第二十二話 筆頭家老
三日後、鈴は城へ、召し出された。
生まれてはじめてくぐる、城の大手門。聳える石垣、磨かれた廊下、行き交う侍たちの、ものものしさ。そのどれもが、鈴を圧した。ここが、藩の力の中心。そして——御影を滅ぼした、まことの敵が潜む場所。
通されたのは、広間だった。藩主が、上座に座している。その傍らに、ひとりの老臣が控えていた。
歳は、六十ばかり。痩せて、品があり、白い眉の下の目は、深い湖のように静かだった。物腰は柔らかく、その佇まいには、長年藩の頂に在った者の、揺るぎない貫禄が滲んでいた。
「縁よ」藩主が口を開いた。「これに控えしは、筆頭家老・結城式部。藩政を長く支えてきた、わしの右腕じゃ」
結城が鈴に向かって、ゆるやかに頭を下げた。
「御影のお血筋に、お目にかかれるとは。——結城に、ございます」その声は、低く耳に心地よかった。「此度のこと、まことに痛ましい限り。黒沢の所業、同じ家老として恥じ入るばかりにございます」
非の打ちどころのない、礼儀。深い憂いのこもった言葉。鈴は思わず、頭を下げ返しそうになった。
——けれど。
その瞬間、鈴の布を巻いた指先に、ぞわりと何かが触れた。
結城の纏う気配。それは、あまりに静かで、あまりに深かった。穏やかな水面の、その底に、底知れぬ冷たさが沈んでいる。黒沢のような、わかりやすい酷薄さでは、ない。もっと深く、もっと得体の知れない、何か。
鈴の肌が、粟立った。
「縁」藩主の声は穏やかだった。「黒沢の死は、まこと惜しい。あの者の口から、すべてを聞き出したかった。じゃが、案ずるな。佐倉の死は、必ず検める。そして、御影の家は——この結城に、再興の差配を任せようと思うておる」
「結城、さまに」鈴は、はっと顔を上げた。
「いかにも」結城が柔らかく、微笑んだ。「及ばずながら、この老骨、御影のお家の再興に力を尽くさせていただく所存。御身のお世話も、すべてわたくしどもが。——もう、何も案じられますな。あなたさまは、わたくしがお守りいたします」
守る、というその言葉が。
鈴の耳には、なぜか、檻の軋む音のように聞こえた。
広間を辞したあと、鈴は長い廊下を歩きながら、身を震わせていた。傍らの柊が、その様子に気づく。
「縁さま。いかがなされた。お顔の色が」
「柊さま」鈴は、声をひそめた。「あの、結城というお方……わたし、ぞっとしたのです。黒沢を見たときよりも、ずっと」
柊の足が、止まった。
「黒沢は、嘘で塗り固めた人でした。でも、あの方は違う。何の嘘も、ついていない。なのに、あの底に、冷たいものが淵のように淀んでいる」鈴は、自分の腕を抱いた。「うまく、言えません。でも——あの方の前にいると、すべてを見透かされ、静かに絡め取られていくような」
柊の表情が、険しくなった。
「……結城式部。藩で知らぬ者の、いない名だ」柊は低く言った。「先代の藩主の御代から、藩政を握ってきた大物。清廉にして、有能。誰からも、慕われている。——だが」
柊は、声を落とした。
「あの男が筆頭家老の座に上り詰めたのは。ちょうど、十五年前。御影が滅んだ、あの頃だ」
鈴の心の臓が、跳ねた。
十五年前。御影が消えたのと、同じ時。ひとりの家老が、藩の頂へと駆け上がった。
偶然、だろうか。それとも——。
廊下の窓から、城の天守が見えた。蒼い空を背に、それはひどく静かに聳えていた。まるで、すべてを見下ろし、すべてを呑み込む、巨大な影のように。




