第二十六話 生き証人
結城の監視を欺くのは、容易ではなかった。
数日のあいだ、鈴は何もしなかった。屋敷にこもり、ただ御影再興の儀に従う、おとなしい娘を演じた。見張りを油断させるための、芝居だった。
その間に、久世がひそかに動いた。元御目付の古い伝手をたどり、侍医・宗哲の行方を洗ったのだ。
「……見つけたぞ」幾日かののち、久世が声をひそめて告げた。「宗哲は、生きておる。城下を遠く離れた山あいの寒村に、名を変えて隠れ住んでおった」
その夜。
鈴と柊は、久世の手はず通りに動いた。鈴の身代わりに、女中を寝所に寝かせ、灯りを灯したまま。二人は裏手から、闇にまぎれて抜け出した。柊が、見張りの目の死角を、巧みに縫う。鈴も、指先で人の気配を探りながら、進んだ。こうして、二人はようやく監視の網をすり抜けた。
夜を徹して、山道を急ぐ。
夜明け前、二人は目指す寒村に、たどり着いた。崩れかけた粗末な庵。久世の言う、宗哲の隠れ家だ。
戸を叩くと、しばらくして、痩せた老人が顔を出した。落ち窪んだ目に、怯えを貼りつかせた、その顔。かつて名医と謳われた面影は、もう、どこにもなかった。
「……どなた、じゃな」声が、震えている。
「宗哲どの、ですね」鈴は静かに言った。「わたしは、御影縁。十五年前に滅ぼされた御影家の、生き残りです」
御影、というその名に。
老人の顔が、凍りついた。そして、見る間に、その目に涙が盛り上がってきた。
「御影の……ご、生存者……。おお、おお……」宗哲は震える手で、口を覆った。「では、あなたさまも……あの男に、すべてを奪われたお一人か……」
二人は、中へ通された。
囲炉裏の乏しい火を囲んで。宗哲は、堰を切ったように、十五年誰にも言えなかった秘密を、語りはじめた。
「先代の御藩主さま。あのお方は、毒で殺められたのです」
鈴は息をのんだ。やはり。
「わたしが調じた薬に、何者かがひそかに毒を混ぜておった。少しずつ。気づかれぬように。御藩主さまは日に日に衰弱され……わたしは薬を検め、ようやく気づいたのです。されど、時はすでに遅かった」宗哲の声が、嗚咽に震えた。「わたしは訴え出ようとした。だが——その前に、あの男がわたしの前に現れた」
「あの男、とは」柊が問うた。
宗哲は、ごくりと喉を鳴らした。そして、その名を絞り出した。
「筆頭家老……結城式部、さま」
囲炉裏の火が、ぱちりと爆ぜた。
「あの御方は、こう仰せられた。御藩主さまは病で亡くなった。そう、診立てを書け、と。さもなくば——わしの郷里の家族の命は、ないものと思え、と」宗哲は、顔を覆った。「わたしは……怖かった。妻も子も、おりました。わたしは、屈したのです。偽りの診立てを書き、口をつぐみ、すべてを捨てて逃げました。——主君を見殺しにして」
老医師の痩せた肩が、震えていた。十五年、その罪の意識に苛まれ、ひっそりと朽ちようとしていたのだ。
「宗哲どの」鈴は、その手をそっと握った。「あなたは、生き延びてくれた。真実を抱えたまま。——それは、決して無駄ではありません」
鈴は、まっすぐに老人を見つめた。
「お願いです。その真実を、わたしに託してください。結城の罪を暴くための証が、要るのです。先代さまの毒のことを記したものか、何か——」
「……ござる」宗哲は震える声で言った。「あのとき、ひそかに書き留めた覚書が。毒の名も量も、すべて。いつか、罪を償う日のために、と」
宗哲が、奥の床下から、油紙に包んだものを取り出そうと立ち上がった、その時。
戸口の闇が。
ふいに、ざわりと動いた。
「——そこまでだ」
押し殺した、低い声。戸の外に、いくつもの黒い影が、音もなく立っていた。月の光に、抜き身の刃が、白く光る。
結城の手の者だった。
鈴の背に、氷が走った。
ここも、見張られていたのだ。生き証人の隠れ家を、結城が見逃すはずがなかった。
「縁さま、お下がりを」柊が刀を抜き、立ちふさがる。
老いた医師と、十五の娘。せっかくたどり着いた真実の覚書を、目の前にして。二人は再び、結城の刃に囲まれていた。




