26 嘘ばかりの婚約者 ②
話しかけてくるだろうとは思っていた。そんなこともあり、ティファリーは動揺する様子を見せず、冷たい眼差しをゲッティに向ける。
「お久しぶりです。わざわざ話しかけてくださったということは、婚約の破棄を認めてくれる気になったのでしょうか」
「……まだ意地を張っているのか? もういい加減にしたらどうかな。裁判を起こそうとしてるなんて馬鹿げてる」
「あなたが素直に婚約破棄の書類に署名してくだされば済むことなのです」
ゲッティにとってティファリーの声と視線は、今までに味わったことのない冷たいものだった。
「僕が署名したら困るのは君だ」
「私が困るわけがないでしょう。嘘をつく婚約者なんていりません。そんな人と結婚したら、イトメニア公爵家の恥になります」
「どうしてそんなに素直になれないのかな。僕は浮気をしたつもりはない。なのに、君は僕が浮気をしたと言う。かまってほしいならかまってほしいと正直に言えばいいのに」
「いい加減にしてください。私は本気であなたと婚約を破棄したいですし、もう顔も見たくないのです」
ティファリーははっきり答えたが、ゲッティは信用しておらず、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。
(どうしたらここまで自分にとって都合のいいことばかりしか考えられない思考になれるのでしょうか)
ティファリーは内心呆れ返ったが、今になって始まったことではないと思い返す。
(考えてみれば、昔からこんな考え方の人だったかもれません。過去の私は、良く言えばポジティブな彼の思考が羨ましくて、彼に想いを寄せていたのでしょう)
若かったとはいえ、人を見る目がなかった。
ティファリーが猛省している間に、ゲッティはティファリーの隣にいるケインに頭を下げる。
「ケイン殿下! お会いできて光栄です。先日は誠に申し訳ございませんでした」
「そう思うなら、ティファリー嬢との婚約を破棄する書類に署名をして、さっさと目の前から消えてくれ」
ケインがため息を吐いて言った。ゲッティを見つめる彼の目は、とても鋭い。ゲッティは気圧されながら聞き返す。
「で、殿下! 署名しろなんて、どうしてそんなことをおっしゃるのですか!?」
「お前が大嘘つきだということはわかっている。お前のような奴にはティファリー嬢はもったいない」
「そ、そんな……」
ゲッティは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
ノーリーとの仲がバレるまで、ティファリーとケインにはあまり接点がなかった。ティファリーが社交場に出る時は、パートナーとして一緒に出席していたため、ゲッティはそのことをよく知っている。
婚約者がいなくなってからのケインに浮いた噂を聞いたことがない。だから、ケインがティファリーを気にかけている理由がわからなかった。
「婚約の破棄を承諾してくださるのなら、あなたの罪を社交界に流すのはやめておきます。あくまで社交界で、ですが」
「ぼ、僕は罪なんて犯していない!」
「……本当にそう思っているのですか?」
ティファリーは大きく息を吐いて、ゲッティを見つめた。彼女だけでなく、周りからの冷たい視線を受けるゲッティだったが、彼は気にせずに答える。
「君は僕が浮気をしたと責めているんだろうが、たとえ浮気をしていたとしても罪にはならない!」
「……そうですわね。浮気については刑事罰にはなりません」
(人を騙すことは浮気とは違うのです)
ティファリーは心の中でそう呟いた。
「何が言いたいんだ? もしかして、僕が経営している宝石店が儲けていることが気に入らないのかい? 僕の才能の証だ! 僕と結婚すれば君の店も大きくできるんだ。いや、大きくしてあげてもいい」
胸を張りながらティファリーを鼻で笑うゲッティは、自分が窮地に立たされていることなど、全くわかっていない。
「あなたの宝石店が、平民の女性のお客様によって繁盛している話は聞き及んでいます。ところで、聞きたいのですが、どうしてそんなに平民の女性はあなたの店で宝石を買おうとするのでしょうか」
「は? それは僕の話術が魅力的だからだろう?」
「話術が魅力的と言うのであれば、貴族があなたの店に通わないのはなぜでしょうか」
「そ、それは……、その、たまたま」
ゲッティは視線を彷徨わせ、しどろもどろになって答えた。
ティファリーはこれ見よがしに大きなため息を吐いて微笑む。
「たまたま、なのですね」
「な、何が言いたいんだよ」
「平民の間で流れている噂があるのです」
「……は? 噂?」
余裕を見せていたゲッティの口元がひきつった。
「ええ。あなたは私との婚約を破棄したいと思っているけれど、私がそれを認めないという噂です」
ゲッティは甘い考えの持ち主だった。貴族が……ましてや、公爵家が他の領の平民の噂を聞きつけるとは思っていなかったのだ。
風説の流布は刑事罰の対象になる。
そのことに気がついたゲッティは、呆然とした表情でティファリーを見つめた。




