに話すだけでも結構大変だった」
「……えっ? そうなの?」
「うん。普通にしてるつもりだったけど、内心は全然」
その言葉に、私は思わず彼の顔を見つめた。
……全然、知らなかった。
中学生の頃の朔也は、今より少し無口で、いつも落ち着いていた。私がくだらない話をしても、呆れたように笑いながら聞いてくれたし、帰り道で偶然会えば、当たり前のように一緒に帰ってくれた。
私はずっと、それが幼馴染だからだと思っていた。
「……朔也、いつから私のこと好きだったの?」
「中学に入ってからかな。はっきり自覚したのは」
「そんなに前から……」
「うん」
朔也は少しだけ照れたように視線を逸らした。
「でも、当時は誰にも言えなかった」
「どうして?」
「恥ずかしかったし。莉子に知られて、今までみたいに話せなくなるのも嫌だったから」
私は思わず、繋いだ手に視線を落とした。
……そっか。
朔也は、幼馴染の関係が変わってしまうのが怖かったんだ。
「高校も別々になっただろ」
「……うん」
「あの頃は、結構焦ってた」
「えっ、朔也が?」
「毎日会えなくなったし、莉子に新しい友達も増えたから」
朔也は少しだけ苦笑した。
「そのうち、誰かに好きだって言われるんじゃないかって」
「……そんなこと考えてたの?」
「うん。でも、告白して振られたら、幼馴染にすら戻れないかもしれないだろ」
その言葉に、胸がきゅっとなった。
私にとって朔也は、いつでも会える大切な幼馴染だった。でも、朔也にとっては、ずっと片思いの相手でもあったんだ。
同じ時間を過ごしていても、見えていた景色は少し違っていたのかもしれない。
「……ねえ、朔也」
「ん?」
「中学生の頃、私がほかの男の子と話してたら、嫌だった?」
朔也は少し考えてから答えた。
「……嫌っていうか、羨ましかった」
「羨ましい?」
「俺は好きって言えないのに、何も気にせず莉子と話してるやつがいてさ」
「……うん」
「でも、莉子が楽しそうなら、それでいいとも思ってた」
私は思わず、朔也の手を両手で握った。
「……朔也」
「ん?」
「そんなに長い間、私のこと好きでいてくれたんだね」
「……まあね」
朔也が少し照れたように笑う。
「でも、今はちゃんと彼氏になれたから」
「……うん!」
「だから、昔よりずっと欲張りになったかも」
「えっ?」
「莉子に、もっと好きになってほしいって思う」
その言葉に、胸がどきんと鳴った。
……もう。
そんなこと言われたら、どうしたらいいの?
私は今だって、こんなに朔也のことが好きなのに。
◇
「……じゃあ、今度は私の話を聞いて?」
私はベンチに座り直すと、朔也の顔を覗き込んだ。
「うん」
「私ね、最初は朔也のこと、幼馴染としか思ってなかったの」
「……知ってる」
「えへへ。でも、いつからか、朔也がほかの女の子と話してると気になったり、二人で出かけるって聞くとすごく嬉しくなったりして……」
話しながら、あの頃の気持ちを思い出す。
水族館で告白された日。好きだと伝え返した日。初めて恋人として朔也の部屋に遊びに行った日。どの日も、今では大切な思い出だ。幼馴染だった頃には当たり前だった時間が、恋人になってから少しずつ違って見えるようになった。
「朔也が私を好きだって言ってくれたとき、すっごく嬉しかった」
「……うん」
「でもね、今はそれ以上に嬉しいことがあるの」
「何?」
私は彼の目をまっすぐ見つめた。
「私も、朔也を好きでいられること」
朔也が目を瞬かせた。
「……それ、どういう意味?」
「えっとね……」
うまく説明できるかな。
私は少し考えてから、言葉を選んだ。
「朔也に好きって言ってもらえるのは、もちろん嬉しいよ。でも、私も朔也に好きって言いたいし、朔也が喜ぶことをいっぱいしたいの」
「……莉子」
「だから、朔也が嫉妬してるなら、今度は私が安心させてあげたいなって思ったの」
言い終わる頃には、少しだけ恥ずかしくなっていた。
でも、後悔はしていない。これは全部、本当の気持ちだから。
朔也はしばらく黙って私を見つめていた。そして、ふっと視線を落とす。
「……参ったな」
「えっ?」
「今日の莉子、ずるい」
「ず、ずるい!?」
思わず声が裏返った。
「私、何か変なこと言った?」
「いや。嬉しいことばっかり言うから」
朔也はそう言って、片手で口元を隠した。
……あれ? もしかして。
「朔也、照れてる?」
「……少し」
「ええっ!」
あまりにも素直な返事に、私は思わず笑ってしまった。
「ふふっ! 珍しい!」
「そんなに笑う?」
「だって、いつも私ばっかり照れてるんだもん!」
私が笑いながら言うと、朔也は困ったように眉を下げた。
「……莉子には敵わないな」
その表情が、普段のクールな朔也とは少し違って見えた。
私はなんだか嬉しくなって、もう一度彼の手をぎゅっと握った。
「ねえ、朔也」
「ん?」
「私、これからもっと好きって言うね!」
「……え?」
「だって、言わないと伝わらないこともあるでしょ?」
朔也が驚いたように私を見る。
私はにっこり笑った。
「大好きだよ、朔也!」
「…………」
「……あれ?」
返事がない。
よく見ると、朔也は私から少しだけ顔を背けていた。
「朔也?」
「……ちょっと待って」
「どうしたの?」
「……今、顔見ないで」
「えっ、なんで?」
私は不思議に思って、そっと横から覗き込んだ。
すると。
「……あ!」
朔也の耳が、赤くなっていた。
「朔也! 耳、赤い!」
「……莉子」
「ふふっ、可愛い!」
「それは言わないで」
いつも私を照れさせる朔也が、こんなふうに余裕をなくしている。なんだか、とても新鮮だった。
私は笑いながら、彼の肩にこつんと頭を寄せた。
「……ねえ、朔也」
「……何?」
「私ばっかりドキドキしてると思ってたけど、違うんだね」
朔也は少し黙ってから、静かに答えた。
「……違うよ」
「ほんと?」
「うん。莉子に好きって言われたら、普通に嬉しいし」
「……うん」
「……結構、ドキドキしてる」
その言葉に、今度は私の頬が熱くなった。
なんだ。同じだったんだ。
朔也も私と同じように、嬉しくなったり、照れたり、ドキドキしたりするんだ。私の言葉がちゃんと彼に届いていることがわかって、胸の奥がくすぐったくなった。
◇
気がつけば、公園の街灯がすっかり明るくなっていた。
私たちはベンチから立ち上がり、駅へ向かって歩き始めた。さっきまで少しだけ冷たく感じていた風も、今は不思議と気にならない。朔也はいつものように私の手を握ってくれたけれど、今日は私もその手をしっかり握り返した。
「……ねえ、朔也」
「ん?」
「これからも、嫌なこととか、心配なことがあったら言ってね」
朔也が私を見た。
「私、朔也の気持ちもちゃんと知りたいから」
「……うん」
「嬉しいことも、困ったことも、半分こしよう?」
朔也は少しだけ目を細めた。
「……それ、いいね」
「でしょ?」
「じゃあ、俺もちゃんと言う」
「うん!」
私たちは顔を見合わせて笑った。
恋人になったからって、何でもわかるわけじゃない。幼馴染として長い時間を一緒に過ごしてきても、知らなかった気持ちはまだまだある。でも、だからこそ、これからが楽しみなのかもしれない。少しずつ、お互いのことをもっと知っていけるのだから。
駅が見えてきたところで、朔也がふいに足を止めた。
「……莉子」
「なぁに?」
「今日はありがとう」
「えっ?」
「ちゃんと話してくれて。……それから、安心させてくれて」
朔也が私を見つめた。
その表情は、もういつもの穏やかなものに戻っていた。
「俺、莉子と付き合えてよかった」
その言葉に、胸がじんわり温かくなる。
私は繋いだ手を少し持ち上げて、彼に笑いかけた。
「私も!」
そして、少しだけ背伸びをする。朔也の肩に手を添えて、耳元にそっと顔を近づけた。
「……世界で一番、大好きだよ」
「……っ」
囁いた瞬間、朔也の肩がぴくりと動いた。
私はすぐに離れて、にっこり笑う。
「えへへ。今度は私がドキドキさせちゃった!」
朔也はしばらく私を見つめていた。そして、困ったように笑う。
「……ほんと、敵わない」
そう言って、繋いだ手を優しく握り直した。
私はその手を握り返し、隣に並んで歩き出す。
いつもは朔也に甘やかされてばかりの私。でも、今日わかったことがある。私の言葉一つで、朔也もこんなに嬉しそうな顔をしてくれるんだ。それなら、これからはもっと伝えたい。
好きだよって。
大切だよって。
私にとって、朔也がどれだけ特別な人なのか。
だって、恋人って、きっとどちらか一人が愛されるだけじゃない。
二人で、お互いを幸せにしていくものなんだから。




