第325話 中央銀行①
ここにきて俺を監視する気配が生じた。クラーク達は騎士団の所属だったらしいがこちらは違うようだ。なんとなくではあるが気配から受ける印象が違う。
おそらくは警察…
職質をされるのかと思っていたが、どうやら遠巻きに見ているだけのようだ。一応警戒しておくか程度のつもりらしい。
そんな感じに少し警戒を緩めた俺に対して突然エンジュが語りかけてきた。
《いきなりですが質問です… お金はどうやって生まれたのでしょうか? 》
本当にいきなりだな、だが興味深い…どうだっただろうか?
記憶を総動員して考えてみる。
確か物々交換をしている最中に交換したいものをお互いに持ってなくて取引不成立になることがあった。そこから何にでも交換出来るものを生み出して取引を円滑にするようにさせた。
それがお金だという話ではなかっただろうか?
《残念、不正解 》
はやっ… クイズならもっと溜めないか?
まあ、クイズでもないか…
《マスターの答えではあたかも物々交換で経済を作り上げていってそこに通貨が入り込んだという形ですね。しかし、そもそも物々交換で経済システムを作り上げることは不可能です 》
そうなのか? 頑張れば出来そうな気がするのだが…
《原始的な共同体で考えてみましょう。そこでは男性が狩りをして女性が採取や加工を行っています
一つの共同体の中で考えればみな同じような生産活動に従事することになるでしょう。そこでは男女や指導的な地位といった要因で役割を分担する事があっても成果物は分配され交換の必要性は薄いです
そもそも必要な物資を自分たちですべて生産できなければ生活が成り立ちません。成立するかわからない交換に頼れば全滅の可能性すら出てきます 》
ふむふむ…
《別の遠く離れた場所にある共同体で生産物が異なるならば交換するメリットは生じます。しかし、その場合、お互いにあらかじめ取り決めを行っておけばスムーズに交換が可能です。通貨の出る幕はありません 》
いや、それでも何かしら保存可能なものを通貨として噛ませた方が交換はスムーズに行くんじゃあないだろうか?
《その何かしらを通貨として、価値があるものとして認知させるには価値を保証させる何かが必要です。それは中央銀行のような力を持った上位の存在が必要となります。対等な共同体間だけでは無理です 》
それだったら、実質的な価値が有るものを使えば…
《そのものに実質的な価値があるならばそれは通貨ではなくて物品です。物々交換の域を出ません 》
なるほど、そうか…
《社会がさらに大型化・複雑化していき分業をするようになったとき、共同体内部で物品の交換は活発になっていきます。ここで問題が発生してきます 》
どんな問題だろうか?
《それぞれが生産する物品の特性が異なりすぎると交換が成立しづらくなると言うことです 》
特性とは?
《その最たる物は季節性でしょう。ある時期にしか生産することが出来ないものを専門的に生産している者はその限られた時期にしか生産物を得ることが出来ません。さらにそれが肉や魚、果物などの保存性が悪い物であればそれ以外の時期は交換に使える物がありません 》
それだと困るな…
保存性を高めればいいのでは?というのは本筋ではないのだろう。干したりして長く価値を保つことも出来るだろうがどれぐらい持つのかわからない。生の方が価値が高いとか言うこともあるだろう。
《そこで登場するのが… 》
通貨か?
《いえ、違います。債権です 》
債権… 返済の請求権とかの…
《はい、その債権です。自分が生産する予定の成果物、この場合リンゴにしましょうか。リンゴ十個を自分が生産した暁には引き渡すという債権を作って小麦などと交換すればまだ手元に生産物が無かったとしても交換が可能となります。債権の内容が債務であり債務内容を記載した証文を作り交換する仕組みが出来ました 》
なるほどな…
その債権は第三者に譲り渡すことが出来るんだろう。リンゴ十個の債権を得た小麦農家はそれを持って漁師のところに行き小麦と魚の交換を持ちかける。断られたらリンゴの債権を持ち出して交換を成立させてもいい。
ん? 待てよ…
いろいろな人間がいろいろな債権を持っているなら債権同士で交換したっていい。欲しい債権になかなか当たらないとしたら一ヶ所に集めて交換会をしたっていいんだ。
物品の遣り取りがない債権だけが集まるいちば…債権内容が記載された証文を債券とするならばそれが債券市場ということか… 言葉だけなら聞いたことがある。
《そうですね。話が前後しますが物品の交換を交換を促進させるための証文、いわゆる債券が貨幣となります。地球ではエジプトで発見された粘土板が最古の貨幣とされています。そこには債務者が債権者に小麦を支払うという内容が記載されていたそうですね 》
直接的に支払いに使える債券が貨幣と言ったところか。債券が貨幣として取引されて広く交換される社会が出来上がる。債券取引を巡るルールが整備されてさらに円滑に取引されるようになる。それこそが貨幣経済と言う物なんだろう。
《…では、最初の質問に戻りましょう。お金はどうやって生まれたのでしょうか? 》
ふむ… ここまで話をしてきてどうやらそんなに簡単な質問じゃないのは理解してきたぞ…
通貨が誕生したのは貨幣経済が出来た後だ。そして、現代社会では円とかドル、ユーロと言った通貨は中央銀行が発行している。いずれも国の機関だ。通貨は国が発行する物…力を持った国家と言うか統治者の誕生が必要不可欠…
もっと前だとどんな感じだ? 豊臣秀吉と徳川家康かもなんか大判小判とか発行していたな? 自分が天下を治めた証として発行していた意味合いがあるのだろう…
しかし、それでは弱い。権力的な意味ではなくもっと合理的で実際的な効果が欲しい。
貨幣だけだと都合が悪い面があるということか? 権力者になったのならばどう考える?
もっと経済が活発になって欲しいな… その方が税収が増える。
もっと効率よく交換がなされるようにはしたい… しかし、債券だけの交換だと価値を合わせるのが大変にならないか? 一対一だと釣り合わない物が多い気がする。組み合わせて価値が等しくなるようにして交換するという手もあるが面倒は面倒だ。
貨幣の価値を数値化できるようにするのはどうだろう?
そうすれば貨幣そのものを動かすことなく交換することが可能だ。通貨を発行すればそれが可能になる。
答えは強力な権力が誕生して制度を整えた時…
どうだ?
《う~ん、もう一声… 》
歯切れが悪い。当たらずとも遠からずと言った具合か? どこらへんが違うのだろう?
《ヒントは目の前にあるのですが… 》
目の前…? 目の前にあるのは中央銀行……
………………そうか、銀行か…
個人が債券を保管するのも面倒だ。それを預かってくれる場所があったのだろう。銀行に預けた時、銀行は預かり証のようなものを発行するはずだ。
最初は銀行に行って預けたものを引き出してから債券を交換し合っていたはずだ。だが次第にそれが面倒だと気付く者が出始める。
引き出しをしてから交換するより預かり証そのものを交換しあった方が早くね?って具合だ。そうすればわざわざ銀行に行って引き出す手間が省ける。
銀行自体は最初それに気がつかなかっただろうな… 日々の業務で手一杯のはず… それに預かり証を発行する側であって使う側じゃない…
やがて銀行がそれに気付くと今度は自分たちが主導権を握ろうとし始めるだろう。預かり証をもっと使いやすく価値を分割して数値化したいところだ。
《日本の紙幣にも何か書かれていましたね… 》
日本の紙幣… 日銀が発行する…
……日本銀行券……銀行券か… 発行したんだろうな… 銀行券を…
銀行は債券を受け取り銀行券を渡す。債権者は銀行に債券を売っているようなものだな。まあ、単に預けるだけの時もあっただろうが…
しかし、銀行券という仕組みにも穴はないだろうか? 例えば、銀行は銀行券をいくらでも発行出来そうだよな? 無節操に発行しまくったら価値が暴落してしまわないか? 何かしら価値の担保が必要になる。
銀行が保有している債券が価値になるということか? いや、債券だけじゃなくて物品も保有していたんだろう。
それでも価値の維持は大変そうだな…
銀行が火事になれば証文は燃えてしまうだろう。物品も無事では済まない。あるいは戦争が起こった時に債務者が軒並み死んでしまう事だってある。そうなれば債権の回収に支障が出る。
また、複数の銀行があった時、銀行券が何種類も存在することになる。銀行券同士の交換レートを決めなければならなくなるが、なんか複雑になりそうだな… 簡単にしたいところだ。
地域の銀行同士は手を結んでいたと考えられなくないだろうか? 地域で一番大きな銀行を中心にしてアライアンスを組んで共通の銀行券を発行する。
そうして、経済圏を作り上げつつ、他地域の銀行アライアンスと取引を行う。それをやりながらあわよくば吸収してしまおうと裏で手ぐすねを引いていたと…
航空会社もアライアンスを組んでいたな… 自動車会社も部品の共同生産とかいろいろ協定を結んでいたこともあったか…
JAXXでもBクラス以下では部品の共同購入とかあったっけな…確か… それとは違うか…
仕組みが大きくなってくると今度は国がそれに目を付ける。国が管理する中央銀行の誕生だ。国が価値を保証して国土全部に通じる更に巨大な仕組みを作ってしまえば銀行券の流通はスムーズになる。取引がしやすくなって経済は活性化するだろう。
その時に、国が管理する通貨が生まれた訳か…
となるとなんとも言えないな…
国が定めて発行する銀行券を通貨とするなら国が銀行システムを掌握した時が通貨の誕生した時と言えなくもないがそれ以前にも通貨のようなものは存在していた。
明確にいつだとは断定出来ないか…
《そうですね… 記録には残っていないでしょうが紆余曲折はあったでしょうし。長い歴史の中、いろいろな地域、時代で生まれては消えていったのでしょう… 》
残っているものだけが事実ではないと言うことだな…
《貨幣は先ほどまでの話のように、その根幹は債務にあります。債務を取引可能な形にしたものが貨幣ですがそこにはこの人であれば債務を履行してくれるだろうという信用があればこそです。銀行券やら様々な貨幣もそうですが通貨にも信用を勝ち得て価値を担保する必要があるわけですね 》
……そうだな……どのように価値を担保するべきか? 日本は変動相場制を取っていた。いや、地球ではと言うべきか。帝国もそんな感じだろう。
変動相場制だとどうするんだろうな? 何も無いように思えるんだが………
………
わからんな…
《では変動相場制の前はどうだったでしょうか? 》
変動相場制の前…前か…
確か…金本位制?
《正解。中央銀行が大量の金を保有してそれに応じた量の通貨を発行する仕組みですね。では、その前はどうでしょうか? 》
その前……ああ、金貨とか銀貨って世界か… それ以外には鉄とかで出来たものも有っただろうけど、要は、通貨を構成する素材そのものがある程度その価値を担保するとか言った具合だろう。それに加えて国家の威信やら信用やらが上乗せされるのか…
《そうです。高額のものほどそもそもの価値が高い素材で作り上げ価値を担保すると言うことですね。しかし、それだと素材がなければ通貨を発行出来ないと言うことになりませんか? 》
そうだな…金がなければ金貨を発行することは出来ない。他の素材も同様だ。しかし、広大な領地を持つような巨大帝国であれば素材の都合は付くんじゃないだろうか? 問題を起こさないようにすることは出来そうな気がするが…
《文明社会が発展するほどに生産技術は向上していきます。農地は開墾されていき面積は増加していきます。それに伴って人口が増えていけば更に生産力は増えていきます。それに対して鉱山は偶然の発見に因るところが大きいです。やがて物品の増加が通貨を上回ります 》
……そうなるとどうなるだろうか? 通貨は増えない。物は増えていく。それでは交換に支障が出てしまうな…
民間銀行が発行する銀行券とかが力を持ちそうだな。それだと中央銀行が出来る以前に逆戻りしてしまう。国の威信にも関わってくる。場合によっては国家の解体にも繋がるだろう。通貨を増やすことが急務になる。
《増やす方法はありますよ。まあ、増えるだけですが… 》
水増しをする……混ぜ物をして増やすと言うことか…
同じ額面でも質の良い物と悪い物が混ざって出回ることになる。現物信用が落ちている通貨だ。それだと国の信用分の担保価値も下がってしまうだろう。
額面よりも素材の価値が上回ってしまう。それだったら鋳潰してインゴットにしてしまった方がいい。いや、そこまでは行かないか? でも同じ額面なら現物価値が高い方の通貨は使わずに取っておいた方がいいな…
ああ、それが、悪貨は良貨を駆逐するというやつか…
《そうですね。でも、経済システムそのものが破綻するまではいかない様に思います 》
ん?………ああ、そうか。さっき俺が言ったようにそもそも通貨以外にも経済システムは存在すると言うことか。最悪、一時的には物々交換で凌ぐこともできる。
これは単に国家としての問題だ。国としてこの問題にどう対処するのか? そう言う問題か…
《現物通貨を発行することには限界がありました。そこで金本位制に移行していきます。中央銀行が保有する金の総量を元にして通貨を主に紙幣の形で発行していきます 》
それだったら混ぜ物とかできない。偽造とか考えなければの話だが銀行券そのものの質を気にする必要がない。ただの紙だから。
流通量にしても金のグラム当たりに発行する紙幣のレートを調整することで増やすことは可能だ。
《ええ… ですが実際そう簡単にはいきません。発行量を増やすためにレートを切り替える段階では相当な混乱を招きます。慎重にならざるを得ません。一番簡単な方法は金の保有量を増やすことですがそれが出来るなら現物通貨を維持することも可能だったでしょう 》
金本位制でも結局は生産物の増加に追いつけないということか…
通貨の流通量が増えないが物は増えていく。稀少な物は価値が上がるが沢山ある物は価値が下がる。単位通貨あたりに買えるものの量が増えていく。つまり、物が安くなっていくということだな。
《そうです。金本位制の下ではたびたびデフレーションを起こしていました。デフレの本質は通貨の流通量が足りないことにあります 》
そうかな? 逆に生産過剰であることが問題だと言えないだろうか?
生産を減らしていけばいずれバランスが取れるような気がしないでもない。
《そのような解決方法もあるでしょうね。実際に多くの場合そうやって解決されてきたと思います。しかし、生産の主体は人間です。生産を減らすと言うことは人間を減らすことに等しいと思いませんか? 》
……そうか
企業は倒産し多くの失業者が出ることになるだろう。社会が不安定化する。失業者は消費をしたくても出来ないからますます物があまりデフレに拍車をかけてしまう。
死人も出る。犯罪も増える。税収は減る。
生産が減るのを待つことは解決方法ではないな… 座して死を待つのはある種の美しさがあるのかも知れないが少しは足掻けよって思う。
《解決手段と言える方法が一つありますね… こちらも良く取られる方法と言っていいかもしれません 》
なんだろうか? 当てたくなるな…
物が余ってしょうがない状態だ。しかし、生産を減らすわけにはいかない。そうすれば失業者が増える。
いっそ、物の消費を無理矢理にでも増やしてしまうのはどうだろう? 需要を作り出してそれが供給を上回れば逆にインフレにすらなり得る。公共事業をやるか?
しかし、穴を掘って埋めるような事業では消費効果は弱い。もっとインパクトがあって燃やすように物資を消費する施策が必要…
………戦争か?




