20 何も知らない婚約者
ノーリーがゲッティとの浮気を認めたことで、パス伯爵側の報告書も改竄されていたことが発覚した。
ティファリーからの婚約破棄を、伯爵家は拒否できない状況に追い込まれたにもかかわらず、ゲッティは婚約の破棄を認める書類に署名をしなかった。
これでゲッティとさよならできる。
そう思っていただけに、ティファリーはがっかりしたが、気を取り直して約三十日後の裁判に向けて証拠固めをすることにした。
それと同時に、宝石店の経営にも力を入れた。
だが、婚約を破棄したくないゲッティは、自分の力を見せつけようと、ティファリーに何かと絡んでくるようになった。
それはノーリーが事実上、家を追い出されてから五日後の昼過ぎのことだった。
ティファリーは宝石店の従業員用の控室で帳簿を確認していた。
宝石店は公爵邸に近い、商店が多く立ち並ぶ一角にあり、問題になった宿屋街も徒歩で移動できる場所にある。
昼食時間を過ぎたばかりのこともあり、店内には客がまばらで、店員が二人いれば十分だった。
ティファリーの店――プレシャスは予約制である。来店してもらい店の雰囲気などを確認してもらってから予約を受け付けているが、ふらっと立ち寄ることも歓迎している。
その場で買いたいと希望された場合、常連客なら小切手が可能だが、初めての客については現金払いのみである。
防犯上の観点から中に入ってすぐのフロアには宝石は陳列していない。商談用の四人がけの四角いテーブルが三卓あり、客の希望を聞いたあと、奥の展示フロアに移動することができる。
店内と店外には兵士が複数人見張っており、万が一トラブルが起きてもすぐに対処できるようになっていた。
今日は予約は一件だけ。というのも、その一件が大物のため、わざと他の予約を受け付けなかった。
「ケイン殿下がいらっしゃるなんて、本当にドキドキします」
いつもは落ち着いている従業員たちも、来客相手が王族ということで、ソワソワしている。
今日、店内にいるのはティファリーと従業員が男女合わせて三人。
普段ならば、王城に呼び出されるのだが、ケインはわざわざ足を運んでくれることになった。
(ケイン殿下が足を運んでくださることで、この店は注目される。そう考えてわざわざここに来てくださるのよね)
ポッポたちを助けたことは、ティファリーにとって当たり前のことだ。
しかし、鳩が結んだご縁に感謝していると、急に店の外が騒がしくなった。
現在時刻は朝の十時前。ケインとの約束は十時。
彼が来たのだと気を引き締めたとき、外から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「僕はティファリーの婚約者であり、前経営者だ。中に入るくらいいいだろう!?」
外の兵士に絡んでいたのは、ゲッティだった。
(本当に迷惑な人ですね)
ティファリーが大きなため息を吐くと、副店長である中年の男性が彼女に話しかけた。
「ティファリー様、もうすぐ殿下がいらっしゃるお時間です。ゲッティ様は私が応対してきましょうか」
「ありがとうございます。お願いしたいところですが、彼は私が出ていかないと納得しないでしょう」
ティファリーはペンを置き、帳簿を閉じて立ち上がる。
「私が対応いたします。殿下がお見えになったら連絡をください」
今日はポッポたちも連れてきてくれるとのことだったので、店内には入れないが、外で戯れることにしていた。
そのため、白のブラウスに黒のロングスカートというラフな服装で、ケインの許可も得ているし、彼もラフな格好で来ると聞いている。
ティファリーが扉を開けると、彼女の姿を見たゲッティは鼻で笑った。
ゲッティには、宝石店の営業をするには安っぽい服装に見えたのだ。
「君は僕と出かけなくなってから、服装に気を遣わなくなったのか?」
「そういうわけではありません。今日のお客様のご希望に合わせただけです」
「平民でも来るのかな? 貴族が来てくれないんなら、僕が経営している宝石店には敵わないんじゃないかな?」
ゲッティは満面の笑みを浮かべて言った。
パス伯爵領は隣接している。ゲッティは公爵領との境界に近い伯爵領内の繁華街に宝石店を開店させている。
「ティファリー、僕と勝負をしないか」
「嫌です」
「そんなに難しく……って、は?」
『は?』という、聞き返し方がノーリーと同じことに似た者同士だったのだろうと感じながら、ティファリーは答える。
「嫌だと言いました。これからお客様がお見えになるので大人しくお帰りください」
「客といってもそんな服装なんだ。大した客じゃないんだろう?」
「今回はお客様のご希望の服装なのです」
ティファリーが呆れ顔で答えた時、馬車が店の前に停まり、中からケインが降りてきた。
ティファリーからは兵士がいるせいでケインの姿は見えないが、馬車が停まったことはわかった。
騒ぎに気がついたケインは、ポッポとポポーポを抱きかかえ、ゲッティを取り囲んでいる兵士の後ろに立った。兵士はそのことに気が付き、一礼して場を退く。
ティファリーがケインと目を合わせると、彼は口に人差し指を当て黙っているように指示した。
(殿下のご厚意に甘えましょうか)
ティファリーがにこりと微笑むと「「ホッホロー!」」とポッポたちは嬉しそうに鳴いた。
その声に気づかないゲッティに、ティファリーは話しかける。
「ゲッティ、あなたは先程、これから来るお客様のことをなんとおっしゃっていましたっけ?」
「は? 大した客じゃない、だよ。それがどうしたと言うんだい?」
ゲッティが肩をすくめて答えた時、背後に立つケインが口を開いた。
「大した客じゃなくて悪かったな」
「……は? 君が客かい?」
笑いながらゲッティは振り返ったが、相手の顔を見た瞬間、金縛りにあったかのように目を見開いたまま動きを止めた。




