28.煌びやかな世界の裏
オーバーカンプ男爵家に近衛騎士達がダニエラを迎えに来た。旅の間にダニエラを世話する侍女までわざわざ王宮から同行している。
辺境の地でほとんど平民同様の生活をしてきたダニエラを近衛騎士達や侍女はまるでお姫様のように丁重に扱う。彼女は、彼らの礼儀正しい態度と雅な雰囲気に気後れし、恐縮しっぱなしだった。
旅路でもそれは変わらなかった。
最初に宿泊する宿に到着すると、ダニエラは粗末なドレスを脱がせられ、馬車に積んであった高そうなドレスに着替えさせられた。侍女の前で下着姿になるのは恥ずかしかったが、自分1人で新しいドレスを着られないことが分かって侍女に着せてもらうしかなかった。
王宮に到着するまで一行は何度も宿泊した。彼らはそれぞれの町で最高級な宿をとった。その中でも1番よい部屋にダニエラはいつも宛がわれ、ダニエラはいつもその豪華さに目を丸くした。
だが、王宮の豪華さはその比ではなかった。ダニエラは、初めて足を踏み入れた王宮の煌びやかな世界に目を見張り、夢中になってキョロキョロと辺りをつい見回してしまった。
元々、堅実な性格のダニエラとて年頃の女性だ。それに田舎の貧乏男爵家出身で社交界デビューすらしていないのでは、そんな世界に免疫がなくても無理もない。
だがダニエラが雲の上の存在の高貴な王太子ジークフリートに初めて会った時、夢気分は吹っ飛んだ。彼女は5歳も年下だというジークフリートのオーラに気おされた。
「君がオーバーカンプ男爵嬢だね。顔をあげて」
「は、はい……」
ダニエラは、王太子の前でも建前と本音を隠せず、何の用件かと怪訝に思う様子を見せてしまった。
そんな彼女にジークフリートは、思ってもみなかった話を持ち掛けてきた。なんとオーバーカンプ男爵家に援助したうえで、彼女を王宮の侍女にして弟にも文官見習いの職を斡旋してくれるというのだ。
ダニエラは、その条件に惹かれ、すぐに彼の提案を了承しようとしたが、提案してきたジークフリートのほうから慌てふためいたような待ったがかかった。
「そ、その前に他にも条件がある。いや、こっちのほうが本題なんだ……」
王太子のように上に立つ立場の人間は命令すればそれで大抵のことは通るはずだろうに……ダニエラはそう怪訝に思った。
「君には最初、私の侍女をしてもらう。そこで様々な訓練を受けた後、国王陛下専属に移動することになる。陛下には従僕がいるから、彼から仕事を教えてもらうとよい。1ヶ月もしたら、彼は私専属に移動するから、君はほぼ1人で陛下に仕えることになる」
「王太子殿下と国王陛下の侍女ですか?! 田舎男爵の娘の私に務まるとは思えません!」
驚きの仕事内容を聞いてダニエラは目を丸くし、王太子の御前で取り繕うのを忘れた。
「身の回りの世話をするのは、他にも人員がいるから気にしなくてもよい」
「ですが、国王陛下には私だけで仕えることになるのですよね?」
「まあ、それでも他に人がいないことはない。だが君には他にしてもらいたいことが……」
ジークフリートは、急にもごもごと言い淀み始めた。ダニエラにとって雲の上の存在だったジークフリートが今や5歳下の年齢相応の少年に見え始めた。
「……殿下」
それまで影のようにひっそりと同席していた侍従ルプレヒトにジークフリートは促され、ようやく切り出した。
「その……未婚の君にこんなことを提案して申し訳ないのだが……君には、陛下を誘惑してもらいたい」
「ゆ、誘惑?!」
ダニエラは、目を見開いて口をあんぐり開けたが、王太子の御前とすぐに気づいて慌てて手で口を覆った。
「だから……身体の関係を持つことになっても、厭わない心構えでいてほしい。もちろん、成功報酬は別に払う。この条件が気に入らなければ、断ってくれてもよい。たとえ断っても、君と弟が王宮で働けるようには便宜を図る」
「か、身体の関係?! な、なんてこと!」
ダニエラは、高貴な王太子の御前であることも忘れ、わなわなと怒りに身体を震わせた。
「だが、たとえ国王陛下の寵愛を得ても、あくまで愛人だ。度を超えた贅沢をしないように分をわきまえていてほしい」
そこまで言われると、ダニエラの怒りは頂点に達した。
「私が貧しい家出身だからと言って馬鹿にしないでください!」
「君! 王太子殿下に不敬だぞ!」
「いや、ルプレヒト、いいんだ」
身を乗り出しそうになったルプレヒトをジークフリートが制止した。
「理由を話さなければ、納得してもらえるわけがない」
「ですが、殿下!」
「いや、私は説明するよ」
◇ ◇ ◇
ジークフリートがダニエラに話した身の上話は、いつかの夜会のバルコニーでアーデルグンデに話したものとほぼ同じだ。ただし、お人好しのダニエラの同情をひけるように、哀れさを強調した。
「私は光の王太子などと呼ばれて賞賛されているが、内実はそんなものではない。家族に恵まれず、孤独だ……」
アーデルグンデに同じ話をした時、ジークフリートは感情に飲み込まれそうになったが、2度目の今度はそんなことはない。打ちひしがれているように見えるのはあくまで振りだけだ。
どんなにひどい家族関係か、強調してダニエラに話した。もちろん、国王夫妻の離婚と退位を企んでいることまでは打ち明けない。
「……私が1番我慢ならないのは、王妃だ。君もアレのただれた噂を聞いたことがあるだろう?」
「ただれたとは、一体? ご旅行がお好きだとはお聞きしましたが……」
ダニエラは首を傾げた。王妃ヘルミネの噂は、社交をしない田舎住まいのダニエラ一家までには届いていなかった。仕方なくジークフリートは、母親の汚らわしい愛人関係の話をしなくてはならなかった。
「王妃には若い愛人や馴染みの男娼が何人もいるんだ。彼女が旅行に行くのは、うるさい王太后の目を避けてそいつらとイチャイチャしたいからさ」
「まぁ……」
ダニエラは、目を見開いて口に手を当てている。
「陛下は、そんな妃でも信じたくて仕方ないらしい。あんなに愛しているのに報われなくて哀れだよ。いつか真実を理解した時に陛下が壊れてしまわないか心配だ。だから、君みたいな純真な女性に陛下を支えてもらいたいんだ」
「でも……私など、国王陛下を支えられるような人間では……」
「君とは今日、初めて会ったけど、君のような純粋な女性なら、陛下の曇った目を覚まさせてくれると信じられるよ。これでも私は人を見る目があるつもりだ」
「ですが、私は教会の教えに反することは……」
ダニエラの怒りの形相は引っ込んだが、戸惑いの表情は隠せなかった。
保守的なアレンスブルク王国では、実態はどうであれ、夫婦は一生添い遂げるもの、愛人などとんでもないと特に女性には刷り込まれている。田舎の保守的な両親に育てられたダニエラも例外ではない。
「君が陛下を個人的に支えられるようになっても、君のせいで国王夫妻が離婚することはないよ。ただ、もうあの夫婦は破綻しているんだ。陛下が一方的に王妃に期待する状態を変えたい」
国王夫妻には離婚してもらうが、それは元々夫婦関係が破綻していたからであってダニエラのせいではない。だが、ジークフリートがそこまでダニエラに打ち明ける必要はない。
「でも……」
ジークフリートは、逡巡するダニエラをもう一押しした。
「それだけならまだ私的な問題で百歩譲って我慢もできよう。でも彼女は王妃として自分の振舞いがどんなに愚かで今の国情に害をもたらしているか分かっていない。国民は彼らを顧みない王妃に不満を持っている。このままでは、この国がどうなるか……」
「ですが、私が国王陛下にお傍でお仕えするようになったとしても、王妃陛下の地位は変わらないですよね? だとしたら、王妃陛下が国情に悪影響を及ぼすのを防げないのではないでしょうか」
聡明なダニエラは、痛いところを突いてきた。
「いや、国王の寵愛がなければ、王妃の影響力も下がるだろう。私もそう仕向けていくつもりだ。だが、なにより私個人がもうあの女に我慢ができなくなっているのだよ」
ジークフリートは、黄金の髪を掻きむしって叫んだ。
「ああ、アレを母と呼ぶのも汚らわしい! 確かにアレが私を産まなければ私はこの世にいなかった。それだけは感謝しているが……アレの存在そのものが、アレに関わるもの全てが汚らわしくて憎らしい。私も……私自身も汚らわしい!」
「そんな……殿下と王妃陛下は別の人間ですわ。殿下はこんなに国や国王陛下を心配なさっているではありませんか。僭越ながら、ご立派です」
人のよいダニエラは、怒りを忘れてジークフリートに同情しているように見えた。ジークフリートは、両親の不仲に悩む哀れな少年を演じてダニエラに懇願した。
「ありがとう……だから頼む。父に不実な母を忘れさせてくれ。父には不実な母以外に心の支えになってくれる人が必要なんだ。つまり、身体の関係がありきではない。父の心を母から引き離すためにそれが必要なら仕方ないが、まずは父に寄り添うことから始めてくれないか?」
ダニエラは、ジークフリートと国王フレデリックにすっかり同情してしまい、ジークフリートの提案を了承した。
その後、詳細な条件を詰め、辞職して結婚したくなった時には、それなりの縁談を用意するとジークフリートは約束した。
ジークフリートは、ダニエラを自分の侍女にして半年間詰め込み教育を施した。その中には娼館から派遣された閨の授業も含まれていた。
王侯貴族の大人の男性の身の世話は男性の従僕が行うことが常であったので、この配置には社交界で色々と憶測を呼び、その噂を聞いたアマーリエも心を痛めた。
半年後、予定通りにダニエラはフレデリック専属侍女に移動したが、夫に関心のないヘルミネは全く気にも留めなかった。




