56 姉だった者と祖母の後悔 ③(ノーリーSide)
今までは仕事をすることが苦痛で仕方がなかった。だが、家に戻れると思い込んだ時から、ノーリーの心は明るくなり、労働中の態度もかなり良くなった。
(お父様からの返事はまだかしら。もしかして、サプライズで迎えに来てくれるかもしれない)
ティファリーが口出ししなければ、家族は絶対に自分を許してくれると、ノーリーは確信していた。
よく晴れた日の午後。勤務態度が改善したことで更生の余地があるとみなされたノーリーは、職員の監視付きではあるが、施設外での仕事をすることになった。
向かった場所はすく近くの鉱山で働いている人たちのための大食堂だった。食べ終えて机の上に放置されたままの食器を回収するのが今日のノーリーの仕事だった。
何百人もの鉱山の労働者が昼食をとるために集まる食堂は、労働者とその関係者は無料で食事をとることができる。
6人掛けの長方形の木製テーブルが数十卓あるが、お昼時なこともあり、席は人でほとんど埋まっており、とても騒がしい。
(むさくるしい場所ね)
労働環境が厳しいだけでなく、汗をかいたり汚れた体を洗う機会も少ない。そのため体臭と食事の匂いがまざり、ノーリーにとっては、食道内は息を止めたくなるほどの悪臭が漂っていた。
力仕事のため、鉱山で働いている女性は少ない。そんなこともあって、歩くだけで彼女は注目の的だった。
(平民ごときが私を見るんじゃないわよ)
入り口から比較的人の少ない奥に移動し、嫌悪感が顔に出ないように我慢しながら、女性職員から改めて今日の仕事の説明を受けようとした時だった。
「ノーリー!? ノーリーじゃないですか!」
人をかき分けて近づいてきたのは、灰色の作業服を着た見覚えのない若い男性だった。
頬はこけて目がくぼんでおり、まるで病を患っているかのようにやせ細っている。顔は傷だらけで、殴られたのか鼻が変形しているようにも見えた。
(何なの、気持ち悪い)
「お知り合いですか?」
「いいえ」
職員に尋ねられ、ノーリーは即答した。
(声は聞いたことがあるような気はするけれど、知らない顔だわ。というか、こんな汚らしい知り合いが私にいるわけないでしょう)
万が一のこともあるため、職員は護衛を同行させている。ノーリーの返答を聞いた職員は急いで護衛に近づいてくる男性を止めるように指示をした。
「な、何だよ! 放せよ!」
護衛に羽交い締めにされた若い男は必死に抵抗するが、屈強な護衛の手から逃れることはできなかった。
「今まで女性がここに来たのは何度もあったけれど、こんなことは今回が初めてだわ。怖がらせて悪かったわね」
「……いいえ」
(そうよと言ってやりたいところだけど、今の私は寛容なの。許してあげるわ)
もうすぐ、こんな不快な思いをする場所から解放される。そう思うだけで自然に笑みがこぼれたノーリーだったが、男の叫びで現実に戻される。
「ノーリー! わからないのか? 僕だよ、ゲッティだ!」
「ゲッ……ティ?」
ノーリーは目を見開いて男を見つめた。
だいぶ変わってしまったが、ゲッティだと言われて見てみれば面影があった。声に覚えがあることにも納得できたが、ノーリーの上機嫌だった気持ちは、一瞬にしてどこかへ追いやられてしまった。
「ど、どうしてあなたがここにいるの?」
「それはこっちのセリフだよ。大体、僕がここで働いていることは君も知っているはずだろう」
「……そういえば」
ゲッティが鉱山に送られたことは聞いていたが、すっかり頭から抜け落ちていた。
(まさかティファリー、こうなるかもしれないとわかっていて、私をここに送り込んだの?)
怒りがこみ上げてきて、ノーリーは強く唇を噛んだ。ノーリーの表情が急激に変わったことに、ゲッティは気がついていた。しかし、そんなことを気にする余裕などなかった。
「ノーリー! お願いだ。ティファリーと話をさせてほしい!」
「どうして私があなたのお願いを聞かなくちゃいけないの?」
ノーリーは嘲笑してゲッティに尋ねた。
「どうしてって、元々は君のせいでこんなことになったんじゃないか!」
「私のせいにしないでちょうだい。あと、言っておくけど連絡を取るのは絶対に無理よ」
「手紙くらい送れるだろう?」
「残念だったわね。私はティファリーから縁を切られたの」
「……何だって?」
ゲッティは目を見開いて聞き返した。
職員や護衛は二人が知り合いだとわかり、少し様子を見ようと黙っている。食堂内は相変わらず騒がしいものの、ノーリーたちの近くにいる労働者たちは、興味津々といった様子で彼女たちを見つめていた。
希望が絶たれ、暫し項垂れていたゲッティだったが、突然顔を上げて訴えた。
「じゃ、じゃあ、君の家族から頼んでもらってくれよ! ティファリーの願いを叶えたいんだ!」
「ティファリーの願いですって?」
ゲッティのために何かしてやる気持ちはなかった。しかし、ティファリーの願いが何なのかは気になった。
眉をひそめて聞き返したノーリーに、ゲッティは笑顔で答える。
「ティファリーはぼくに、愛する人とどうぞお幸せにって伝言を残したみたいなんだ」
実際は、遠巻きに彼を見ていたティファリーが呟いた言葉であり伝言ではない。ただ、その呟きを聞いた護衛騎士の家族が不祥事を働き、鉱山に送られており、たまたま聞いた話を本人とは知らずに笑い話として彼に伝えていたのだ。
この話を聞いた時、ティファリーと自分は深い絆で結ばれていると勘違いした。
「僕の愛する人はティファリーだ。だから、一緒に幸せになろうって伝えてほしい」
「……本人には無理だけど、お父様には伝えておくわ」
「あ、ありがとうっ!」
ゲッティは目に涙を浮かべて礼を言った。
(ティファリーにはこの男がお似合いだわ)
「ふんっ」
護衛に促され遠ざかっていくゲッティを見つめながら、ノーリーは鼻で笑った。
その後は興毅の視線を浴びながらも、指示された通りの仕事をし、二時間後にはまた、施設に戻ることになった。
ゲッティとの一件はあったものの、久しぶりの外出は彼女の心を晴らしたが、空はどんよりとした雲に覆われている。
(天候が悪くなりそうね。今日も手紙は届かないかしら。もう届いているといいのだけど……)
施設に戻ると今日はもう休んでいいと言われた。ノーリーが足取り軽く自室に戻ると、机の上に白い封筒が置かれていた。
公爵家の封蠟が押されていることに気づき、父からの手紙だとすぐにわかった。
検閲のため、すでに封は切られている。中身を取り出して読み始めた。そして、絶望する。
書かれていた内容は、ノーリーが予想していたものとは正反対のものだったからだ。
「嘘、嘘よ。受け入れるつもりはないなんて、おかしいじゃないの!」
ノーリーは手紙をぐちゃぐちゃに丸め、ベッドの上に放り投げた。
「そんな……っ、私は、ここから出られると思って……!」
これから何を糧にして生きていけばいいのか。変な見栄などはらず、ティファリーと仲良くしておけば、こんな未来を迎えることはなかった。
「うわああああっ」
絶望を感じたノーリーは、大声で泣くことしかできなかった。




