第71話:文化祭の足音と、お姫様の抜け駆け計画
二学期中間テストという巨大な嵐が過ぎ去り、学園は一息つく間もなく、次なるビッグイベント——文化祭の準備期間へと突入していた。
「……湊、うちのクラス、結局『お化け屋敷』に決まったな。俺はお化け役で脅かしまくってやるぜ!」
昼休み。俺の前の席に座る親友の陸が、意気揚々と弁当を広げながら言った。
「ああ。俺は裏方の美術・大道具担当だけどな」
「お前、手先器用だからなー。……でも、文化祭当日くらいは、あの『完璧な彼女様』とデートする時間作れよ? 最近、会長がポンコツ化してるって噂、学園中に広まってんだからな」
陸がニヤニヤと笑っていると、教室の入り口からパタパタと小走りでやってくる足音が聞こえた。
「湊くんっ!」
振り返ると、そこには両手で分厚いファイルの束を抱えた奏羽の姿があった。
テストの重圧から解放された彼女は、以前よりも表情が柔らかく、クラスメイトたちも「また会長が風森に会いに来たぞ」と温かい目で見守るようになっている。
「お疲れ、奏羽。生徒会の仕事か?」
「うん。各クラスの出し物の予算申請のチェックが終わらなくて……。お昼、一緒に食べられないかも」
奏羽はしょんぼりと肩を落とし、俺の机の横にファイルをドンと置いた。
完璧な生徒会長の顔の下に隠れた、俺にだけ見せるこのポンコツで甘えたがりな姿。
俺は苦笑いしながら、彼女の頭をポンポンと撫でた。
「そっか。文化祭前は生徒会が一番忙しいもんな。無理するなよ」
「うん……でも、湊くん成分が足りなくて、もう倒れそう……」
奏羽は周囲の目も気にせず、俺の制服の袖口をぎゅっと握りしめてきた。
陸が「あーあ、ごちそうさまです」と天を仰いでいる。
「……なぁ、奏羽。生徒会の仕事、俺も手伝おうか? 大道具の作業は放課後からだし、昼休みの間なら」
「ほんと!? やったぁ! 湊くん、大好き!」
俺の提案に、奏羽はパァッと顔を輝かせ、俺の腕にギュッとしがみついてきた。
* * *
というわけで、俺は昼休みの間、生徒会室で奏羽の事務作業を手伝うことになった。
「風森さん。貴方が手伝ってくれるのは助かりますが、あくまで作業優先ですよ。……イチャつく暇など与えませんからね」
生徒会室のデスクでパソコンを叩いていた零さんが、眼鏡の奥から鋭い視線を送ってくる。
テスト期間が終わっても、彼女のストイックさは健在だ。
「わかってますよ、零さん。……で、俺は何をすれば?」
「各部活から提出された備品借用書の入力をお願いします。会長は予算案の最終確認を」
零さんの指示に従い、俺と奏羽は並んでデスクに向かった。
すると、隣のデスクから明るい声が飛んできた。
「おっ、風森くんじゃん! 会長のピンチに駆けつけるなんて、さすがナイト様だねー!」
ニカッと笑って書類の束を整理しているのは、同じ二年生で書記の逢坂 結衣だ。
ふわっとした茶髪に、少し気の強そうな猫目。クラスの男子がこぞって噂するレベルの美少女だが、生徒会の中でもムードメーカー的存在で、俺と奏羽の関係を一番面白がっている。
「逢坂……からかわないでくれよ」
「いやいや、風森くんの素直な溺愛っぷりは最高だよ。……はぁ、うちの意地っ張りな幼馴染の『蒼太』にも、風森くんの素直さの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいよ、ホントに」
結衣は呆れたように息を吐きながらも、その猫目はどこか幸せそうに細められていた。
彼女には幼馴染の彼氏がいるらしいが、時折こうして惚気(?)のような愚痴をこぼす。
「風森くんが来てくれてマジで助かる。会計の津々屋も数字と睨めっこで死にそうだし」
「……僕はもう、予算案のゼロの数がゲシュタルト崩壊してきました……」
部屋の隅で、同じく二年生の会計・津々屋 透が、死んだ魚のような目で虚空を見つめていた。
生徒会役員総出で、文化祭という魔物と戦っているのだ。
「……ねえ、湊くん」
作業開始から十分後。
奏羽が、そっと俺の服の裾を引っ張ってきた。
「どうした? わからないところでもあったか?」
「ううん。……あのね、文化祭の出し物、湊くんのクラスはお化け屋敷なんだよね?」
「ああ。俺は裏方だけどな」
俺が答えると、奏羽は少しだけ唇を尖らせ、不満そうな顔をした。
「……わたし、生徒会の巡回で見回りに行かなきゃいけないんだけど。……お化け屋敷、一人で入るの、怖いな……」
「お化け屋敷が怖いのか? でも、役員が巡回しないわけにはいかないだろ」
「だから……」
奏羽は周囲をちらりと確認し、零さんが津々屋のデスクへ向かった隙を突いて、俺の耳元に顔を寄せてきた。
「……湊くん、一緒に回ってくれないかな? ……ダメ?」
上目遣いで、とびきり甘いおねだり。
文化祭の当日、生徒会長と二人きりでお化け屋敷(自クラスの出し物)を回る。
それは、学園中の注目を集めること間違いなしの、破壊力抜群のシチュエーションだった。
「……俺は裏方だから、シフトを調整すれば抜けられると思うけど。でも、零さんが許してくれるか……?」
「零には内緒! わたしと湊くんの、秘密の抜け駆けデートだよ?」
奏羽は悪戯っぽく微笑み、俺の小指に自分の小指を絡めてきた。
「……お前、本当に小悪魔になったな」
「湊くん限定だもん。……ね、約束?」
俺が断れるはずがないと分かっている彼女の、確信犯的な笑顔。
隣のデスクの結衣が、書類の陰から親指を立てて「グッジョブ」と口パクで応援してくれているのが見えた。
「……わかった。シフト、なんとか調整してみる」
「やったぁっ!」
「——コホン」
俺たちがこっそりと指切りを交わした瞬間、背後からわざとらしい咳払いが聞こえた。
「……作業の手が止まっていますよ。まさか、文化祭の当日に二人でサボる計画でも立てているわけではないでしょうね?」
書類の束を持った零さんが、腕を組んで俺たちをジロリと睨み下ろしていた。
「ひゃっ……! ち、違うよ零! これは、その……備品の確認を……!」
「言い訳は不要です。……風森さん、会長が仕事を終わらせるまで、貴方は帰しませんからね」
「……はい」
俺は冷や汗をかきながら、再びパソコンの画面に向き直った。
文化祭という非日常のお祭り騒ぎ。
「完璧な生徒会長」という立場と、「恋する女の子」としての我儘の狭間で、俺たちの文化祭は、波乱と甘いハプニングの予感に満ちていた。




