第12話 規格外な独占欲
麓の町への買い出しから戻った陸光は、口角を上げてチラリと景安を一瞥した。
彼は籠を縁側に下ろすなり、ややわざとらしく、楽しそうに笑い声を上げる。
「いやぁ、今日も凄かったね。町に入るなり、にやけた男性陣やら商家の若旦那やらが、次から次へと群がってきちゃってさ。翠蓮姉さんがちょっと微笑んだだけで、みんな顔を真っ赤にして固まっちゃうんだもんなぁ」
「もう、からかわないでよ、陸光」
荷解きをしながら、翠蓮は形の良い眉をひそめて苦笑した。
彼女自身、自分が人目を引く容姿をしていることくらいは百も承知だ。だが、そんな表面的な美しさを褒めそやされても、彼女の心は少しも動かない。
「私はただ、道をあけてほしくて『そこを通してくださる?』って、愛想良く声をかけただけよ。だいたい男たちのいなし方なんて簡単だわ。熱烈な愛の詩を詠みだした男には『素晴らしい肺活量ですね、良い発声は武芸の基本です』って返したし、手を握ろうとしてきた不埒な奴には、関節を極めない程度に優しく手首を握り返して『なかなかの握力ですが、私には及びませんね』って微笑んであげたもの」
「あはは! 姉さんにそう言われた時の男たちの絶望した顔ったらなかったよ! 美人に微笑まれたと思ったら、ゴリゴリの武芸者視点で批評されるんだから!」
陸光がお腹を抱えて笑う。
翠蓮も「ふふん」と、どこか誇らしげに胸を張った。
彼女にとって「美人ですね」と言われるより、「見事な身のこなしだ」と武芸を褒められる方が、何倍も価値があり、嬉しいことなのだ。
──その時。
二人のすぐ近く、縁側でいつものように寝転がっていた景安が、物憂げに上半身を起こした。その顔には、おっとりとした、しかしどこか冷ややかな微笑が浮かんでいる。
「おや、お帰りなさい、お二人さん。随分と賑やかなことで……。わざわざ麓の町の、くだらない泥仕合の顛末を、この清浄な庵まで持ち込んでくださるとは、大層なお気遣いですね」
いつもの穏やかで丁寧な声。しかし、紡がれる言葉には一滴の容赦もない。それどころか、毒気はいつもの倍だ。完全に「最初からすべて耳に入っていました」と言わんばかりの嫌味だった。
「あら、景安。起きてたの?」
翠蓮がのぞき込むと、景安は流れるような動作で身を起こして座る。
「ええ、起きてしまいました。人がせっかく心地よく微睡んでいたというのに、耳元で虫の羽音を聴かされたような心地ですよ。本当に、不愉快極まりないですね」
景安は不機嫌な様子でぶつぶつと言う。
陸光は変わらずニンマリとした表情でそんな景安を見つめ、それから悪戯っぽく目を細めて、わざとらしく付け足した。
「あ、そうだ。最後に声をかけてきた清風門の若い衆なんて、かなりしつこくてさ。『麗しき君、もしよろしければ今宵、一献いかがですか』なんて、翠蓮姉さんの手を引き込もうとしたんだよねぇ」
瞬間、庵の空気が一変した。
景安の身体から、一瞬だけ肌を刺すような冷たい「気」が、隠しきれずに漏れ出す。
「……陸光」
景安はにっこりと、それはそれは美しい笑みを陸光に向けた。だが、その瞳の奥は完全に凍りついている。
「何のために二本の足が付いているのです? 柳姑娘の隣にいながら、我が物顔で群がる有象無象のひとりすら蹴り飛ばせなかったとは。清風門の連中は、身の程を知らない者も多いですが……お前のその身体も、ただの飾りでしたか。先代も、ずいぶんと無能な弟子を残していかれたものですね」
「えぇっ!? なんで僕がそこまでボロクソに言われるの!? 僕、一応兄さんのために報告してあげたんだけど!?」
あまりの毒舌のキレ味と、度を越した理不尽な八つ当たりに、陸光が本気の悲鳴を上げる。
一方の翠蓮は、景安がなぜそこまで辛辣になっているのか、理由がよく分からない。
「もう、景安ったら」
彼女は腰に手を当てて呆れ顔を見せた。
「陸光を怒らないでよ。その清風門の人なら、私がちゃんと『お誘いは嬉しいですが、今宵は我が師のぐうたらを治すための、苦丁茶を淹れる任務がありますので』って断っておいたわ。その人も、師匠を思う熱心な弟子の気持ちに感動して、大人しく諦めてくれたんだから」
実際は、翠蓮の言う「師匠」が、清風門の上層部すら恐れるあの「清虚剣仙・白景安」だと気づき、若い衆が恐怖のあまり泡を食って身を引いただけである。
「……私の、ぐうたら、ですか」
景安はゆっくりその言葉を反唱し、それからふ、と小さく吐息を漏らした。
陸光へ向けていた冷たい視線を和らげ、翠蓮へと視線を移す。その瞳には、呆れと、それを上回る過保護な色が混ざり合っていた。
「柳姑娘、少々無防備が過ぎます。男どもが下品な視線であなたを見ているというのに、なぜそう呑気なのですか。もう少し、ご自分の容姿が呼び寄せる不埒な輩に、警戒というものをしていただきたいですね」
「警戒って言われても……。実戦になれば、ちゃんと叩きのめすわよ?」
(……それに、私がこんなに無防備でいられるのは、あんたの前だけなのに)
そんな本音は恥ずかしくて口が裂けても言えない。
むくれたように言い返す翠蓮に対し、景安は立ち上がる……ことすら面倒そうに、そのまま縁側にゴロリと寝転がった。いつもの気怠げな調子で、ぼんやりと庭の木々を眺めている。
そんな彼の、どこか世界から切り離されたような横顔を見て、翠蓮の胸の奥が小さく疼いた。
(……景安が、一緒に町まで来てくれたらいいのに)
山から降りれば死に至るという、あまりにも不吉な予言。それを信じ、あるいは縛られるようにして、景安はこの庵から決して出ようとしない。いつも陽だまりの中で、時間が止まったかのように淡々と暮らしている。
けれど、山の麓にある町には、彼が知らない眩しいほどの世界が広がっているのだ。
活気に満ちた大通り、湯気を立てる肉饅頭の香ばしい匂い、露店で見かける色鮮やかな髪飾り。二人で並んで買い食いをしたり、茶館の片隅で、英雄たちの武勇伝を語る講談に耳を傾けたり──。
(あいつと、そんな普通の楽しい時間を、いっしょに過ごしてみたい)
ただの買い出しだったはずの町歩きが、景安の姿を思い浮かべただけで、特別で愛おしいものに思えてくる。そもそも、麓の町だってこの山の地続きなのだ。ほんの少し庵を出るくらい、あの恐ろしい予言の範疇には入らないのではないか。
(でも、このぐうたらな様子じゃ、普通に誘ったところで絶対に『面倒くさい』って断られちゃうわよね……)
どうにかして彼を外へと連れ出す名目はないだろうか。翠蓮は腕を組み、寝転ぶ景安の後ろ姿をじっと見つめながら、ぐるぐると作戦を練り始めるのだった。
景安からこれ以上のとばっちりを受けまいと、背後で陸光がすっかり気配を消し、戦々恐々としながら荷物の片付けに没頭していることにも気づかず、翠蓮は小首を傾げて思案を巡らせる。
すると、景安は頬杖をつきながら、のんびりと告げた。
「次の買い出しからは、あなたが他所の男に気安く触れられないよう、結界をあなたの周囲に常時張り巡らせておいてあげましょう。そうすれば、羽虫どもはあなたに触れる前に、勝手に吹き飛んで自滅しますから」
声音こそどこまでも優雅で丁寧だが、翠蓮を真っ直ぐに見つめるその瞳は、隠しきれない熱を帯びて揺れている。
「え? 気が散るから嫌よ。それより景安、私と──」
「お断りします。私は眠いので、絶対に動きません。柳姑娘、喉が渇いたのでお茶を淹れてください」
一方的に言い終えると、景安はふいと背を向けて、またいつものように丸くなってしまった。
一連の流れを横で見ていた陸光は、
「あ〜あ。兄さん、絶対に自分では動かないくせに、最高難度の結界を姉さんに四六時中着せるなんて。とんでもない過保護の独占欲だよ……」
と、規格外すぎる師兄の執着心に一人で戦慄しつつも、こみ上げる苦笑いを必死で噛み殺していた。




