第六話 血のうえの誓い
「お前は……今、何を視た」
鈴は、答えられなかった。
嘘をつこうにも、声が出ない。視てしまったものが、まだ瞼の裏で燃えている。燃える屋敷。倒れた人影。血に濡れた刀を握る、少年の柊。——その光景を見透かされまいと俯いた、その俯きかたがすでに答えになっていた。
柊は、長いあいだ、何も言わなかった。
やがて、ふっと肩の力が抜けるのがわかった。男は刀から手を離し、堂の床にゆっくりと腰を落とした。怒ってはいなかった。むしろその横顔には、ずっと隠してきたものをついに見られてしまった者の、奇妙な静けさがあった。
「……視えて、しまったか」
低い声だった。
「御影の念読みは、人の心の奥までも覗くと聞いていた。なるほど、刀の一振りに残ったものまで読むとはな」
柊は闇の向こうを見つめたまま、ぽつりと続けた。
「ならば、隠しても詮ないことだ。聞け。お前が視たものは、まことだ」
鈴の喉が、ひゅっと鳴った。
「十五年前のあの夜、おれは、御影の家を襲った者たちの中にいた」
雨の音が、どこか遠くで鳴っている。鈴は身じろぎもできなかった。
「当時、おれは十五。城に上がったばかりの、ただの小姓だった。なぜ御影が討たれるのか、その理由さえ知らされてはいなかった。ただ、命じられるままに刀を抜いた。——人を、斬った。御影の家の者を、この手で」
男の声は、淡々としていた。淡々としているぶん、かえってその奥の傷の深さが伝わってきた。
「炎の中を、わけもわからず進むうちに、おれは奥の間でひとりの男を見つけた。すでに深手を負っていた。誰かに斬られたあとだった。立つこともできず、それでもその人は、刀を杖にし、奥の襖を背に庇うように立とうとしていた」
柊の指が、膝の上でかたく握りしめられた。
「御影の、当主だった。お前の——父君だ」
鈴の息が、止まった。
父。会ったこともない、顔も知らない、その言葉。
「おれが近づくと、その人はおれを見た。斬りに来た者だと、わかっていたはずだ。なのに、その人は刀を捨てた。そして、おれの腕をつかんで言ったのだ」
柊の声が、はじめてわずかに震えた。
「——子を、頼む。奥が、娘を連れて逃げた。あの子だけは。あの子の血だけは、絶やしてはならぬ、と」
鈴の目から、堪える間もなく涙があふれた。
会ったことのない父。けれど、その人は死の間際に、自分のことを——まだ生まれたばかりの自分のことだけを、案じていた。母と、同じように。
「おれは、何も答えられなかった」柊は言った。「ただ、うなずくことしか。その人は、それで安心したようにこと切れた。おれの目の前で」
堂の中に、雨だれの音だけが落ちている。
「あの夜から、十五年。おれは、その誓いだけを胸に生きてきた。逃げた赤子を捜し出し、必ず守る。それが、おれにできるただ一つの償いだと思った」
柊は、ようやく鈴のほうを見た。
「お前を信じろとは言わぬ。おれを許せとも言わぬ。おれは、お前の家の者を斬った男だ。その事実は、消えぬ」
その目はまっすぐだった。
「だが、これだけは言える。おれは、お前を死なせはしない。お前が生きてあることだけが——あの夜おれが流させた血を、わずかでも意味のあるものに変える、ただ一つの道なのだ」
鈴は涙をぬぐうこともできず、ただその言葉を聞いていた。
この男を信じていいのか。わからなかった。家を滅ぼした側の人間。父を救えなかった——いや、救おうとさえしなかった男。
けれど。
これまで、誰ひとり自分のために命を懸けてはくれなかった。憑かれた娘、と石を投げられて生きてきた。その自分のために、この男は城を裏切り、刀を捨てる覚悟でここにいる。
胸の奥で、何かが小さく揺れた。
それでも、まだひっかかるものがあった。
さっき刀の中で視た、あの少年の絞り出すような声。「申し訳ございませぬ」——あれは、本当に父に向けられたものだったのか。それとも。柊は、すべてを語ったのだろうか。
問いかけようとした、そのときだった。
柊が、すっと片手を上げて鈴を制した。
その横顔が張りつめている。耳をすませている。
雨の音にまじって、遠く——けれど確かに、近づいてくるものがあった。
幾頭もの馬の蹄の音。そして、街道を駆ける松明の灯り。
「……早いな」柊が低く呟いた。立ち上がりざま、刀を腰に差す。「氷室だ。もう、ここまで嗅ぎつけたか」
男は鈴の腕を取り、堂の裏手へと引いた。
「走れるか。——いや、走るしかない。行くぞ」
夜明け前の、冷たい雨の中へ。二人は、再び駆け出した。




