第75話:お化け屋敷の死角と、暗闇の続き
中庭のベンチでクレープを平らげた俺たちは、目的の場所——俺のクラスの出し物である「お化け屋敷」へと向かった。
教室の前には、すでに長い行列ができている。
「おっ、湊じゃん! なんだよ、会長様とVIP待遇でデートか?」
入り口の受付係をやっていたクラスメイトの男子が、俺たちの繋いだ手を見てニヤニヤと笑いかけてきた。
「バカ言え、一時間の休憩中なだけだ。……中、入れるか?」
「おう、ちょうど案内するところだ。陸の奴、中で気合入ってるから気をつけろよー?」
クラスメイトの冷やかしを背に受けながら、俺と奏羽は黒い暗幕をくぐり、お化け屋敷の内部へと足を踏み入れた。
* * *
「……ひゃっ!」
一歩中に入ると、そこは完全な暗闇だった。
おどろおどろしいBGMと、どこからか聞こえる悲鳴。
奏羽はたまらず、俺の腕に両手でギュッとしがみついてきた。
「……湊くん、結構暗いね……」
「本番だからな。でも大丈夫だ、この壁の構造は俺が全部頭に入れてる」
俺は彼女を安心させるように、しがみついてくる彼女の手に自分の手を重ねた。
暗闇の中、奏羽の甘いシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。密着した腕からは、彼女の心臓がトクトクと早く波打っているのが伝わってきた。
(……この先は、確か陸が隠れてるゾーンだ)
美術・大道具担当として内部の構造を熟知している俺は、通路の先にある「血まみれのロッカー」のセットを見据えた。
あの中に陸が潜んでいて、通りかかった客を脅かす手はずになっている。
「……奏羽、こっちだ」
「えっ……? 順路、あっちじゃないの?」
俺は奏羽の手を引き、順路の壁を装った黒い暗幕の一枚をめくった。
そこは、俺たち裏方が機材を置いたり、ショートカットしたりするために作った「スタッフ用の死角(待機スペース)」だった。
大人二人が入れば身動きが取れなくなるほど、狭くて暗い空間だ。
「しーっ。あそこに陸が隠れてるんだ。あいつに見つかると面倒だから、次の客が通り過ぎるまでここでやり過ごそう」
俺が耳元で囁くと、奏羽は「……うんっ」と小さく頷いた。
暗くて狭い死角。
俺の胸にすっぽりと収まる形で、奏羽が身を寄せてくる。
外の通路からは、「ぎゃああああっ!!」という一般客の悲鳴と、陸の「うらめしやぁ〜!」という楽しそうな声が聞こえてきた。
「……ふふっ、陸くん、あんなところで脅かしてたんだね」
「ああ。まともに通ってたら、お前絶対悲鳴上げてたぞ」
俺が小声で言うと、奏羽は暗闇の中で、ゆっくりと俺を見上げた。
赤い非常灯の微かな光が、彼女の潤んだ瞳を照らし出している。
「……ねえ、湊くん」
「ん?」
「生徒会室で……ここで『ご褒美』の続き、入りたいって言ったの、覚えてる?」
彼女の顔が、すっと近づいてきた。
狭い空間の中、逃げ場はどこにもない。いや、最初から逃げる気などないのだが。
「……本当に、お前は……」
「湊くんが、わたしをこんな死角に連れ込むからでしょ?」
小悪魔のように微笑むと、奏羽は背伸びをして、俺の首に腕を回した。
そして、外の喧騒が嘘のように静まり返ったこの狭い空間で、俺たちの唇は重なり合った。
「……んっ……ぁ……」
それは、お互いの熱を確かめ合うような、深く、そして長い口づけだった。
奏羽の柔らかい舌が絡み、甘い吐息が交じり合う。
俺の制服を握りしめる彼女の手に、ぎゅっと力がこもるのがわかった。
「……ぷはっ……湊、くん……」
唇を離すと、奏羽は俺の胸に顔を押し付け、荒い息を繰り返した。
暗闇の中でも、彼女の顔が茹でダコのように真っ赤になっているのがわかる。
「……充電、できたか?」
「うんっ……。これ以上やったら、わたし、生徒会室に戻れなくなっちゃう……」
「俺の理性がもたなくなる前に、そろそろ出るぞ」
俺が苦笑いしながら彼女の背中を撫でると、奏羽は「えへへ」と幸せそうに笑い、名残惜しそうに俺の腕から離れた。
* * *
「——五十九分、三十秒。……ギリギリセーフですね」
お化け屋敷の出口を抜け、明るい廊下に出た俺たちを待っていたのは、腕を組んで時計をタップしている零さんだった。
「れ、零さん!? なんでここに……っ」
「一時間の休憩を与えたのです。時間が来れば回収に来るのは当然でしょう。……それにしても、お化け屋敷に入っていた割には、随分と顔が赤いですね、会長?」
零さんの鋭い視線が、俺と奏羽を交互に射抜く。
奏羽は「こ、怖かったからだよ!」と必死に取り繕っているが、完全に目が泳いでいた。
「まぁ、いいでしょう。……さあ、会長。午後からも見回りやトラブル対応で息をつく暇もありませんよ。行きますよ」
「うん、わかった! ……湊くん、また後でね!」
奏羽は俺に手を振ると、零さんに背中を押されながら生徒会本部へと戻っていった。
「……さて、俺も午後のシフトに入るか」
嵐のように甘い一時間の抜け駆けデート。
唇に微かに残る彼女の感触を反芻しながら、俺は自分の持ち場であるお化け屋敷の裏方へと戻っていった。
学園の文化祭は、夕方の熱気へと向けて、さらに盛り上がりを見せていくのだった。




