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第65話:夏休みの終わりと、最後の試練

地獄の夏期講習と、甘すぎる同棲生活が交錯する夏休みは、本当にあっという間に過ぎ去っていった。

セミの鳴き声がツクツクボウシに変わり、朝夕の風に微かな涼しさが混じるようになった頃。


俺たちのマンションのリビングには、夏休みの集大成とも言えるピリついた空気が漂っていた。


「……はい、そこまで。解答を出しなさい」


一条副会長(零)の声が響き、俺は手首のスナップを効かせてシャーペンを置いた。

目の前にあるのは、二学期中間テストを想定して零が作成した「最終模擬試験」だ。

特進Sクラスの過去問をベースに、さらに難易度を跳ね上げた悪魔のような代物である。


「……ふぅ」


俺は深く息を吐き出し、バキバキに凝り固まった首を回した。

隣では、自分の分の模試をとうの昔に終わらせた奏羽が、祈るような目で俺の答案用紙を見つめている。


「湊くん……手応え、どうだった?」

「……わからない。でも、やれるだけのことは全部やったよ」


俺が答えると、零は無言で赤ペンを走らせ始めた。

カリカリ、というペンの音だけがリビングに響く。この数分間が、夏休みで一番心臓に悪い時間だった。


やがて、零はペンを置き、ふうっと小さく息を吐いた。


「……結果を発表します」


零は俺の答案用紙をテーブルの真ん中に滑らせた。

そこには、見慣れない高い数字が書き込まれていた。


「総合得点、482点。……学年十位のボーダーラインを、確実に超える数字です」


「……っ!!」


俺と奏羽は、同時に息を呑んだ。


「やった……! やったよ、湊くん!!」

「……マジか。俺が、あの特進のバケモノどもに……」


奏羽が泣きそうになりながら俺の首に抱きついてくる。俺も信じられない思いで、自分の答案を見つめた。

あの日、掲示板の前で絶望した十一位の成績から、さらに一段階上の領域へ。

零の氷のスパルタと、奏羽の甘すぎるサポート(とご褒美)が、俺の限界を完全に突破させていた。


「……ただし」


零が眼鏡を押し上げ、冷や水を浴びせるように言った。


「これはあくまで『模擬試験』です。本番のプレッシャー、そして何より、特進Sクラスのトップ層……あの冴木さえき じゅんや、他の連中が夏休みにどれだけ仕上げてきているか。蓋を開けてみるまで油断は禁物ですよ」


「……わかってます。本番で結果を出さなきゃ、意味がない」


俺が真剣な顔で頷くと、零は少しだけ目元を緩め、持参した鞄から一枚の封筒を取り出した。


「これは、凪瀬夫人からです」


「お母様から……?」


奏羽が不思議そうに首を傾げる。

零は封筒を俺の前に置いた。


「夫人も、貴方たちのこの一ヶ月の『同棲生活』という名の学習成果を、非常に気になさっています。……『もし中間テストで条件をクリアできなかった場合、即日、奏羽を海外へ発たせる手はずを整えた』とのことです」


その言葉に、奏羽の肩がビクッと跳ねた。

猶予は一切ない。一発勝負のデスマッチだ。


「……上等です。絶対に、クリアしてみせます」


俺が封筒を握りしめると、零は「その意気です」と小さく頷き、立ち上がった。


「私の役目はここまでです。明日からは二学期。……あとは、貴方たち自身の力で運命を切り開きなさい」

「零……夏休み中、ずっと付き合ってくれて、本当にありがとう」

「一条副会長、感謝します」


俺と奏羽が深く頭を下げると、零はフンと鼻を鳴らし、「風紀を乱すバカップルの監視からようやく解放されるだけです」と憎まれ口を叩きながら、玄関へと向かっていった。


 * * *


その日の夜。

夏休み最後の夜だというのに、俺たちはリビングで教科書を開いていた。


「……湊くん。本当に、明日から二学期なんだね」

「ああ。長かったような、短かったような……」

「……わたし、少しだけ怖い」


奏羽が、ぽつりとこぼした。

彼女はシャーペンを置き、俺のTシャツの袖口をぎゅっと握りしめた。


「もし、わたしがミスをして、お母様との約束を守れなかったら……。もし、湊くんが十位に入れなくて、引き離されちゃったら……」


不眠症は改善されたはずだが、極度のプレッシャーが再び彼女の心を蝕み始めているのがわかった。


「奏羽」


俺は彼女の手を取り、自分の胸元——心臓の辺りに当てさせた。


「……俺の心音、聞こえるか?」

「うん……少し、早い」

「俺だって怖いさ。冴木みたいな天才どもに挑むんだからな。……でも」


俺は、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。


「この夏休み、俺は本気でお前の隣にいるために死ぬ気でやった。お前も、俺に勉強を教えながら自分のトップを死守するって、血を吐くような努力をしてた。……俺たちの絆は、テストの点数なんかで切れるほど、ヤワじゃないだろ?」


「……湊くん」


「だから、信じろ。俺を信じて、自分を信じろ。……俺たちは、絶対に勝つ」


俺の言葉に、奏羽の瞳からポロリと一筋の涙がこぼれ落ちた。

彼女は「うんっ」と力強く頷き、俺の胸に顔を埋めた。


「……わたし、湊くんのおかげで、本当に強くなれた。……だから、明日は絶対に、最高の『完璧な生徒会長』を見せてあげるからね」

「ああ、楽しみにしてる」


俺は彼女の背中を優しく撫でながら、夏休み最後の夜を静かに過ごした。


翌日。

セミの抜け殻が落ちる通学路を、俺たちは並んで歩いた。

周囲の視線は相変わらず突き刺さるが、もう気にならない。


俺たちの未来を懸けた、二学期中間テスト。

最後の試練の火蓋が、ついに切って落とされた。


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