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第4話 夜の自室

自室に戻った。


二十時。妹がリビングでバラエティ番組を見ている音が、薄く壁を通って聞こえる。父は風呂、母は台所。

一人になる時間が、ようやく取れた。


ドアの鍵を閉める。カーテンを閉める。

机の上の蛍光灯のスイッチだけを点けて、部屋の明度を落とす。


椅子に座った。

右手を膝の上に置く。


順番に確認する。


火。指先に、蝋燭ほどの炎。問題なし。

水滴を指の腹に。出る。

風。手のひらに、息を吐く程度の微弱な気流。これも健在。

土の指先で、机の埃が薄く寄った。問題なし。

雷——親指と人差し指の間で、青白い火花が一瞬弾けた。

光、闇、聖。すべて、確認した。


全属性、健在。

異世界で十年磨いて、最後に魔王と相打ったはずの勇者のチートが、十八歳の体にまるごと残っている。


最後に、聖魔法。

親指の腹に、五分前、教科書をめくった時に切った薄い紙の傷があった。

そこに、回復魔法を最低出力で当てる。


一秒で、傷が消えた。


長く息を吐いた。

確認は、終わった。


机の引き出しから、小さな手鏡を取り出した。

母が、俺が中学の頃に使えと買ってくれた、安物の手鏡だ。

そこに、自分を映した。


十八歳の藤宮颯の顔。平凡な高校生の顔。

ただ、目だけが、十年戦場を歩いた男のそれだ。


鏡の中の自分が、ゆっくりと震えた。


——昨日。

魔王の胸に左手を当てて最後の魔力を流し込んだ、あの白い光の感触。

まだ、左手の腹に残っている。

十年と、一秒で巻き戻された、あの白い光だ。


そして、視界に、戻ってきた。


凛が最後に俺を庇った、剣の角度。

雪乃は自分の魔法陣に呑まれた。声は、最後まで上げなかった。

美月の手の温度。最後の回復魔法を、俺の胸に注ぎ込んだ、あの温度。

——真白の、振り返らないと決めた背中も。

玲が消えた前夜、酒場のテーブルにグラスがひとつ、残っていた。


全部、覚えている。一秒も、一語も。


鏡を机に伏せた。


抑えていた何かが、十年分、勝手に目から落ちた。

声は出さなかった。出す資格が自分にあると、思えなかった。


涙が、机の上で小さな丸を作って滲んでいった。


そして、誓った。


「もう、誰も、失わない」


これが、十年戦場で抱えて言葉にできなかった本心だ。

もう一つは、これを守るための技術。


「もう、正体は、明かさない」


正体が明かされれば、誰かが俺の隣に立つ。隣に立てば、戦う羽目になる。戦えば、死ぬ。

凛が、雪乃が、美月が——真白も玲も、そう。俺の隣にいたから死んだ。

だから隠す。最強の勇者は、ここにはいない。


涙を袖で拭った。

鏡を再び立てた。


鏡の中の目が、ようやく十八歳の目に戻った。


## シーン4 スマホ、神隠しのニュース


涙の塩気を唇の端で確かめながら、机の上のスマホに手を伸ばした。


ニュースアプリを開く。

検索窓に、四文字を打ち込む。


神隠し。


候補が並んだ。

「桐ヶ谷沿線 神隠し」「相次ぐ失踪 沿線」「神隠し 警察 捜査」。


トップ記事を、開いた。


『桐ヶ谷線沿線、相次ぐ失踪事件 一ヶ月で四件』


いずれも十代後半〜二十代前半の女性。深夜から早朝にかけて、自宅もしくは駅周辺で姿を消したまま、行方が知れない。警察は通常の失踪事件として、家族関係・交友関係を含めて捜査中。


文字を、目で追う。

だが、それより速く、頭の中で別の情報が立ち上がっていく。

失踪地点、日時、目撃証言の有無。


記事に添付された地図。

失踪地点が四つ、赤いピンで落とされていた。

桐ヶ谷駅の北口路地。隣の駅の踏切脇。さらにその隣の駅の、深夜帯のコンビニ前。そして四件目は明日、自分が登校で必ず通るロータリーの裏の路地だ。


指先が、画面の上で固まった。


もう一度、地図を拡大する。

失踪地点ひとつひとつの上空に、薄く、何かが見えた。魔素の、残滓だ。


こちら側の人間には見えない。視覚情報ではないからだ。地図上の点を見るだけで、十年戦場で叩き込まれた感覚が、そこに残る薄い魔素の濃度を教えてくる。


"あちら側"の、それだ。

こちら側に、何かが染み出している。あるいは、染み出させている誰かがいる。


「……関わるな」


声に出して言った。自分への命令だ。

平穏に生きる。家族の前で味噌汁を啜って、妹に「お兄」と呼ばれて、母の声を二度と失わない。

そのために、関わるな。


だが。


異世界で最初に俺が動いた理由は、何だった。

——目の前で、見知らぬ村娘が魔物に襲われていたから。

あの時、見て見ぬ振りができていれば、たぶん十年戦場にはいなかった。

凛も、雪乃も、美月も、巻き込まずに済んだ。

たぶん、そうだ。


だがそれは、見知らぬ村娘を殺したということでもある。


鏡の中の自分が、笑った。

勇者の顔ではない。十年戦場で結局、お人よしを殺せなかった男の顔だ。


スマホを机に伏せた。

失踪地点の地図が、瞼の裏に焼き付いて消えなかった。


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