第三十話 偽りの忠臣
本堂に駆け込んだ鈴を、警固の侍たちが取り囲もうとした。
「お待ちを!」鈴は藩主に向かって、必死に叫んだ。「わたしは、御影縁。十五年前に滅ぼされた御影家の、生き残りにございます。藩主さまに、どうしてもお聞きいただきたい訴えが——」
「狼藉者を、捕らえよ!」
警固の頭が怒鳴った。だが、藩主が片手を挙げ、それを制した。
「……待て」藩主は、鈴をじっと見つめていた。「御影、と申したな。先に、結城から聞いておる。よもや、この神聖な法要の場に現れるとは」
そのとき、結城が静かに進み出た。喪服のその姿は、いかにも亡き主君を悼む、忠臣のそれだった。
「殿。お痛わしや」結城は、深い憂いをたたえて言った。「これこそ、わたくしがかねてより申し上げていた、あの危うき娘にございます。御影の血を騙り、妖しき術にて人の心を惑わし、忠義の者を陥れんとする。——あまつさえ、おのれの企みを知る老医師・宗哲を、焼き殺した大罪人」
「違います!」鈴は叫んだ。「宗哲どのを、殺したのは——」
「お聞きください、殿」結城は、鈴の声を柔らかく押し被せた。「この娘は、亡き御父君の御霊が眠るこの聖域を、土足で踏み荒らした。それだけでも、許されざる無礼。どうか、即刻お引き立てを。これ以上、法要を穢させてはなりませぬ」
藩主の目に、迷いがよぎった。信頼する筆頭家老の、言葉。そして、父の法要を乱した、得体の知れぬ娘。天秤は明らかに、結城へと傾いていた。
「証が、ございます!」
鈴は懐から、油紙の包みを取り出し、高く掲げた。
「これは、宗哲どのが命を賭して遺された、覚書。先代の御藩主さまが——毒を盛られて殺められた、そのすべてが記されています。下手人の名も、ここに」
本堂がどよめいた。先代藩主、毒殺。その言葉の、あまりの重さに。
だが、結城は眉ひとつ動かさなかった。
「……ご覧の通りです、殿」結城は、痛ましげに首を振った。「死人に、口なし。亡き宗哲が書いたなどと、いくらでも申せましょう。あるいは、その娘がみずからしたためた、偽りの紙。妖術師の申すことを、真に受けられますな」
完璧な、受け答えだった。証人は死に、文字は誰にでも書ける。鈴が握りしめた、ただ一つの証は、結城のひと言で、ただの紙切れに貶められた。
「畏れながら、殿!」
声を上げたのは、久世だった。人垣をかき分け、進み出る。
「久世どの」藩主が、眉をひそめた。
「この覚書は、まやかしではございませぬ。わたくしが、保証——」
「殿」結城が、すかさず遮った。「その久世こそ、娘にたぶらかされ、共に藩を欺かんとする一味。その言葉に、何の重みがございましょう」
久世の言葉が、封じられた。すべて、結城の描いた絵図の通りに。鈴も久世も、もはや藩を惑わす罪人として、この場から引き立てられる——その寸前だった。
万策尽きたかに見えた、その時。
鈴は、まっすぐに藩主を見上げ、声を振り絞った。
「ならば——亡き御父君ご自身に、お尋ねください」
藩主の動きが、止まった。
「え……?」
「藩主さま」鈴の声は、震えていた。けれど、その目は澄んでいた。「あなたさまは、お持ちではありませんか。御父君が御最期まで、お側に置かれていたお品を。形見の、何かを」
藩主の手が、無意識に懐へと伸びた。その仕草を、鈴は見逃さなかった。
「わたしの力は、妖術ではありません。物に宿った、その人の想いを読み取る力。——どうか、その形見をわたしに。先代さまご自身に、その御最期を語っていただくのです」
「……たわけたことを」
初めて。結城の声が、ほんのわずかに鋭くなった。その、完璧だった面に、ひとすじの亀裂が走ったのを。鈴は見た。




