六日目 ③
夕方。
二人は川沿いの遊歩道を歩いていた。
昼間より風が涼しくなっている。
空は少しずつオレンジ色に変わり始めていた。
川面に夕日が映る。
美月は白い猫のぬいぐるみを紙袋に入れ、大事そうに持っていた。
「今日結構歩いたね」
「疲れた?」
「少し」
「座る?」
「うん」
遊歩道の端にベンチがあった。
二人で座る。
目の前を自転車が一台通り過ぎる。
そのあとは、しばらく誰も来なかった。
「静かだね」
美月が言う。
「この時間いつもこんなじゃない?」
「そうだっけ」
「たぶん」
「たぶん禁止」
「まだそれ続いてたの」
「続いてます」
二人で笑う。
でも悠真は落ち着かなかった。
今日言う。
そう決めていた。
朝から何度も頭の中で考えた。
言葉まで考えた。
それなのに、美月が隣にいると全部飛んでいく。
「悠真」
「ん?」
「緊張してる?」
「何で」
「さっきから手動いてる」
気づけば、悠真は自分の指を何度も組み直していた。
「……少し」
「私も」
「美月も?」
「だって昨日の約束あるし」
「そうだった」
「忘れてないよね?」
「忘れてない」
美月が川を見る。
「じゃあ」
「うん」
「どっちから言う?」
悠真は少し考えた。
「俺から」
「いいの?」
「昨日、美月に明日言うって言ったから」
「私も言ったけど」
「じゃあ俺が先」
「分かった」
美月は膝の上に手を置いた。
悠真は一度息を吐く。
「高校の時」
「うん」
「俺、美月のこと好きだった」
言った。
思っていたより簡単だった。
六年間言えなかった言葉。
それが、たった一秒で口から出た。
美月は何も言わない。
「……何か言って」
悠真が言うと、美月が小さく笑った。
「知ってた」
「は?」
「知ってた」
「嘘だろ」
「分かりやすすぎたよ」
「じゃあ何で何も言わなかったんだよ」
「自信なかったから」
「知ってたんじゃないの?」
「たぶん、って感じ」
「たぶん禁止じゃなかった?」
「今はいいの」
美月が笑う。
でも目が少し潤んでいるように見えた。
「じゃあ、美月は?」
「言うよ」
「うん」
美月は一度下を向いた。
それから悠真を見る。
「私も、高校の時ずっと悠真が好きだった」
悠真は何も言えなくなった。
「……本当に?」
「うん」
「文化祭の写真」
「悠真と二人で撮れるって聞いて、緊張してた」
「傘の時は?」
「嬉しかった」
「卒業式は?」
「告白しようと思ってた」
「何でしなかったの」
「悠真が普通に『またね』って言うから」
「俺のせい?」
「半分は」
「残り半分は?」
「私が怖かったから」
美月は笑った。
少しだけ泣いている。
「何で泣くんだよ」
「泣いてない」
「泣いてる」
「夕日」
「関係ないだろ」
「じゃあ悠真のせい」
「何で俺」
「遅いから」
美月が目元を指で軽く拭いた。
「六年だよ」
「ごめん」
「ほんとに遅い」
「美月もだろ」
「私は待ってたの」
「何を?」
「悠真が言うの」
「だから分かんないって」
二人で笑った。
そのあと、悠真は少しだけ黙った。
まだ終わっていない。
高校時代の話は言った。
でも本当に言いたかったのは、その先だ。
「美月」
「うん」
「もう一個ある」
美月がこちらを見る。
「高校の時だけじゃない」
声が少し震える。
でも止めなかった。
「再会してから、毎日会って、話して。美月が遠く行くかもって聞いた時、普通に嫌だった」
美月は黙って聞いている。
「俺、六年間ずっと好きだったわけじゃないと思う。美月のこと全然考えてなかった時もあったし」
「うん」
「でも、今は」
一度息を吸う。
「今も好きだ」
言えた。
今度こそ。
先延ばしにしなかった。
美月は悠真を見たまま、何も言わない。
「……美月?」
「遅い」
「またそれ?」
「だって」
美月の目から今度こそ涙が落ちた。
「私も、今も好き」
悠真の胸の奥が一気に熱くなる。
「本当に?」
「何回聞くの」
「いや」
「私も好き」
美月が笑った。
「ちゃんと言ったからね」
「うん」
「聞こえた?」
「聞こえた」
「じゃあ忘れないで」
「忘れない」
二人の間に沈黙が落ちる。
でも今までとは違った。
何かを隠すための沈黙ではない。
言いたかったことを全部言ったあとの静かな時間だった。
「じゃあ」
美月が口を開く。
「これからどうする?」
「え?」
「両想いって分かったんだから」
「ああ」
「普通どうするの?」
悠真は少し考える。
「普通に付き合うだろ」
美月が笑う。
「普通って何」
「俺に聞くなよ」
「彼女いたことないんでしょ」
「美月はあるだろ」
「半年だけ」
「先輩じゃん」
「何の先輩」
「恋人の」
「嫌な言い方」
二人で笑う。
「じゃあ」
悠真は少し照れながら言った。
「付き合ってください」
美月は一度だけ瞬きをした。
そして、
「はい」
と答えた。
それだけだった。
特別な音楽もない。
花火もない。
誰も祝ってくれない。
川の音と、遠くを走る車の音だけ。
でも悠真には、それで十分だった。
「何か変な感じ」
美月が言う。
「何が?」
「今日から彼氏なんだ」
「そうらしい」
「他人事みたい」
「まだ実感ない」
「私も」
二人の手がベンチの上で近づいていた。
悠真は少し迷う。
そして、美月の手に自分の手を重ねた。
美月が驚いてこちらを見る。
「嫌?」
「ううん」
美月の指が少し動く。
そのまま手をつなぐ。
「高校の時にこれできてたらな」
悠真が言う。
「たぶん無理だったよ」
「何で」
「二人ともこんなだったから」
「確かに」
「でも今できたからいいじゃん」
「そうだな」
空はもうすぐ夕暮れを終えようとしていた。
悠真は、美月の手の温かさを感じながら思う。
今日ちゃんと言えてよかった。
本当に。
明日にしなくてよかった。
そのことだけは、間違っていなかった。




