新米先輩
奈律がネクサスに加入して一年。
一年も経ったのに後輩がゼロという現状を哀れんだのか。ようやく蓮希のお眼鏡にかなう人材が応募してきたのか。
真実はマスターのみぞ知る、という訳で奈律にも後輩が出来たようだ。
市川と話をして一週間くらい経った頃に、事務所の廊下ですれ違った深谷に教えてもらった。
「よぉ、新米。いんや、もう新米先輩か?」
「深谷先輩、いい加減私を新米と呼ぶのはやめてください」
右手を軽く挙げながら目つきの悪い顔にニンマリと笑みを浮かべた深谷に、何度目か分からない呼び名の訂正を行う。
似たような訂正をする相手が少し前に増えたことで、奈律のストレスはここ最近増加の傾向にあった。
背丈の変わらない奈律によく「小さい」などと言えるな、と半ば感心しながら呆れてため息をつく。と同時に深谷の発言に違和感を覚えた。
「……先輩ってなんのことですか?」
「あ? メール見てねーのかよ。新人が入って来てんぞ」
言われてスマホを確認すれば、確かにメールが届いている。
『人事報告』という見出しの下に書かれた数行の中に新人という文字があった。
奈律に用事がある時は電話か、クランのメンバーならインカムを利用する人間が多い。
だから普段からメールは見ないし、今回のような全体連絡はほとんど確認したことがなかった。
そもそも深谷だって奈律と同じ側のはずだろう。
彼が新人について知っていたことに奈律の方が驚いたくらいだ。
「深谷先輩が気にするなんて珍しいですね」
「別に興味ねぇ。教育担当になっからな」
「え、誰がですか?」
「この流れで俺以外誰がいんだよ」
「ええ……?」
一体誰が何を考えて深谷に教育担当を任せたんだ。三徹目の人事がルーレットで選んだのかもしれない。
昨今の若者は繊細な人間が多いんだから、深谷の態度は人相も相まってすぐにパワハラで訴えられるに決まってる。
そうなったら、ネクサスの評判はガタ落ち。
引いては、蓮希たちに迷惑がかかる。
明らかに人選ミスだろう。
「てめー、なんか失礼なこと考えてんなァ」
「ははは、深谷先輩の勘違いですよ。新人教育頑張ってくださいね」
決して口には出していないはずだが、野生の勘で察するものがあったらしい。
笑って誤魔化し立ち去ろうとする奈律を「待てや」と呼び止めた深谷が怪訝な顔で首を捻った。
「つか他人事みてーに言ってっけど、おめーも教育担当だろ。連絡受けてねーんか?」
「はい? 教育係って一人じゃないんですか?」
奈律の時は市川だけだったのに、なぜ自分まで教育担当になっているんだ。
「年下の先輩、てめーの時はいなかったろ。で、今回は年下の先輩がいる。だから二人。知んなかったのか?」
奈律が新人よりも年下だから、教育担当に選ばれたと。いまいちよく分からないが、そういうことらしい。
***
『ふふ、どうりで。奈律が質問に来ないなんておかしいと思ったんだ』
「ということは人事の連絡ミスですか?」
深谷と別れたあと奈律は『人事報告』の詳細を確認して、念のためにと蓮希にも連絡した。
その返事が先ほどのものだ。
聞きたいことは山ほどあるが、まずは責任の所在を尋ねた奈律に蓮希は笑って否定する。
『いや? 人事は関係ないよ。一ヶ月前には決まっていたから、呼び出した時に私から伝えようと思っていた。ただ、話が終わってすぐに久瀬に引っ張られて出て行っただろう?』
「ああ……あの時に」
前回の護衛任務の件と一緒に伝える予定だったのか。腕を引っ張られて退室する直前、確かに蓮希が何か言いかけてた気がする。
『だから片がついたら伝えるよう、久瀬に頼んでいたんだがな。変だと思った時点で確認するべきだった。すまないな』
奈律は過去の久瀬の言動を思い出す。
現場対応を拒否した挙句、奈律への連絡も忘れて逃亡した。一週間前に再び会ったにも関わらず、そこでも伝えられていない。
「……いえ、マスターに非はありません。少し用事が出来たのでこれで失礼します。教えて頂きありがとうございました」
『気にするな。今度の教育担当、しっかり頑張りなさい』
「はい」
蓮希との連絡を切ったあと、奈律は無言でインカムのチャンネルを#471に切り替えた。以前会った時に登録した久瀬の連絡先だ。
『はいはい、久瀬で〜す! どちら様〜?』
インカムからふわふわと空気のように軽い声が聞こえてきた。
「千葉です。久瀬先輩、私に何が伝え忘れていることないですか?」
『あえぇ……伝え忘れ? うーん。なんかあっ、ああ〜〜! ごめ〜ん! 蓮希に頼まれてたのすっかり忘れてたや!』
「思い出したようで何よりです。次回から気を付けてください。では失礼しました」
久瀬と正反対に目が死んでいく奈律は、文末に定型文を取ってつけて彼の返事を待たずに通信を切った。
誰にだって失敗することはある。
久瀬の失敗も一度は笑顔で流してやろう。だが、
「二度目はない……絶対にないから」
廊下の壁と向き合ってブツブツと呟く奈律を、ちょうど彼女の死角になっている曲がり角から見つめる深谷がいた。
あそこだけ空気が淀んでいるじゃないか。
深谷は何も知らない後輩を哀れに思って、教育担当の日程を教えようと戻って来たところであった。
「うわ……」
少し目を離しただけであんなにテンションが下がっているなんて、流石の深谷でも想定できない。
頭にキノコを生やしている奈律に声をかけるか少し迷って、何かあったら連絡してくるだろうと踵を返したのだった。




