第二十一話 消えた証言
菩提寺の対決から、五日が過ぎた。
鈴は、久世の庵に身を寄せていた。けれど、その暮らしはもう、追われる者のそれではなかった。
藩主の沙汰により、黒沢監物は捕らえられ、城の牢に繋がれた。佐倉の死を改めて検めるよう、お達しが下り、御影の家の名誉を回復する動きも始まっていた。下働きとして名すらなく蔑まれてきた娘は、今や御影家の、ただ一人の生き残りとして遇されている。
その変わりように、鈴はまだ戸惑っていた。
人が、自分に頭を下げる。「縁さま」と、呼ばれる。出された膳の美しさにも、夜具の柔らかさにも、慣れない。十五年、当たり前だと思っていた世界が、まるごとひっくり返ってしまった。
「妙な、心地がいたします」鈴は縁側で、久世に、ぽつりとこぼした。「ずっと、わたしはいてはいけない者だと思っていました。それが、急に……」
「無理もない」久世は穏やかに、笑った。「だが、それが、本来のそなたの居場所だ。ゆるりと、慣れていけばよい」
庭の隅では、柊が黙々と薪を割っていた。
あの日から、柊は鈴に、必要以上に近づこうとしなかった。母を斬ったという事実が、二人のあいだに消えぬ影を落としている。鈴も柊も、それをわかっていた。簡単に埋められる溝では、ない。それでも、柊は変わらず、鈴のそばにいてくれた。守る者として。それが、せめてもの彼の贖いなのだろう。
鈴は、その背をそっと見つめた。長い時間がかかる。けれど、いつか。
——そう思っていた、矢先のことだった。
表の戸が、慌ただしく叩かれた。
久世が、応対に出る。やがて、戻ってきたその顔は、ひどく強ばっていた。手には、城からの書状が握られている。
「久世さま」柊が薪を割る手を止め、立ち上がった。「いかがなされた」
久世はしばらく、言葉を探していた。そして、低く告げた。
「黒沢が……死んだ」
鈴は息をのんだ。
「死んだ……?」
「今朝、牢の中でこと切れているのが、見つかったそうだ」久世は書状に、目を落とした。「毒を、あおったらしい。自害として、片づけられようとしておる」
「自害……」鈴は呆然と、呟いた。「あの、黒沢が」
「おかしいとは、思わぬか」久世の目が、鋭く光った。「あの男は、保身のためなら、何でもする男だ。生き延びるためなら、誰彼かまわず罪をなすりつけ、命乞いをするはず。そんな男が、おとなしく自ら死を選ぶ——そんなことが、あろうか」
座が、しんと静まった。
「では」柊の顔が強ばった。「誰かが黒沢を、口封じに……」
「厳重な牢だ。番人を抱き込み、毒を運び込めるほどの者となれば」久世は、声を落とした。「相当の地位と力を持つ者。——黒沢の背後に、まだ誰かがおる」
鈴の背筋に、冷たいものが走った。
母の文には、こう記されていた。黒沢は、御影の力を恐れる城の上つ方と謀った、と。あの夜、御影を滅ぼしたのは、黒沢ただ一人では、なかったのだ。その、まことの黒幕が——今も、城のどこかにいる。
そして、その者にとって、もっとも危ういのは。
「縁さま」久世が鈴を、まっすぐに見た。その目には、隠しきれぬ憂慮があった。「黒沢は死をもって、口を閉ざされた。これで、十五年前の真相は闇に葬られた——黒幕は、そう考えておる。だが、ただ一つ計算違いがある」
「……わたし、ですね」鈴は静かに言った。
久世は、重くうなずいた。
「そなたは、物に宿った念から真実を読み解く。黒沢を葬っても、そなたが生きている限り、いつか、その者の罪も暴かれかねぬ。——黒幕は必ず、次はそなたを、消しにかかる」
風が、止んでいた。
ようやく、差したと思った光は。まだ、本当の闇を照らしてはいなかった。
御影の物語は、まだ終わっていない。




