第十八話 御前にて
菩提寺の山門前は、参詣の供揃えでものものしかった。
藩主の一行が本堂での読経を終え、表へ出てくる。その傍らには、当然のように黒沢監物の姿があった。罠を仕掛けた当人が、獲物の現れるのを静かに待ち構えている。
三人は人垣を割って、進み出た。
「畏れながら——」
久世が声を張った。その名と姿に、供の侍たちがざわめく。元御目付の久世を、知らぬ者はいない。
「久世どのか」藩主が足を止めた。穏やかだが、油断のない目で久世を見る。「役を退いた身が、行列の前に立ちふさがるとは。よほどの、仔細があるのだろうな」
「ございます」久世は深く頭を下げた。「藩のご政道に関わる、火急の訴え。なにとぞ、この場にてお聞き届けを」
藩主の視線が、久世の後ろの鈴と柊へと移った。
そのときだった。
「殿」黒沢が進み出た。穏やかな、よく通る声だった。「お控えくださいませ。その娘は——巷を騒がす、騙りの者にございます」
鈴の心の臓が、跳ねた。
「先ごろより、滅んだ御影の家の血を騙り、藩を乱さんとする不届き者がいると、噂がございました」黒沢は淀みなく、続けた。その顔には、憂えるような忠義の色さえ浮かんでいる。「久世どのはおそらく、その者にたばかられておられる。お年を召され、人を見る目も鈍られたのでしょう。——殿、このような者の戯言にお耳を貸されますな」
なんという、舌だ。
鈴はぞっとした。黒沢は、嘘をまるで真実のように語る。むしろ、こちらが嘘をついているかのように聞こえてしまう。
「久世どの」藩主の声に、わずかな疑念が混じった。「黒沢の申すこと、まことか。そなた、騙りの者に担がれてはおらぬか」
「殿」久世はひるまなかった。懐から母の文を取り出し、捧げ持つ。「これを、御覧くださいませ。御影の奥方が、滅びの前に遺された直筆の文。御影が、なぜ滅ぼされたか。その、まことの理由が記されております」
供の者が文を受け取り、藩主へと渡す。藩主が、それに目を落とした。
読み進めるにつれ、その表情が険しくなっていく。文には、黒沢の名がはっきりと記されているのだ。
「……黒沢」藩主が低く言った。「これは、いかなることだ」
だが、黒沢は眉ひとつ動かさなかった。
「殿。古びた紙に、いかようにも書けましょう」黒沢は静かに、笑んだ。「亡き者の直筆など、誰に、確かめられましょうや。これこそ、この久世と娘が、忠臣を陥れんとしてこしらえた、偽りの文。——その証拠に」
黒沢はすっと、鈴を見据えた。その目の奥に、はじめて酷薄な光がよぎる。
「真と申すなら、証を、立ててみよ。立てられまい。——所詮は、紙切れ一枚の絵空事よ」
藩主の目が、再び迷いに揺れた。一通の文と、長年信を置いた重臣の言葉。天秤はゆっくりと、黒沢へと傾いていく。
このままでは。
鈴は一歩、前へ踏み出した。
「——証なら、立てます」
凜とした鈴の声が、山門前に響いた。供の者も、藩主も、黒沢も、一斉にその小さな娘を見た。
「わたしは、御影の当主が娘、縁。御影の血を継ぐ者には、ひとつの力がございます。物に宿った、人の念を——その最期の記憶を、読み取る力が」
鈴は、まっすぐに藩主を見上げた。
「殿。どうか、わたしに検めさせてくださいませ。——黒沢さまの、お腰の脇差を」
黒沢の、穏やかな笑みが。
その瞬間、はじめて凍りついた。




