第18話「上にいるもの」
ぴちゃん。
屋上扉の向こう。
確かに、水音がした。
「……っ」
喉が鳴る。
男が俺を見る。
「どうした」
「……水音が」
「は?」
びちゃ。
下の階段。
あの足音が、まだ近づいてくる。
逃げ場がない。
なのに。
スマホ画面。
『開けるな』
その文字だけが、妙に鮮明だった。
「おい!」
男が苛立った声を出す。
「何見てんだ!」
「……通知」
「は?」
『上は近い』
その一文。
頭の奥が、嫌にざわつく。
近い。
何が。
底?
違う。
もっと嫌な何か。
ぴちゃん。
また。
今度は近かった。
扉の、すぐ向こう。
「……誰かいる」
男の顔色が変わる。
「開けんな」
即答だった。
「でも下は——」
「上の方がヤバい」
びちゃ。
びちゃ。
階段の下。
黒い影が、確実に上がってくる。
逃げる場所がない。
「……どうすんだよ」
「黙れ」
男が低く言う。
呼吸が荒い。
焦っている。
初めてだった。
こいつがここまで余裕を失ってるの。
「……チッ」
男は周囲を見る。
狭い踊り場。
逃げ道はない。
その時。
ガタン。
屋上扉が、少しだけ揺れた。
「ひっ」
二人同時に固まる。
……内側から。
押された。
ぎぃ。
古い金属音。
扉が、ほんの少し開く。
暗い隙間。
そこから。
細く、水が流れ落ちてきた。
「……は?」
透明じゃない。
黒い。
どろりとした水。
扉の下から、
黒い水がゆっくり垂れてくる。
ぴちゃん。
ぴちゃん。
その奥。
誰かいる。
見えない。
でも。
“立っている”。
「下がれ」
男が小さく言う。
「見るな」
その瞬間。
隙間の奥で。
赤い目が光った。
「っ!!」
反射的に息を呑む。
次の瞬間。
ガン!!
扉が外側から叩かれた。
「うおっ!?」
建物全体が震える。
もう一発。
ガン!!
扉が歪む。
「クソッ……!」
男が後ずさる。
下。
びちゃ。
びちゃ。
下から来る。
上にもいる。
挟まれてる。
意味が分からない。
「なんなんだよこれ……!」
「静かにしろ!!」
怒鳴った瞬間。
下の足音が止まった。
「……」
沈黙。
ぴちゃん。
水音だけ。
嫌な静けさ。
そして。
階段の下から。
『——いた』
声。
頭の中じゃない。
今度は。
直接、聞こえた。
「っ……!」
男の顔から血の気が引く。
「……嘘だろ」
びちゃ。
一段。
びちゃ。
また一段。
ゆっくり。
上がってくる。
『見つけた』
ぞわり、と鳥肌。
声が違う。
さっきの“来い”とは違う。
もっと近い。
もっと濁ってる。
まるで。
水の中から喋ってるみたいな声。
「おい」
男が震えた声を出す。
「絶対、返事すんな」
「……」
「名前も言うな」
意味が分からない。
なのに。
本能が理解していた。
これは。
返したら駄目なやつだ。
びちゃ。
びちゃ。
ゆっくり。
階段を上がる音。
見えない。
なのに。
“いる”のが分かる。
そして。
『お前』
声が止まる。
すぐ下。
『何番目だ?』
空気が凍った。
「……は?」
番号。
順番。
またそれだ。
男が歯を食いしばる。
「答えるな」
でも。
頭の奥で。
別の声が響く。
『お前は、もう近い』
あのフードの声。
赤い目。
『思い出せ』
「っ……!」
頭痛。
視界が滲む。
一瞬。
見えた。
暗い空間。
大量の水。
並んだ影。
全部。
フード。
全部。
こっちを見ている。
その中の一人が。
ゆっくり。
フードを外した。
「——ぁ」
俺だった。
次の瞬間。
ガン!!!
屋上扉が吹き飛んだ。
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