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触れた物の記憶が視えてしまう ~忌み子と疎まれた下働きの娘は、絶えた血筋の最後のひとりだった~  作者: 智珠


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第五話 刃の記憶

雨は、夜更け過ぎになって、ようやく小やみになった。


柊が鈴を連れて入ったのは、街道からはずれた古い辻堂だった。屋根は半ば朽ち、本尊もとうに失われている。それでも、雨と風をしのぐには充分だった。柊は堂の隅に鈴を座らせ、自らは入り口近くに腰を下ろして、外の闇に目を配った。


濡れた小袖が、肌に張りついて冷たい。鈴は膝を抱え、そっと向かいの男を盗み見た。


御影。念読み。十五年前に滅びた家。姫君。——一夜のうちに、鈴の世界は、まるごと作り変えられてしまった。けれど、まだ何ひとつ、確かなものはなかった。この男が言ったことが、本当だという証もない。


なぜ、この男は、わたしを助けるのか。


城に仕える侍が、城に追われる血を、なぜ逃がす。腕をつかんだ手の強さも、命を惜しまぬような目も、すべて本物に見えた。けれど、鈴は人を信じる術を知らなかった。信じてよかったことなど、一度もなかったからだ。


知りたい、とまた思った。


この力でなら、知れるかもしれない。


柊は、外を見ている。その傍らに、鞘におさめた刀が、無造作に置かれていた。長く使い込まれ、柄の革は手の脂で黒ずんでいる。あれほど握り込まれた物には、必ず、念が宿っている。鈴には、わかった。


鈴は、息を殺して、にじり寄った。


柊は気づかない。鈴は手のひらの布をほどき、震える指先をそっとその鞘へと伸ばした。


指が、触れた。


——血の匂いが、いちどに鼻の奥を突いた。


雨。あの夜と、同じ雨。燃える屋敷。倒れ伏した人影。そのただ中に、まだ少年といっていいほど若い柊がいた。抜き身の刀を握りしめ、肩で息をして、立ち尽くしている。その足もとに、誰かが倒れていた。


少年の柊は、震えていた。刀の切っ先から、雨に混じって赤いものがしたたり落ちている。


倒れた誰かに向かって、少年は声を絞り出していた。


——申し訳、ございませぬ。この数馬、必ず……必ず……


そこで、雨が、すべてを白く塗りつぶした。


鈴は、はじかれたように手を引いた。


心の臓が激しく打っている。背に、冷たい汗がにじんでいた。


今のは、何だ。


あの夜、御影が滅びた雨の夜に、この男もいた。抜き身の刀を握って。血を流させて。


——では、この人は。わたしの家を滅ぼした、その側の人間なのか。


けれど、あの少年の目は。あの、申し訳ございませぬという絞り出すような声は。あれは、人を斬った者の顔だったのか。それとも、守れなかった者の顔だったのか。


わからなかった。視たはずなのに、わからない。かえってわからなくなった。


「……何を、している」


低い声に、鈴は凍りついた。


顔を上げると、いつのまにか柊がこちらを見ていた。鈴の手がまだ自分の刀の鞘の上にあるのを、その目がじっと捉えていた。


「今、おれの刀に触れたな」


柊の声は、静かだった。静かすぎて、かえって底が知れなかった。


「お前は……今、何を視た」


鈴は、答えられなかった。むき出しの指先が、まだ、かすかに震えていた。

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