第23話「伸びる手」
無数の手が伸びた。
「っ!」
反射的に後ずさる。
黒い穴。
その奥。
水の中から。
何十本もの腕が這い出してくる。
人間の手。
だが。
妙に長い。
水に浸かり続けたみたいに、
白くふやけている。
そして。
全部。
俺の手だった。
「……は?」
言葉を失う。
指。
傷跡。
爪。
見覚えがある。
あるはずがないのに。
見覚えがあった。
「下がれ!!」
男が怒鳴る。
同時に。
最初の手が床を掴んだ。
べちゃ。
嫌な音。
次。
また一本。
また一本。
屋上のコンクリートを掴む。
「来るぞ!」
男が俺を引っ張る。
その瞬間。
ずるり。
穴の奥から。
何かが這い出てきた。
「っ……!」
喉が鳴る。
人だった。
黒いフード。
濡れた服。
赤い目。
見慣れた姿。
だが。
違う。
首が曲がっている。
腕も。
足も。
全部。
折れたまま。
それでも動いていた。
「……壊した」
そいつが言う。
俺の声だった。
「風呂を」
ごぼり。
また一人。
今度は。
胸が潰れていた。
「飛ばした」
俺の声。
ごぼり。
また一人。
顔の半分がなかった。
「完成させた」
俺の声。
穴の奥から。
次々と出てくる。
失敗した者達。
辿り着いた者達。
どちらなのか分からない。
ただ。
共通していた。
全員。
壊れていた。
「……」
男が歯を食いしばる。
「見るな」
「……」
「見続けるな」
声が硬い。
今までにないくらい。
焦っていた。
「なんでだよ」
思わず言う。
「なんで」
赤い目。
壊れた体。
俺の声。
全部。
俺に見える。
「なんで俺なんだよ」
静寂。
風が吹く。
フード達は答えない。
代わりに。
一番最初のフードが言った。
「お前だからだ」
頭の奥がざわつく。
「意味分かんねぇよ」
「分かる」
「分からねぇよ!」
「分かる」
同じ声。
同じ口調。
まるで。
俺自身と話しているみたいだった。
「思い出せば」
ぴちゃん。
どこかで水が落ちる。
「全部」
その瞬間。
視界が揺れた。
「っ……!」
頭痛。
知らない記憶。
また流れ込んでくる。
浴槽。
完成している。
湯気。
静かな水面。
誰かが笑っている。
その向こう。
フード。
赤い目。
そして。
俺。
浴槽の縁に立っていた。
自分で。
自分を見ている。
「——順番を守れ」
声。
俺だった。
「っ!!」
現実に戻る。
呼吸が乱れる。
「はぁ……っ」
男の顔色が変わる。
「何見た」
「……」
「何見た!」
また同じ質問。
でも。
今度は違う。
「……俺」
言葉が漏れる。
「俺がいた」
フード達が静かになる。
「風呂の前に」
頭が痛い。
それでも。
口が止まらない。
「順番を守れって」
言った。
沈黙。
数秒。
そして。
最初のフードが。
ゆっくり頷いた。
「そうだ」
赤い目。
まっすぐ俺を見る。
「やっと思い出した」
背筋が冷える。
「……何を」
フードは答えない。
代わりに。
黒い穴を指差した。
「入口だ」
ごぼり。
水音。
「何の」
「忘れた場所の」
空気が凍る。
男が顔を上げる。
「言うな」
低い声。
警告。
だが。
フードは止まらない。
「お前が捨てたものが」
赤い目が細くなる。
「全部そこにある」
次の瞬間。
黒い穴の奥で。
何かが開いた。
巨大な目だった。
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