第29話「線」
図面が増えてる。
その言葉だけが。
頭の中で繰り返される。
「……何言ってるんだ」
立ち上がる。
「知らん」
即答だった。
「だが騒ぎになってる」
聞き慣れた声。
少しだけ苛立っている。
珍しい。
「来い」
風呂場。
人が集まっていた。
村人。
手伝い。
いつもいる連中。
全員。
同じ場所を見ている。
「いたぞ」
誰かが言った。
一斉に視線が向く。
「……なんだよ」
嫌な予感しかしない。
人の間を抜ける。
そして。
固まった。
「は?」
図面だった。
見覚えのある紙。
だが。
違う。
増えている。
一枚。
もう一枚。
いや。
違う。
まだある。
机の上に広がっていた。
「これ……」
昨日はなかった。
いや。
今までなかった。
それだけは分かる。
「誰が描いた」
思わず呟く。
返事はない。
代わりに。
「それを聞きたいのはこっちだ」
後ろから声。
「全部お前の字だぞ」
鼓動が速くなる。
「……は?」
紙を見る。
文字。
数字。
線。
確かに。
見覚えがある。
ある気がする。
「そんなはず……」
ない。
そう言いたかった。
だが。
言えなかった。
紙を見た瞬間。
頭の奥が熱くなる。
ここ。
違う。
もっと曲げる。
こっち。
広すぎる。
無駄だ。
そんな考えが。
勝手に浮かぶ。
「っ」
慌てて目を逸らす。
なのに。
消えない。
「どうした」
「……いや」
答えられない。
分からない。
本当に分からない。
一枚の紙を取る。
線が引かれている。
複雑に。
何重にも。
だが。
不思議だった。
理解できる。
初めて見るはずなのに。
意味が分かる。
「ここ」
気付けば口が動いていた。
「この壁いらない」
静かになる。
全員。
俺を見る。
「ここ削れば」
指が動く。
「湯の流れが変わる」
誰も喋らない。
俺も。
何を言っているのか分からない。
「それで」
言葉が止まらない。
「こっちに回せる」
沈黙。
そして。
「……本当だ」
誰かが呟く。
「気付かなかった」
「いや待て」
「こっちも変わるぞ」
ざわつき始める。
俺だけが。
置いていかれる。
知らない。
本当に知らない。
なのに。
分かる。
頭じゃない。
もっと奥。
体が覚えている。
そんな感覚だった。
その時。
どくん。
鼓動が鳴る。
「っ」
一瞬だけ。
視界が揺れた。
黒い水。
浮かぶ写真。
『約束』
文字が見える。
前より。
はっきり。
「おい」
声で戻る。
風呂場。
図面。
人。
全部戻る。
だが。
胸の奥には。
まだ。
黒い水面が残っていた。
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