振動と悲鳴
「久瀬先輩」
「なに?」
奈律は久瀬の名前を呼んで、商店街の出口の手前で立ち止まった。奈律の方を振り返った久瀬がゆっくりと足を止めてポケットに手を突っ込んだ。
(あと、一時間)
久瀬の行動を阻害せず、彼の指示に従う。
契約内容は理解している。しているが、久瀬の説明不足は指摘するべきだろう。
これは必要事項の確認であり彼の行動の阻害には当たらないと、奈律はそう判断した。
「私に話してないことがありますよね」
「ない、と思うけど。どうして?」
相変わらず目の前にいる猫背の男は飄々としている。奈律が何を聞いても簡単にはぐらかされるような、そんな雰囲気があった。
「慣れています」
「慣れ?」
「はい。久瀬先輩の反応が慣れすぎている。まるで、過去にも同じような状況にあったかのように見えます」
久瀬は別にバディがいると言っていた。奈律の任務は今回限りだと。
いつまで経っても緊張感は感じられない久瀬から奈律が推測したのは——
過去に経験した故の余裕。
詳細は異なれど、久瀬は“自分が死ぬかもしれない未来”を前にも経験したことがある。
そんな可能性が奈律の中に浮かんだ。というか、ほぼ断定している。
「今回の状況とは、また違うんでしょうね。だから、私に伝える必要はないと判断しましたか?」
冷静さを失ってはいけない。
あくまで、情報の共有不足を指摘するだけに留めるべきだ。
憤りを隠すように久瀬から目を逸らす。
「……どうでもいい世間話を話す前に、私に話すことがあったはずです。共有を怠るのは……それはあまりにも、不誠実だ」
そこまで言い切って、奈律は久瀬を鋭く睨み付けた。
(——え?)
久瀬が困った顔をしている。
眉を下げて視線をさ迷わせている。
その落ち着きのない様子を見て、奈律は目を丸くした。
「あー……そっかぁ、不誠実に見える?」
戸惑う久瀬からの問いに無言で頷いた。
予想外の姿に少し動揺したが、奈律の意見は変わらない。
「それはごめんね。必要ないっていうか、行き当たりばったりが良かったんだ」
「何故ですか?」
「それは——」
久瀬の答えを聞く直前、妙な違和感が奈律の頭をよぎった。
足の裏が震えている。いや、地面が振動している。
「悲鳴だ。あっちから聞こえてきた」
危ないかもね、と冷静に言う久瀬の視線は、先程通った道に向いていた。
振動と悲鳴。
これが指すものは——。
「行こう」
「はい!」
久瀬の指示に奈律は即答する。
すぐさま警戒態勢を取った二人は、悲鳴の聞こえた方向へ同時に駆け出した。
***
突然現れた脅威に、疎らに逃げ惑う人々とは真逆の方向へ走っている男がいた。
短く切りそろえられた黒の混じった金髪。
研ぎ澄まされた青い眼光。
機動を重視した身軽な服装。
「こちら、深谷。現着しました」
耳元の通信機器に指を添え、現場への到着を報告する。
長剣を構えた深谷は不敵な笑みを浮かべて、眼前で暴れているオーガに狙いを定めていた。
人間の数倍は大きな角の生えた赤い肌の人型の魔物。尖った牙の隙間から呼吸するたびに炎が漏れ出している。
オーガから数メートル離れた地点で地面を蹴り上げる。高く跳躍した深谷はオーガの右肩に剣を突き刺す。
バキバキバキッ。
「グギャッ!」
剣先から冷気が漂い、たちまちオーガの右肩が氷塊に包まれた。苦悶の表情で悲鳴を上げるオーガを足場にして、深谷はインカムに手を添える。
「場所は」
『そのまま真っ直ぐ進め。既に溢れた魔物は別の探索者に対処させるから、お前は被害が広がる前に根元を潰せ』
「あァ? 三分あれば全滅できる」
『その三分でどれだけ魔物が溢れるだろうな? 移動のロスにならない程度に小物を処分するのは構わんが、優先順位を間違えるなよ』
「チッ、了解」
インカムの指示に了承した深谷が剣を抜いてオーガを強く蹴り上げる。蹴られた反動でオーガが地面に倒れた。
ゲート。
ダンジョンに繋がる扉。空間を裂くように存在している次元の裂け目。
深谷が向かっている場所だ。
目的は「ダンジョンブレイク」を起こしたダンジョンを攻略すること。攻略されないまま放置されたダンジョンは飽和状態となり、ゲートから魔物が溢れ出してしまう。
民間人の避難は既に行われている。
外に出た魔物も他の探索者が対処するだろう。だから深谷は、これ以上魔物を外に出さないための行動をすればいい。
小さい魔物を切り捨てながら数分ほど走ったところで、ゲートが見えた。
裂け目から魔物の足が突出しかけている。巨大な足が緩慢な動きで外に出ようとしていた。
しかめっ面になった深谷がゲートから突き出た魔物の足目掛けて素早く飛び出した。
ガンッ!
衝撃で風圧が発生する。
衝撃の中心部で、魔物と深谷の足がかち合っていた。
深谷は余裕の表情で体勢を崩さない。
つかの間の均衡、ジリジリと優勢を保っていた深谷がそのままゲートへと押し返した。
「クソ失せやがれってンだよ」
深谷は悪態をつきながらも迷いのない動きで、押し戻した魔物の後を追うようにゲートの中に入っていった。
深谷がゲートに入った後。
人々が恐怖で混乱している地上に、オーガが肩を凍らされて動きを制限された状態で残されていた。
右肩が氷点下に晒され、指先の感覚が消えていく。そこにだけ、とんでもない重しを乗せられたようであった。
冷たくて、痛い。
何度殴っても氷は砕けない。
焦ったオーガは周りにあった物を無造作に掴んで肩にぶつける。
それでも、壊れない。
増幅する感情に合わせて、オーガの口から出る炎の威力が増強された。
思い通りにならない状況に腹を立てたオーガは持っていた物を適当にぶん投げた。
癇癪を起こした子供のように周囲に当たり散らかす。
オーガの周辺に火花が飛び交い、空気がどんどん暑くなっていき——
ついには、辺り一帯が灼熱のサウナ状態と化した。




