六日目 ④
夕食は、駅近くの小さな居酒屋に入った。
「付き合った初日の夕飯がここ?」
美月が店の看板を見ながら笑う。
「嫌なら別のところ行く?」
「ううん。こういうのでいい」
「昼も普通でいいって言ってたな」
「だって普通がいいもん」
「初デートっぽい店とかじゃなくて?」
「今日一日ずっとデートだったでしょ」
「そうなの?」
「今さら?」
二人で店に入る。
カウンターではなく、奥の二人席に座った。
料理を何品か頼む。
さっき告白したばかりなのに、話す内容は今までとそれほど変わらなかった。
仕事。
高校。
田中のこと。
美月の転職。
「転職どうするの?」
悠真が聞く。
「たぶん、こっちに残る」
「俺のせい?」
「半分」
「半分なんだ」
「全部って言ったら重いでしょ」
「別に」
「じゃあ七割」
「増えた」
「残り三割は仕事」
「ちゃんと考えろよ」
「考えてるよ」
美月は笑う。
「でも、こっちに残ってもやりたい仕事探せるし」
「そうだな」
「悠真もいるし」
その一言に、まだ慣れない。
「何?」
美月が聞く。
「いや」
「嬉しい?」
「うん」
「素直になったね」
「今日から」
「続くかな」
「続ける」
「じゃあ期待しとく」
二人で食事をする。
美月がスマートフォンを出した。
「今度映画行こうよ」
「何見る?」
「まだ決めてない」
「じゃあ公開予定見よう」
美月が映画情報のページを開く。
しばらく操作する。
「あれ?」
「どうした?」
「開かない」
「通信悪い?」
「また最近のやつかな」
画面には、
『現在サービスをご利用いただけません』
と表示されている。
「明日見ればいいじゃん」
悠真が言う。
「そうだね」
美月はスマートフォンを置いた。
「じゃあ映画は明日決める」
「うん」
「あと水族館も行きたい」
「近くの?」
「遠い方」
「結構遠いぞ」
「泊まりで行けばいいじゃん」
「いきなり旅行?」
「嫌?」
「嫌じゃないけど」
「じゃあいつ行く?」
「来月くらい?」
「休み合わせないと」
「予定見るよ」
「私も」
未来の話が増えていく。
映画。
水族館。
旅行。
「クリスマスって何する?」
美月が聞く。
「まだ先だろ」
「すぐだよ」
「何したい?」
「イルミネーションとか」
「人多そう」
「彼氏がそういうこと言う?」
「事実じゃん」
「じゃあ人少ないところ探して」
「難しいな」
「時間あるでしょ」
「まあな」
時間ならある。
悠真はそう思った。
「誕生日いつだっけ」
「私?」
「うん」
「忘れたの?」
「月は覚えてる」
「日にちは?」
「……二十二?」
「二十四」
「惜しい」
「全然惜しくない」
「じゃあ二十四な」
「ちゃんと覚えて」
「何欲しい?」
「今聞く?」
「考える時間あるから」
「じゃあ考えとく」
美月が笑う。
「悠真の誕生日も祝うからね」
「別にいいよ」
「そういうの禁止」
「じゃあお願いします」
「素直でよろしい」
二人はずっと、これからの話をした。
次の休み。
来月。
冬。
来年。
まるで今日まで言えなかった分を埋めるように。
店を出た頃には、夜もかなり遅くなっていた。
駅前は昼より静かだった。
電光掲示板には運休の文字が増えている。
「今日電車少なくない?」
美月が言う。
「何かあったのかな」
「最近多いね」
「まあ明日には戻るだろ」
「そうだね」
それだけで終わった。
二人は駅まで少し遠回りして歩いた。
手をつなぐ。
最初は少し恥ずかしかったが、しばらくすると自然になった。
「今日、長かったね」
美月が言う。
「朝からいたからな」
「楽しかった」
「俺も」
「明日は?」
「仕事」
「知ってる」
「美月もだろ」
「仕事終わったら」
「会う?」
「うん」
「じゃあ会おう」
「何する?」
「今日みたいなのでいいんじゃない?」
「付き合って二日目なのに?」
「普通がいいって言ったの美月だろ」
「そうだけど」
「じゃあ飯でも食おう」
「どこ?」
「明日決める」
「また明日」
「今度は禁止なんだろ」
「覚えてたんだ」
「さすがに」
駅が近づく。
別れる場所。
六日前なら、ここで美月と再会することすら想像していなかった。
今は手をつないで歩いている。
「じゃあ、ここだね」
美月が言う。
「うん」
手を離す。
少しだけ寂しい。
「今日ありがと」
「何が?」
「いろいろ」
「俺も」
「ちゃんと言ってくれて」
「美月も」
「六年かかったけどね」
「もう言うなよ」
「一生言うかも」
「長いな」
「覚悟して」
二人で笑う。
美月が改札へ向かう。
途中で立ち止まった。
振り返る。
「悠真」
「何?」
美月が笑った。
「じゃあ、また明日」
何度も聞いた言葉だった。
でも今日は、今までで一番自然に返せた。
「また明日」
美月は手を振り、改札の向こうへ消えていった。
悠真はしばらくそこに立っていた。
それから一人で帰宅した。
家に着く。
服を着替える。
風呂に入る。
ベッドへ座ったところで、スマートフォンが震えた。
美月。
『家着いた』
『俺も』
『今日ほんと楽しかった』
『俺も』
『彼氏になった実感ある?』
『まだちょっと』
『ひどい』
『美月は?』
『ある』
『早いな』
『六年待ったから』
『またそれ』
悠真は笑う。
少しして、美月から新しいメッセージ。
『明日どこ行く?』
悠真は考える。
仕事終わり。
どこかで夕食。
映画の予定も決めたい。
旅行の話も。
話すことはいくらでもあった。
『起きてから決めよう』
送信。
『了解』
数分後。
『おやすみ』
悠真は画面を見る。
今日一日。
美月と出かけた。
ぬいぐるみを取った。
高校へ行った。
告白した。
恋人になった。
明日からは、今までとは少し違う毎日が始まる。
そんな気がしていた。
『おやすみ。また明日』
送る。
すぐに既読。
『また明日』
悠真はスマートフォンを枕元に置いた。
部屋の電気を消す。
暗闇の中で、今日のことを思い返す。
「言えてよかったな」
小さくつぶやく。
もし今日も先延ばしにしていたら。
また今度。
明日でいい。
そう言っていたら。
美月とはまだ昔の友人のままだった。
でも今日は違う。
ちゃんと言った。
それだけで、こんなにも明日が楽しみになる。
明日は仕事がある。
終わったら美月に会う。
映画の予定を決める。
来月の旅行も。
クリスマスも。
誕生日も。
これからいくらでも時間はある。
「明日か」
悠真は少し笑った。
目を閉じる。
眠りはすぐにやってきた。
町にも、いつものように夜が訪れていた。
住宅街の明かりが、一つずつ消えていく。
誰かが眠る。
誰かが明日の予定を立てる。
誰かが目覚ましをセットする。
誰かが、
「また明日」
と言って通話を切る。
朝になれば、また一日が始まる。
誰も疑っていなかった。
悠真も。
美月も。
この世界で暮らす誰もが。
明日が来ると信じていた。
SYSTEM NOTICE
SERVICE TERMINATION SEQUENCE STARTED.
00:00:10
00:00:09
00:00:08
悠真のスマートフォンの画面が一度だけ光った。
美月から新しいメッセージが届いていた。
『明日、楽しみにしてる』
00:00:07
00:00:06
00:00:05
悠真は眠っている。
通知には気づかない。
明日の朝に読めばいい。
美月も、そう思って送ったのだろう。
00:00:04
00:00:03
窓の外。
町の明かりが一つ消えた。
また一つ。
そしてまた一つ。
00:00:02
美月の部屋。
机の上には、今日取った白い猫のぬいぐるみが置かれていた。
その隣で、スマートフォンの画面が消える。
最後に表示されていたのは、悠真とのやり取りだった。
『おやすみ。また明日』
『また明日』
00:00:01
SERVICE TERMINATED.
ACTIVE USER : 0
ACTIVE PROCESS : 0




