第95話:冬のピクニックと、不格好な卵焼き
マンションに帰り着くと、リビングのテーブルには重箱のような立派な三段のお弁当箱と、大きな水筒が二つ用意されていた。
「おかえりー! お兄ちゃん、奏羽さん。テストお疲れ様!」
キッチンから顔を出した翠は、俺のエプロンを身につけ、少しだけドヤ顔をしている。
朝、奏羽と一緒に一生懸命準備をしてくれていた成果が、ついに完成したらしい。
「おう。弁当の準備、ありがとうな。……さ、早く着替えて公園行こうぜ」
俺と奏羽は慌てて私服に着替え、それぞれネイビーとアイボリーのお揃いのマフラーを巻いて、三人で近くの大きな公園へと向かった。
* * *
冬の公園は、枯葉が舞い散り、吹き抜ける風が冷たかった。
しかし、日差しは柔らかく、空は抜けるように青い。
芝生広場の真ん中にレジャーシートを広げ、俺たちは円座になって座った。
「じゃーん! 特製・洋風ピクニックランチだよ!」
翠がお弁当箱を開けると、中には彩り豊かなサンドイッチ、唐揚げ、ポテトサラダがぎっしりと詰まっていた。
そして、一番上の段の真ん中には——少しだけ形が崩れていて、ところどころ焼き色が濃い、不格好な卵焼きが並べられていた。
「うわぁ……! 翠ちゃん、すごい! すっごく美味しそう!」
奏羽が目を輝かせて歓声を上げた後、自分の作った卵焼きを見て少しだけ恥ずかしそうに俯いた。
「……でも、わたしの卵焼き、やっぱりちょっと変な形になっちゃった……。湊くん、ごめんね。朝はもっと上手くできた気がしたのに」
「そんなことない。お前が俺のために作ってくれたんだろ? 絶対に美味いって」
俺が一番にその卵焼きを箸でつまみ、口に放り込む。
少しだけ甘めの味付け。不格好だけれど、焦げた苦味は全くなく、彼女が一生懸命火加減に気をつけたことが伝わってくる優しい味だった。
「……美味い。奏羽、お前本当に料理上手くなったな」
「ほんと!? やったぁ……!」
奏羽はパァッと顔を輝かせ、安心したように自分の分のサンドイッチを頬張り始めた。
「それに、これ。あったかいコーンスープだよ。体が冷えるから、まずはこれ飲んでね」
翠が水筒から紙コップにスープを注いで渡してくれた。
湯気と共に、甘いコーンの香りが広がる。
「……いただきます」
スープを一口飲むと、冷えた身体の芯からじんわりと温かさが広がっていった。
テスト期間の極限の緊張感と疲労が、この温もりと共に少しずつ溶けていくのがわかる。
「……美味い。翠、お前も本当に料理の腕上げたな」
「でしょ? イギリスでママの手伝いしてたからね。……お兄ちゃんの胃袋を掴むのは、奏羽さんじゃなくて私かもよ?」
翠が悪戯っぽく笑うと、奏羽は「むー!」と頬を膨らませた。
「わたしだって、これからもっと練習するもん! 湊くんの胃袋は、絶対にわたしが掴むんだから!」
「あはは、奏羽さん、朝はフライパンと格闘してたじゃん」
「あれは……ちょっと緊張しただけ!」
二人がキャッキャと言い合いながらお弁当を頬張る姿を、俺は微笑ましく見つめていた。
凪瀬夫人というラスボスのプレッシャー、冴木という特進クラスの天才との戦い。
そんな重苦しい現実から切り離された、ただの高校生(と中学生)の穏やかな休日。
(……この時間が、ずっと続けばいいのに)
俺がそんなことを考えていると、奏羽がふいに、俺の隣にすり寄ってきた。
そして、自分のマフラーの端を、俺のマフラーに重ねるようにして、こてんと肩に頭を預けてきた。
「……湊くん。本当に、お疲れ様」
「奏羽もな。……お前が隣で頑張ってたから、俺もここまでやれたんだ」
「うん。……わたしも、湊くんの声が聞こえるたびに、一人じゃないって思えたから」
奏羽は、シートの下で俺の左手に自分の右手を絡ませ、恋人繋ぎをしてきた。
妹が目の前で唐揚げを食べているというのに、彼女の「甘えん坊スイッチ」は完全にオンになっていた。
「……あのさ、二人とも。私が目の前にいるのに、そういうことする?」
翠がジト目で俺たちを睨むが、奏羽は「えへへ」と笑って俺の腕にさらにギュッとしがみついた。
「だって、湊くんの成分が足りないんだもん。……テスト中、ずっと我慢してたから」
「……はぁ。まぁいいけど。今日くらいは特別に許してあげる」
翠は呆れたようにため息をつきながらも、どこか嬉しそうな表情でスープを飲んでいた。
冬のピクニック。
冷たい風の中で、俺たちは温かいスープと不格好な卵焼き、お揃いのマフラー、そして何よりも互いの体温で、最高に甘くて幸せな時間を共有していた。
だが、この穏やかな時間が永遠ではないことは、俺たち三人とも分かっていた。
数日後には、全ての運命が決まる「順位発表」が待っているのだから。




