3 婚約者が愛している人 ③
この地を出入りする貴族は多い。そのため、通りを歩く人たちは顔を隠している人ばかりだが、ティファリーは素顔のままである。
ゲッティとノーリーも顔を隠しているわけではない。しかし、平民に流行している服装なだけでなく、メイクを変えている。
二人の顔をよく知っている人物ならまだしも、年に数回会うくらいの相手では、絶対に二人だったと言い切れるものではなかった。
(もしかして、これはノーリーお姉様の罠だったのかもしれません)
こんなにちょうどいいタイミングで、御者が二人の姿を見つけるわけがない。
ティファリーが無言で御者を見つめると、眉尻を下げて俯いた。
(ノーリーお姉様に頼まれたのですね)
御者は指示されたとおりにしただけで、強く責める気にはならなかった。
ゲッティはへらへら笑いながら、ティファリーに話しかける。
「もう満足しただろう。帰ろうか」
「……お二人の関係はいつからなのですか」
このままでは終われない。
ティファリーは歯を食いしばり涙をこらえて尋ねた。
ゲッティは驚いた顔をしてティファリーを見つめたが、すぐに苦笑する。
「まだ僕とノーリー様のことを疑っているの? しつこいんじゃない?」
「で、ですが、二人が口づけを交わしているのを見たのです!」
「ええ? 立ったまま夢でも見たのかい? そんなことをするわけがないよ。僕の唇が赤いのを気にしているのかもしれないけど、トマトをすり潰したものを食べただけ」
「そんなわけが」
「あるんだよ」
酷い言い訳を口にするゲッティに、ティファリーは、これ以上話をする気力がなくなってしまった。
「……そう、でしたか」
そんなわけがないことはわかっている。しかし、どれだけ問い詰めても二人は口を割らないだろうと、この場では引くことにした。
そんなティファリーを見て、ノーリーは内心ほくそ笑んでいた。しかし、悲しげな表情でティファリーに話しかける。
「ティファリー、お願いだから、他の人に変な妄想話をするのはやめてちょうだいね」
「そうだよ。僕がノーリー様と浮気しているとか、変な噂を流さないと今すぐ約束してくれよ」
「……失礼します」
そんな約束はしたくない。
ティファリーは約束については何も答えずに歩き出した。
「ティファリー様、大丈夫ですか」
「ええ。取り乱してしまってごめんなさい」
「とんでもないことです」
心配するメイドたちに大丈夫だと伝えていると、ノーリーがゲッティに話しかける声が聞こえてきた。
「ゲッティ、あなた、ティファリーを追いかけなくていいの?」
「いいんです。彼女は僕のことが大好きだ。少しくらい冷たくしたって、僕を諦めるはずがないんです。それに、僕はあなたと一緒にいたいんです」
「……ゲッティ、あなた」
「僕の気持ちを知っているんでしょう?」
(大好きだということも、諦めたくないという気持ちも間違っていません。でも、ゲッティがお姉様を愛していると言うのなら……)
そう考えたティファリーの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
その日は、宝石店に足を運ぶことはせず、屋敷に戻った。夕食もとらず、泣き疲れて眠り、気がついた時には朝を迎えていた。
******
ピピッという小鳥の鳴き声で、ティファリーは目を覚ました。
ベッドの上で大の字になって眠っていたティファリーは、赤く腫れた目をこすりながら起き上がる。
ティファリーの心とは裏腹に、外はとても良い天気だった。
コツコツと窓が叩かれて振り返る。
カーテンを閉めていなかったため、すぐに音の主がわかった。
真っ白な毛を持つ二羽の鳩だ。開けてと言わんばかりに嘴で窓を叩いている。
どこかの家の伝書鳩らしいが、以前、大型の鳥に襲われて傷だらけで地面に倒れていた。
治療して、飛び立たせてからしばらくすると、鳩はティファリーのもとに通うようになった。
今のところ、二羽の飼い主とコンタクトを取ったことはないが、貴族であることに間違いはないだろうと思っていた。
「おはよう、ポッポ、ポポーポ」
ティファリーは、挨拶をしながら窓を開けた。
ちなみに、名前は勝手にティファリーが付けたものだ。
爽やかな風が二羽と共に部屋の中に入り込んできて、ティファリーは微笑む。
「何をメソメソしていたんでしょう。私ってば、本当に駄目ですね」
餌をくれとオスのポッポがティファリーの頭の上に乗った。
「うう。重いです。ちょっと失礼します」
手で体を掴んでポッポを抱きしめる。
ポポーポはティファリーの様子がいつもと違うことに気がついたのか、彼女をジッと見つめていた。
「心配してくれているのですか?」
ティファリーは微笑んだあと、握り拳を作る。
「あんな婚約者よりももっといい人がいるはずです! ノーリーお姉様を愛している人なんて、お断りです! これ以上、あの人のために無駄な時間を使うのはやめにします! 私は絶対に、婚約を破棄してみせます!」
そう宣言したあとは、ポッポとポポーポの新鮮な水と食べ物を用意するために、ベルを鳴らした。
(たしか、ノーリーお姉様との離婚が決まった時、夫だった侯爵が何かあれば相談に乗るとおっしゃってくださっていました。早速、コンタクトを取ってみましょう)
考えている間に数人のメイドがやって来た。そして、元気そうなティファリーを見ると、皆、安堵の表情を浮かべたのだった。




