第67話:運命の掲示板・再びと、待ち受ける氷の視線
中間テストの順位発表日。
一階の昇降口横にある大きな掲示板の前は、期末テストの時と同じように黒山の人だかりになっていた。
「……湊くん。手、繋いでもいい?」
「ああ。……俺も、少し震えてるかもしれない」
隣に立つ奏羽が、俺の右手を両手でぎゅっと包み込むように握りしめてきた。
彼女の手は氷のように冷たく、その震えは俺の手にダイレクトに伝わってくる。
凪瀬夫人から突きつけられた、二つの条件。
『奏羽の学年トップ維持』と、『俺の学年十位以内へのランクイン』。
これが達成できなければ、今日、この学園から奏羽が去ることになる。
(……夏休みの全てを懸けた。頼む……!)
俺は意を決して、奏羽と手を繋いだまま、人混みを掻き分けて掲示板の最前列へと進み出た。
騒然とする生徒たちの声が、遠くで聞こえるような気がした。
俺の視界には、掲示板の白い紙と、黒々と印字された名前と点数しか入ってこない。
まず、一番上の「第一位」の欄。
『第一位 2年A組(生徒会長) 凪瀬 奏羽 総合 499点』
「……っ!!」
俺の隣で、奏羽が小さく、しかしはっきりとした声で息を呑んだ。
学年トップ。
彼女は、前回のテストで一点差で敗れた冴木 洵を打ち破り、見事に王座を奪還したのだ。
「やった……奏羽、一位だ! 冴木に勝ったぞ!」
「湊くん……! わたし、やったよ……っ!」
奏羽は繋いでいた手を離し、俺の首に腕を回して泣きそうになりながら抱きついてきた。
周囲の生徒たちが「おおっ、会長がトップ返り咲きか!」「すげぇ……」とどよめく中、俺は彼女の背中を強く抱きしめ返した。
だが、喜ぶのはまだ早い。
もう一つの、最大の壁が残っている。
俺は奏羽をそっと引き剥がし、再び掲示板へと視線を向けた。
特進Sクラスのバケモノたちの名前が連なる、上位のランキング。
第五位、六位、七位……。
俺の心臓が、早鐘のように打ち鳴らされる。
手首に巻かれた、夏休み中に奏羽からもらった「お守り」のシュシュが、じんわりと温かさを放っているような気がした。
第八位……。
第九位……。
そして。
『第十位 2年C組 風森 湊 総合 485点』
「…………え?」
俺は、自分の目を疑った。
何度も、何度も、その文字列を瞬きして見直す。
だが、何度見ても、十位の欄には「風森 湊」という、一般クラスの平凡な図書委員の名前が刻まれていた。
「……湊くん」
奏羽の声が、震えていた。
彼女もまた、俺の名前を見つけ、両手で口を覆い、信じられないというように目を見開いている。
「湊くん……! 十位……十位だよっ! 湊くんが、十位に入った……っ!!」
「……う、嘘だろ……。俺が、あの特進クラスの連中を抜いて……」
俺の口から、掠れた声が漏れた。
百二十位から十一位への大躍進、そして今回、ついに十位以内へのランクイン。
零の地獄のスパルタと、奏羽の甘すぎるサポート、そして何より「彼女の隣にいたい」という執念が、本当に奇跡を起こしたのだ。
「やったぁぁぁっ!! 湊くん、湊くん……っ!!」
奏羽は今度こそ、人目もはばからずに俺の胸に飛び込んできて、わんわん声を上げて泣き始めた。
俺も、こみ上げてくる熱いものを堪えきれず、彼女の身体を力強く抱きしめた。
これで、彼女は海外へ行かなくて済む。俺たちの同棲生活……いや、公式な交際が、凪瀬夫人に認められるのだ。
歓喜に沸く俺たちの背後から、氷のように冷たい、聞き覚えのある声が響いた。
「——ずいぶんと、感動的な光景ですね」
振り返ると、そこには銀縁眼鏡を押し上げる冴木 洵の姿があった。
彼は掲示板の「第二位 冴木洵」という文字を忌々しそうに一瞥した後、俺と奏羽を冷酷な目で見下ろした。
「冴木……」
「おめでとうございます、凪瀬会長。そして風森くん。……まさか、一般クラスの凡人が十位の壁を破るとは、私の計算外でしたよ。……ですが」
冴木は、フッと鼻で笑った。
「これで終わりではありません。私がこのまま、黙って引き下がると思わないことですね。……次の期末、そして三年生になっても、私は必ず貴女からトップの座を奪い返します。……天才は孤独であるという私の理論を、いつか必ず証明してみせますよ」
「……受けて立つよ」
奏羽は俺の胸から離れ、冴木を真っ直ぐに睨み返した。
その瞳には、かつてのプレッシャーに怯えていた少女の面影はなく、俺という最強の盾(と睡眠導入剤)を手に入れた、気高き女王の輝きがあった。
「わたしは、もう孤独じゃない。湊くんがいる限り、わたしは誰にも負けない。……いつでもかかってきなさい」
冴木はチッと舌打ちをし、踵を返して去っていった。
嵐のような順位発表が終わり、俺たちは再び手を繋いだ。
俺たちの勝利。
それは、長かった夏休みの努力が報われた瞬間であり、同時に……。
「……さて。感動の再会はそこまでにしておきなさい」
いつの間にか、俺たちのすぐ横に、一条副会長(零)が腕を組んで立っていた。
彼女の眼鏡の奥の瞳は、いつも以上に鋭く光っている。
「れ、零さん……」
「約束の条件はクリアしましたね。……凪瀬夫人からも、『放課後、二人揃って本邸へ報告に来るように』と連絡が来ています。……さあ、最後の審判の場へ向かいますよ」
零の言葉に、俺と奏羽は顔を見合わせた。
本当の戦いは、これからだ。
俺たちは繋いだ手にギュッと力を込め、最強のラスボスが待つ凪瀬家へと歩みを進めた。




