第76話:文化祭1日目の終わりと、静かなる疲労
「——以上をもちまして、文化祭第一日目の全日程を終了します。生徒の皆さんは、速やかに下校するように」
校内放送が響き渡り、熱気に包まれていた学園が、少しずつ静寂を取り戻していく。
俺たちお化け屋敷のシフトも無事に終わり、クラスの連中と軽く反省会をしてから教室を出た。
「いやー、疲れたな! でも明日はもっと客来るぜ!」
「おう。俺は声出しすぎて喉痛いけどな」
陸たちと別れ、俺は生徒会室へと向かった。
文化祭の1日目が終わったとはいえ、生徒会の仕事が終わるわけではない。むしろ、明日の後夜祭の準備や、今日のトラブル報告のまとめなど、役員たちはこれからが本番だろう。
「失礼します」
生徒会室のドアを開けると、そこは戦場のような有様だった。
机の上には書類が散乱し、書記の逢坂や会計の津々屋が、死んだ魚のような目でパソコンのキーボードを叩いている。
「あ、風森くん……。お疲れ様ー……」
逢坂がキーボードから手を離さずに、幽霊のような声で挨拶をしてきた。
「お疲れ様です……。奏羽は?」
俺が尋ねると、奥のデスクから零さんが顔を上げた。
「会長なら、備品の最終チェックで体育館へ行っていますよ。……風森さん、少し彼女の様子を見てきてもらえませんか」
「様子を?」
「ええ。今日は朝からトラブル続きで、彼女は一度も休んでいません。先ほどから、少し顔色が悪かったので」
零さんの言葉に、俺の胸がザワリと騒いだ。
不眠症は改善傾向にあるとはいえ、ここ数日の文化祭準備による寝不足と、今日の過労。彼女のプレッシャーに対するキャパシティが、限界に近づいているのかもしれない。
「わかりました。すぐ行ってきます」
俺は生徒会室を飛び出し、夕闇が迫る校舎を体育館へと急いだ。
* * *
体育館の中は薄暗く、明日の後夜祭で使うパイプ椅子や機材が所狭しと並べられていた。
「……奏羽?」
俺が小声で呼びかけると、ステージの袖の方から、微かな物音が聞こえた。
近づいていくと、機材の陰で、クリップボードを抱えたまま、壁に背を預けて座り込んでいる奏羽の姿があった。
「奏羽! 大丈夫か!?」
俺が駆け寄ると、奏羽はビクッと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
「……あ、湊、くん……」
彼女の声は掠れており、瞳の焦点が少し合っていない。
額には冷や汗が浮かび、呼吸が浅くなっている。
「おい、顔色が真っ青だぞ。無理しすぎだ」
俺は彼女の隣にしゃがみ込み、その細い肩を抱き寄せた。
「……ごめんね。ちょっと、立ちくらみがして……。でも、まだチェックが終わってないから……」
奏羽はクリップボードを握りしめようとするが、指先に力が入っていない。
「もういい。今日の仕事は終わりだ。零さんも心配してたぞ」
「でも……明日の後夜祭、わたしがしっかりしないと……」
「奏羽」
俺は彼女の手からクリップボードを優しく取り上げ、自分の胸に彼女の頭を引き寄せた。
「……完璧な生徒会長は、今日はもう閉店だ。……今は、俺の腕の中で休め」
俺が低く穏やかな声で囁くと、奏羽の張り詰めていた糸が、プツンと切れたのがわかった。
「……っ、湊、くん……」
彼女は俺の制服の胸元をぎゅっと握りしめ、ふるふると首を横に振った。
「……こわい。明日、ちゃんとうまくできるか、不安で……頭がぐるぐるして……」
文化祭という非日常の熱気。全校生徒の期待。
それが、彼女の中で「プレッシャーという名のバケモノ」に変わり、再び彼女を蝕み始めていたのだ。
「大丈夫だ。俺がついている」
俺は彼女の背中を、一定のリズムで優しくトントンと叩き始めた。
「……よしよし。奏羽はえらいよ。今日一日、よく頑張ったな」
「……んぅ……」
「明日の後夜祭も、お前なら絶対にうまくやれる。……俺が、一番近くで見守ってるから」
俺の声と背中を叩くリズムに同調するように、奏羽の荒い呼吸が、少しずつ、少しずつ落ち着いていく。
体育館の静寂の中、彼女は俺の腕に体重を完全に預け、目を閉じた。
「……湊くんの匂い、する……」
「ああ。……少し、眠るか?」
「ううん……。このまま、もう少しだけ……ぎゅーってしてて……」
奏羽は俺の首に腕を回し、甘えるように顔を擦り寄せてきた。
俺は彼女の細い腰を強く抱きしめ、体育館の薄暗がりの中で、彼女の体力が回復するまで、ただ静かに彼女を甘やかし続けた。
文化祭1日目の夜。
明日のクライマックスに向けて、俺と奏羽は、互いの体温でプレッシャーを溶かし合いながら、静かにエネルギーを充電していた。




