三日目 ②
仕事が終わる頃には、朝から使えなかった社内システムも何事もなかったように戻っていた。
「結局何だったんですかね」
悠真が聞く。
「知らん」
田中はパソコンを閉じながら肩をすくめる。
「明日また止まったら、その時考える」
「今日考えないんですか」
「動いてるんだからいいだろ」
「適当だなあ」
「人生、全部原因探してたら疲れるぞ」
田中はそう言って立ち上がった。
「じゃ、俺帰るわ。娘と風呂入る約束してる」
「昨日ランドセル見せてくれた子ですよね」
「そう。最近一人で入れるくせに、俺が早く帰ると一緒に入りたがるんだよ」
「いいじゃないですか」
「今だけだぞ。来年になったらもう嫌って言われる」
「そんなすぐですかね」
「子供なんてすぐだよ」
田中は笑って手を上げた。
「お前もデート楽しんでこい」
「デートじゃないです」
「はいはい。また明日」
「お疲れさまです」
会社を出る。
夕方の空はまだ明るかった。
駅前へ着くと、美月はベンチに座ってスマートフォンを見ていた。
悠真に気づくと、立ち上がる。
「お疲れ」
「待った?」
「五分くらい」
「今日は早くないな」
「何その言い方」
「昨日十分待ってたって言ってたから」
「今日は学習したの」
「偉い」
「何で上からなの」
美月が軽く悠真の腕をたたく。
「で、今日は何する?」
悠真が聞くと、美月は少し考えた。
「ご飯食べたい」
「何?」
「何でもいい」
「一番困るやつ」
「悠真決めてよ」
「昨日は美月が全部決めたじゃん」
「今日は任せる」
「急だな」
結局、二人は駅近くの洋食店に入った。
夕食時には少し早かったため、店内はまだ空いている。
窓際の席に座った。
「昨日よりちゃんとした店」
美月がメニューを開きながら言う。
「ファミレスに失礼だろ」
「ファミレスも好きだよ」
「じゃあ言うなよ」
「今日はちょっと落ち着いたところがよかったの」
「何で?」
「話したいことあるから」
悠真はメニューから顔を上げる。
「何?」
「食べてから」
「気になるんだけど」
「じゃあ我慢して」
「昨日からそればっかりだな」
「何が?」
「気になることだけ残してく」
美月は少し笑った。
「悠真は急かしすぎ」
「俺?」
「そう」
「昔は逆じゃなかった?」
「昔の悠真は何でも『そのうち』だったね」
「今も大して変わってない気がする」
「だから少しくらい急いだ方がいいよ」
美月がそう言う。
悠真は何となくその言葉を覚えておこうと思った。
料理が届く。
しばらくは普通に食事をした。
仕事の話。
昨日買った服。
高校時代の友人の話。
それから食事が半分ほど終わった頃、美月がフォークを置いた。
「私さ」
「うん」
「転職しようと思ってるんだ」
昨日の話を悠真は思い出す。
「言ってたな」
「ちゃんと話してなかったけど」
「今の仕事嫌なの?」
「嫌ってほどじゃない」
「じゃあ何で?」
「もう少し違うことやってみたいなって思ってて」
「何するの?」
「まだ決めてない。でもいくつか見てる」
「いいじゃん」
「うん」
美月は水を一口飲む。
それから少し間を置いた。
「ただね」
「うん」
「こっちじゃないところも見てる」
「こっちじゃない?」
「県外とか」
悠真の手が少し止まった。
自分でも、その反応に驚いた。
「遠いの?」
「場所によるけど」
「東京とか?」
「それもあるし、もうちょっと遠いところも」
「へえ」
それしか言えなかった。
美月は悠真の顔を見ている。
「何?」
「いや」
「反応薄いね」
「どう反応すればいいんだよ」
「別に。普通でいいけど」
「転職したいならいいと思うよ」
「そう?」
「やりたいならやればいいじゃん」
悠真はそう言った。
言いながら、胸のどこかが少しだけ重くなる。
昨日。
今日。
二日間続けて美月と会った。
明日も会うような気になっていた。
なのに、もしかしたら近いうちに美月は遠くへ行く。
考えたこともなかった。
「頑張れよ」
悠真は続けた。
「美月なら何とかなるだろ」
美月の表情が少しだけ変わった。
「……そっか」
「何?」
「何でもない」
「またそれ?」
「今のは本当に何でもない」
美月は笑った。
でも、昨日までの笑い方とは少し違う。
悠真にもそれくらいは分かった。
「まだ決まってないんだろ?」
「うん」
「じゃあ決まってから考えればいいじゃん」
「悠真っぽい」
「またそれ」
「悪い意味じゃないよ」
「じゃあいいけど」
食事を続ける。
話題は自然に別のものへ変わった。
けれど、悠真の頭には「県外」という言葉が残っていた。
美月が遠くへ行く。
六年間会っていなかった時には、どこにいるのかすら考えたことがなかった。
なのに今は、たった数日会っただけで、遠くへ行くと聞いて少し寂しい。
自分でも勝手だと思う。
店を出る頃には、空は完全に暗くなっていた。
二人は駅へ向かって歩く。
「ごちそうさま」
美月が言う。
「割り勘だっただろ」
「店決めてくれたから」
「それだけ?」
「それだけ」
「じゃあどういたしまして」
美月が笑う。
少しだけ、いつもの感じに戻った。
悠真はほっとした。
そのことにも、自分で少し驚いた。
美月が笑っている方がいい。
そんなことを自然に考えていた。




