第14話「前の俺」
「そのメッセージ、見せろ」
男が一歩近づく。
空気が変わっていた。
さっきまでの軽さがない。
妙に張っている。
「……なんで」
「いいから」
低い声。
俺は少し迷って。
スマホを見せる。
『そいつは底へ行かせたがってる』
男の視線が止まる。
「……は」
乾いた笑い。
でも目が笑ってない。
「マジかよ」
「なんなんだよ、これ」
「知らねぇ番号か?」
「さっきからずっと来てる」
「内容は」
「開けるな、とか。静かにしろ、とか」
男の顔が少しずつ険しくなる。
「……お前、それ」
言いかけて止まる。
「なんだよ」
「いや……」
男は視線を逸らす。
ゴミ捨て場の床。
黒い水。
まだ広がっている。
「普通、そこまで来ねぇ」
「は?」
「“向こう側”から干渉するの」
背筋が冷える。
「向こう側……」
「しかも直接」
男は小さく舌打ちする。
「最悪だな」
「だから何なんだよ、それ」
「知らねぇよ。俺だって全部知ってるわけじゃ——」
その時。
スマホがまた震えた。
画面。
通知。
『そいつを信じるな』
空気が止まる。
「……」
男も見ている。
数秒。
沈黙。
「……見せろ」
今度はさっきより強い声。
俺は反射的にスマホを引く。
「なんでそんな必死なんだよ」
「は?」
「お前こそ何なんだよ」
口に出した瞬間。
男の顔が歪んだ。
「……はぁ」
深く息を吐く。
「だから経験者だって言ってんだろ」
「それだけじゃねぇだろ」
「……」
「なんでそんな詳しい」
男は答えない。
代わりに。
黒い水を見る。
「……お前さ」
小さい声。
「最近、変な夢見てないか」
「……は?」
「知らない風呂」
「うっ」
「同じ場所」
「……」
「何回も行く」
息が止まる。
「……なんで」
「やっぱりか」
男は目を閉じる。
嫌そうに。
「最初は夢なんだよ」
「最初?」
「繰り返すと境界が薄くなる」
「だから意味——」
「鏡、見たろ」
言葉が止まる。
「……」
「水面も」
「……」
「覗いた」
心臓が跳ねる。
「……なんで知ってる」
男は少し黙る。
そして。
「俺もやったから」
その言い方。
妙だった。
ただの経験談じゃない。
もっと近い。
そんな感じ。
「……」
風が吹く。
ゴミ袋が揺れる。
その瞬間。
視界の端。
ゴミ捨て場の奥。
黒い影が見えた。
「は!?」
振り向く。
誰もいない。
でも。
一瞬。
フードみたいなものが見えた。
「……おい」
男の声。
「どうした」
「いや……」
言いかけて止まる。
今の。
見覚えがあった。
湯気の向こう。
暗い浴場。
石を積む背中。
フード。
「……」
頭が痛い。
ズキ、と。
変なノイズみたいな感覚。
その時。
スマホがまた震えた。
『思い出すな』
凍る。
「……は?」
指先が冷える。
なんで。
今。
それを。
「おい」
男が怪訝そうに覗き込む。
「今度はなんて来た」
画面を見せる。
男の顔色が変わる。
「……なんだよ、これ」
「俺が聞いてる」
「いや待て……」
男が初めて、
本気で困惑した顔をする。
「そこまで明かすのはおかしい」
「だから何が」
「普通、“思い出させない”方向には——」
言いかけて止まる。
その瞬間。
頭の奥で。
声がした。
『見るな』
ぞわっ、と鳥肌が立つ。
耳じゃない。
もっと内側。
「っ……!」
膝が揺れる。
視界が歪む。
湯気。
熱。
暗い石造り。
何人もの背中。
積まれていく石。
水音。
その奥。
黒い穴。
底。
そして。
その前に立っている。
フード。
ゆっくり振り返る。
見えた口元。
その瞬間。
呼吸が止まった。
——俺だ。
「え!?」
景色が戻る。
荒い呼吸。
夜風。
ゴミ捨て場。
「おい!」
男が肩を掴む。
「お前、何を見た!?」
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