三日目 ①
朝、悠真はいつもより少し早く目を覚ました。
目覚ましが鳴る三分前だった。
枕元のスマートフォンを手に取る。通知が何件か並んでいたが、美月からのものはない。
昨夜、最後に送ったのは自分だった。
『また明日』
その文字を見て、悠真は自分でも少し変だと思う。
昨日までなら、誰かとのやり取りを朝一番に見返したりはしなかった。
「……何してんだろ」
スマートフォンを伏せる。
顔を洗い、着替えて、簡単に朝食を済ませる。
家を出る頃には、いつもの朝に戻っていた。
駅へ向かう途中、悠真はいつもの道を歩いた。
角を曲がったところで、少しだけ違和感を覚える。
「ん?」
足を止める。
いつも朝に寄る小さなパン屋が、閉まっていた。
休みなのかと思ったが、シャッターには何も書かれていない。
店先に出ていた黒板もない。
営業時間を書いた札も外されていた。
「今日休みか」
悠真はそうつぶやいて、そのまま通り過ぎようとした。
けれど、二歩ほど進んでから振り返る。
昨日までは確かに営業していた。
昨日どころか、一昨日もその前も。
朝になると焼きたてのパンの匂いが道まで流れてきていた。
シャッターの前まで戻る。
端に小さな張り紙があった。
『閉店しました。長い間ありがとうございました』
「……急だな」
閉店日も書いていない。
理由もない。
悠真は少し首をかしげた。
店の主人とは話したこともないし、毎日買っていたわけでもない。だから閉店すること自体は不思議ではない。
それでも、昨日まで普通に開いていた店が、何の前触れもなくなくなっているのは変な感じがした。
「まあ、そういうこともあるか」
時間を見る。
立ち止まっている場合ではない。
悠真は駅へ向かった。
会社に着くと、今度は社内システムの一部が使えなくなっていた。
「また?」
田中が画面を見ながら顔をしかめる。
「昨日も何か重くなかったですか」
「重かった。今日は完全に開かない」
「サーバー落ちてるんですかね」
「知らん。情報システムに聞いてみる」
田中が内線をかける。
少しして受話器を置いた。
「復旧未定だって」
「珍しいですね」
「まあ、そのうち戻るだろ」
その言葉を聞いて、悠真は少しだけ笑った。
「何だよ」
「いや。田中さんも『そのうち』って言うんだなって」
「お前に言われたくない」
「昨日美月にも言われました」
「お」
田中の表情がすぐに変わる。
「美月?」
「高校の同級生です」
「名前で呼んでるじゃん」
「昔からそうだからですよ」
「昨日も会った?」
「会いました」
「二日連続?」
「買い物に付き合っただけです」
「買い物」
「何ですか、その言い方」
「別に」
田中は明らかに面白がっていた。
「で?」
「で、って何ですか」
「進展」
「ないですよ」
「本当に?」
「普通に買い物して、高校の近く歩いて、雨降って」
「雨?」
「傘一本しかなくて」
「はい」
「何が『はい』なんですか」
「それで?」
「それだけです」
「一本の傘に二人?」
「他にないでしょう」
「水瀬」
「何ですか」
「お前、もう少し自分の状況を客観的に見た方がいいぞ」
「何の話ですか」
「そのうち分かる」
「またそれ」
田中は笑った。
結局、社内システムは昼前まで復旧しなかった。
そのせいで仕事が少しずれ込み、昼休みに入れたのも普段より遅かった。
悠真は食堂で簡単に昼を済ませる。
スマートフォンを見る。
美月からまだ連絡はない。
別に毎日連絡が来る約束をしたわけではない。
「また明日」
そう言っただけだ。
それでも、少し気になった。
返信欄を開く。
『今日どうする?』
そこまで打つ。
しかし送らない。
「いや、何で俺から」
昨日は美月から誘ってきた。
今日は仕事もある。
忙しいかもしれない。
そう思って文章を消す。
その直後、スマートフォンが震えた。
悠真は反射的に画面を見る。
『今日、仕事終わるの何時?』
美月だった。
思わず笑いそうになる。
『いつも通りなら六時前』
『終わったら会える?』
昨日までは、美月から誘われるたびに少し驚いていた。
今日は違った。
『会えるよ』
ほとんど迷わず送る。
すぐに返事が来る。
『じゃあ駅前で』
『了解』
それだけ。
でも昨日より自然だった。
まるで、何日も前からこういうやり取りをしていたような感覚がある。
「嬉しそうだな」
横から田中の声がした。
「見ないでくださいよ」
「見てない。顔見ただけ」
「本当に俺そんな分かりやすいですか」
「かなり」
田中はそう言って、自分の席へ戻っていった。
悠真は画面を消す。
朝のパン屋。
使えなくなった社内システム。
少し変なことが続いている。
でも今は、そんなことよりも。
仕事が終わった後、美月に会う。
その方がずっと気になっていた。




