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第98話:氷の女王の降伏と、本物の恋人たち

放課後。

冴木の失格と、俺の「繰り上がり十位」という事実を引っ提げ、俺と奏羽、そして零さんの三人は、凪瀬家の本邸へと向かっていた。

冬の風は冷たいが、奏羽と俺の首元にはお揃いのマフラーが巻かれ、俺の左腕には彼女の右肩がしっかりと密着している。


「……着いたな」

「うん。……お母様、どんな顔するかな」


奏羽の声に、以前のような怯えはなかった。

零さんがインターホンを押し、重厚な門が開く。俺たちは、最後の審判が待つリビングへと足を踏み入れた。


 * * *


革張りのソファには、相変わらず一分の隙もない着物姿の凪瀬夫人が腰掛けていた。

手元のタブレットには、学校から送られてきた最新の成績表——冴木の名前が消え、俺が十位に繰り上がったデータが表示されているはずだ。


「……失礼いたします、お母様」

「失礼します」


俺たちが頭を下げると、夫人はゆっくりと顔を上げ、俺たちの姿を冷ややかに見据えた。


「……結果は、一条さんから詳細に報告を受けています。……特進クラスの生徒の失格による、繰り上がりの十位。……風森さん。貴方はこの結果を、自分の『実力』だと言い張るつもりですか?」


夫人の声は、冷房の効いた部屋よりもさらに冷たく、俺の覚悟を試すように響いた。


「いいえ」


俺は真っ直ぐに夫人の目を見つめ返し、はっきりと答えた。


「俺の実力は、あと一点及ばない十一位でした。……ですが、俺はこの数週間、奏羽と一緒に死ぬ気で勉強しました。百二十位からここまで上がれたのは、彼女が俺を信じてくれたからです」


俺は、隣で俺の腕に体重を預けている奏羽を見た。


「俺は、十一位という結果に甘んじるつもりはありません。……でも、彼女を連れて行かないでください。俺が何度でも挑戦します。彼女の隣に立つに相応しい人間になるまで、絶対に……!」


俺の直訴に、リビングは水を打ったように静まり返った。

凪瀬夫人はしばらく無言で俺を見つめ、やがて、小さくため息を吐いた。


「……風森さん。貴方は本当に、頑固ですね」

「……」

「奏羽。貴女は、本当にこの風森さんでなければダメなのですか? 繰り上がりでしか条件を満たせないような人間に、貴女の将来を預けるというのですか」


夫人の鋭い問いかけに、奏羽は一歩だけ俺から離れ、自らの足でしっかりと立ち、母親を真っ直ぐに見据えた。


「はい、お母様」


その声は、かつて母親の顔色を窺っていた「氷の令嬢」の面影はない、一人の自立した人間の言葉だった。


「わたしは、もうお母様の期待する『完璧な娘』には戻れません。……夜も一人で眠れないくらい弱くて、不器用で。でも、湊くんが隣にいてくれるから、わたしは自分の足で立っていられるの」


夫人の眉が、僅かにピクリと動いた。


「……それは、凪瀬の家名を傷つけるだけの、ただの『依存』ではないのですか?」

「違います」


奏羽は、迷うことなく言い切った。


「わたしは、湊くんに甘えているだけじゃありません。彼がわたしのために必死に戦ってくれているから、わたしも生徒会長として、誰にも負けない結果を出せる。……これは、お互いを高め合うための、わたしにとって必要な強さです」


「……」


「お母様。わたしは、絶対に海外には行きません。……湊くんが十位に入れなかったのなら、わたしが何度でも湊くんを教えます。湊くんの隣にいることは、誰にも、お母様にも譲りません!」


娘からの、明確な決別と自立の宣言。

リビングに、重い沈黙が流れた。


凪瀬夫人は、しばらく無言で娘の顔を見つめ、やがて視線を俺へと移した。

そして、深く、長い溜息を吐き出した。


「……分かりました。私の負けです」


「え……?」

俺と奏羽が同時に声を上げる。


夫人はタブレットをテーブルに置き、初めて、その表情を和らげた。

氷の女王の仮面が剥がれ、そこにはただの「母親」の顔があった。


「……繰り上がりとはいえ、十位以内に入ったことは事実。そして何より……奏羽、貴女がそこまで強い目をして自分の意志を貫くようになったのなら、私がこれ以上口を挟む理由はありません」


「お母様……!」


「風森さん」

夫人が、俺を静かに見つめた。


「貴方が、私の娘をここまで変えたのですね。……私の知る、従順で完璧だった人形を、随分と泥臭く、そして……たくましい人間に」

「……すみません」

「謝る必要はありません。……約束通り、奏羽の海外転校は白紙とします。そして……貴方たちの関係や同棲生活について、今後、私から干渉することは一切やめにします」


「……っ!!」

「本当ですか、お母様!?」


奏羽が目を輝かせて尋ねると、夫人は「ええ」と短く頷いた。


「ただし、一条さん。生徒会としての監視は引き続き頼みますよ。学業がおろそかになれば、容赦なく報告しなさい」

「承知いたしました、奥様。……ですが、この二人ならもう心配いらないでしょう」

零さんが、眼鏡の奥で優しく微笑んだ。


「……やったぁぁぁっ! 湊くん、湊くん……っ!」

夫人の言葉を聞いた瞬間、奏羽は歓喜の声を上げて俺の胸に飛び込んできた。


「あぁ……本当によかった。奏羽、お前のおかげだ」

俺は、涙を流して喜ぶ彼女の細い腰を力強く抱きしめ返した。


地獄の夏期講習から始まった、学年十位への無謀な挑戦。

俺たちはついに、凪瀬夫人という最大の壁を完全に打ち破り、自分たちの手で「本物の恋人」としての自由を勝ち取ったのだ。


「……湊くん、大好き!」

俺の腕の中で、奏羽が最高の笑顔を向ける。


俺たちの冬の戦いは、こうして完全なる勝利と共に幕を閉じた。

残るは、彼女への「ご褒美」である遊園地デート。

お揃いのマフラーの温もりが、これから始まる誰にも邪魔されない甘い日常を、優しく祝福してくれているようだった。


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