第30話「知っている」
静かだった。
さっきまで騒いでいたはずなのに。
誰も喋らない。
全員。
図面か。
俺か。
見ている。
「……なんだよ」
居心地が悪い。
誰も答えない。
代わりに。
「お前」
年配の男が口を開いた。
「こんなの描けたのか」
「知らない」
反射だった。
本当に知らない。
「いや」
男は首を振る。
「描いてる」
「は?」
「前からだ」
意味が分からない。
前から?
俺が?
こんなものを?
「覚えてないのか」
別の声。
「風呂作る時もそうだったろ」
「毎回急に描き始める」
「誰も教えてないのに」
知らない。
そんなこと。
聞いたこともない。
なのに。
否定できなかった。
一枚の図面を手に取る。
見れば見るほど。
分かる。
どこを直したかったのか。
なぜ直したのか。
どうしてそうしたのか。
全部。
分かる。
それが怖かった。
「おい」
呼ばれる。
顔を上げる。
男は図面を指差した。
「これ」
「……?」
「前にも描いてたぞ」
鼓動が鳴る。
「は?」
前にも。
描いていた。
その言葉に。
妙な引っ掛かりを覚える。
「どこで」
思わず聞く。
男は少し考えた。
「最初の風呂だ」
どくん。
視界が揺れる。
最初の風呂。
聞いたことがある。
知っている。
はずだ。
なのに。
思い出せない。
頭の奥。
熱い。
何かがいる。
何かが。
叩いている。
開けろ。
「っ!」
息を呑む。
今。
何か聞こえた。
「どうした」
男が聞く。
「いや……」
答えられない。
答えたくない。
図面を見る。
線。
線。
線。
その隙間。
紙の端。
小さな文字。
『約束』
固まる。
書いた覚えはない。
なのに。
見覚えがあった。
黒い水面。
浮かぶ写真。
『約束』
同じ文字だった。
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