6 婚約破棄を拒否する婚約者 ②
パス伯爵家の次男であるゲッティは、兄ばかり可愛がる両親にうんざりしていた。
実際は彼の兄も厳しく叱責されていたのだが、ゲッティは都合よく記憶から消し去っていた。それは、自分が可哀想な人間だと思い込みたかったからだ。
自分の見たい部分だけ見る。それは、恋愛面についても一緒だった。
お互いの両親が応接室で話をしている間、ティファリーはゲッティと話をすることになった。
話し合いの場所はティファリーの部屋で、ゲッティの希望で二人きりである。
(私相手なら、上手く転がせると思っているのでしょうけれど、絶対に彼の思い通りにはなりません!)
メイドがお茶を淹れて部屋を出ていくと、向かいに座るゲッティが口を開いた。
「やり過ぎなんじゃないかな」
「……やり過ぎ、とは?」
意味がわからず、ティファリーは聞き返した。
「あの場所にいたのは、君のためだった」
「百歩譲って、あの場所にいたのはお姉様に騙されたということにしても、口づけを交わしていたことへの理由にはなりません」
「口づけなんて交わしていない。ただ、そう見えただけだ」
「……私を馬鹿にしているのですか」
今のティファリーには、ゲッティと姉に裏切たという悲しみは消え去り、二人への怒りしかない。
さすがのゲッティも今回は今までの喧嘩とは違う。そう感じたようで、座ったまま深く頭を下げた。
「不安にさせてしまったなら本当にごめん。何度でも謝るよ。だから、婚約を破棄するなんて馬鹿な意地を張るのはやめてほしい」
「あなたは今回の婚約破棄を、私が意地を張っているからとおっしゃりたいのですか」
「……あ、いや、なんというか」
今までのティファリーなら、惚れた弱みですぐに彼を許してしまっていた。
予想外の反応に、ゲッティは引きつり笑いを浮かべた。
「あなたについての報告書を読みました」
「……報告書?」
「ええ。あなたやノーリーお姉様は浮気を否定していました。ですから、証拠を押さえようと思ったのです」
そう言って、ティファリーは十枚の紙をテーブルに滑らせた。
「こ、これは?」
「見ればわかります」
ティファリーは感情のない声で答えた。
ゲッティがごくりと唾を飲み込む音が静かな室内に響く。
震える手でゲッティは報告書と題された紙を手に取り、内容に目を走らせる。
すると、彼の顔色がみるみるうちに青ざめていく。
体は小刻みに震え、へらへらとした笑みは消え、苦痛を耐えるような表情に変わった。
「こ、これは、こんなっ、その! で、で、デタ……っ」
「デタラメだとおっしゃりたいのですか?」
「そ、そうだ! これは誰かに頼んで君が書かせたものだろう!?」
ゲッティは報告書をテーブルに打ちつけながら叫んだ。
「いいえ。この報告書を私に提供してくださったのはノーリーお姉様の元夫であるウノユ侯爵です」
「ウ、ウノユ侯爵!? い、い、いや、だからといって、こ、これは捏造だっ!」
ゲッティは何度も首を横に振って否定した。
(こんなに子供っぽいようなことをする人だったのですね)
年上である彼は、ティファリーにとってとても頼りがいのある男性だった。
しかし、恋の魔法がとけてしまえば、見える世界は変わった。
今のティファリーには、ゲッティは浮気が発覚して慌てる情けない男性にしか見えない。
「で、ゲッティ、あなたが一番愛している人はどなたなのですか?」
ティファリーは冷ややかな笑みを浮かべて尋ねた。
ゲッティの浮気相手は、ノーリーだけだと思っていた。だが、調べた結果、ゲッティは身分を隠し、平民の複数の女性と逢瀬を重ねていた。
侯爵と父のノウンが調べた結果を照らし合わせると、浮気相手にノーリーがいるかいないかだけの違いだった。
「ち、違う。落ち着いてくれ。だって、君は僕が好きだろう?」
ゲッティはティファリーの問いかけには答えず、冷や汗を流しながら質問を返した。
俯いて黙り込んだ婚約者に、ティファリーは微笑みかける。
「私があなたのことを好きかどうかの話は、あなたの浮気と関係がありますか?」
「ある。あるよ。君を試してた」
「……試していた、ですか?」
「そうだよ! 僕が浮気をしても君が愛し続けてくれるか、そのことを試したかったんだ!」
この話を聞いたティファリーは、ゲッティが浮気することに罪悪感を覚えていないとわかった。
(浮気をして愛情を試すなんて意味がわかりません。私相手なら何をしてもいいとでも思っているのでしょうか!)
ティファリーの眉間に皺が刻まれたことに気づいたゲッティは焦り始める。
「ティファリー! 許してくれれば君の僕への愛が証明される。君は懐の深い人だと多くの人が思うだろう! 僕だって反省して浮気をしないと誓います! だから、ね?」
「ね、と言われても気持ちはかわりません」
「それって、僕の婚約を破棄するということ?」
「そうです」
ティファリーは笑みを絶やさず、いつもよりも冷たい声で続ける。
「今までの私はあなたのことが本当に大好きでした。だから、あなたと結婚したくて、少しくらいの浮気なら我慢していたかもしれません」
「じゃ、じゃあ!」
「今までの私と申し上げましたでしょう? 今の私はあなたを愛してなどいません」
「そんなに簡単に消えてしまう愛だったのか? そんなのおかしいよ!」
ゲッティは悪びれる様子は一切なかった。
「おかしいと思っていただいて結構です。それくらい、私はあなたに失望したということも忘れないでください」
姉たちに嘘をつかれたり、やってもいないことを自分のせいにされたことは、ゲッティにも伝えてきた。
その度に可哀想にと慰めてくれた。
そんな人が姉と浮気をしていたのだ。
ゲッティはティファリーの地雷を自ら踏みにいったようなものだった。
ティファリーは心を落ち着けるために間を取った。
窓の外を見ると良い天気だ。
外出して気分を明るくしたいところだが、今はそんな場合ではない。
(明日は、お気に入りのお店のチーズケーキを買いに行きましょう)
世の中には辛いことも多いが、楽しいこともある。
どう切り替えるかは自分次第だと、ティファリーは思った。
「ティファリー、許してくれたのか?」
ティファリーの表情が和らいだからか、ゲッティは笑みを浮かべて彼女に尋ねた。
(こんな時に現実逃避してしまいました。まだまだですね)
我に返ったティファリーは、頭を振る。
「……ゲッティ、一般的な女性は浮気をする男性を好みません。私もその一人です。私はあなたの妻になるというボランティアをしたくないのです」
ティファリーはきっぱり告げると、テーブルの上に置かれていた呼び鈴を鳴らした。
ゲッティとの話し合いの前に、呼び鈴を鳴らした時は部屋から出てもらう合図だとメイドに伝えていた。
そのため、メイドは二人の兵士と共に部屋に入ってきた。
そして、ティファリーの命令により、ゲッティは部屋から追い出されることになった。
「待って、待ってくれ、ティファリー! 冗談にも程がある! 意地を張ったらあとで後悔することになるぞ!」
「後悔はあとでするものですからね。お気遣いありがとうございます。ですが、後悔などしないように、あなたとの婚約を破棄するのです」
ティファリーが手を振ったのを合図に、兵士は抵抗するゲッティを部屋の外に追い出した。




