第64話:夜の自室と、ご褒美のアフターケア
市民プールでの地獄の「体育」を終え、俺と奏羽はマンションへと帰還した。
時刻は夕方六時を回っており、西日がリビングを赤く染めている。
「……ふぅ、疲れたぁ……」
玄関に入るなり、奏羽は靴を脱ぎ捨ててソファにダイブした。
プールで体力を限界まで削られた上に、あの後も零から「帰りの電車内でも英単語のチェックをします」と容赦ない追撃を受けたため、彼女も相当消耗しているようだった。
「お疲れ、奏羽。そのまま寝たら風邪引くぞ。シャワー浴びてこい」
「はーい……。湊くん、一緒に入る?」
「入らない! 早く行け!」
俺が顔を真っ赤にしてツッコミを入れると、奏羽は「ちぇー」と唇を尖らせながらも、タオルを持って脱衣所へと向かっていった。
(……あいつ、最近本当にガードが緩いな)
水着姿の破壊力を思い出し、俺は思わず頭を抱えた。
凪瀬夫人との約束である「学年十位以内」という高い壁。それに加えて、この同棲生活での理性の消耗戦。俺の夏休みは、あらゆる意味で命懸けだった。
* * *
「……お待たせ、湊くん」
数十分後。
シャワーを終えた奏羽が、ふんわりとシャンプーの香りを漂わせてリビングに戻ってきた。
相変わらずの「もこもこルームウェア(ショートパンツ)」姿だが、今日はプールの疲れからか、いつも以上にポヤポヤとした顔をしている。
「お前、本当に疲れてるな。髪の毛、まだ半乾きだぞ」
「うん……腕が上がらなくて……」
奏羽は俺の隣に座り込み、コテンと俺の肩に頭を預けてきた。
「しょうがないな。ドライヤー貸せ」
「えっ? 湊くんがやってくれるの?」
「風邪引かれたら困るからな。ほら、後ろ向け」
俺がドライヤーのコンセントを繋ぐと、奏羽は嬉しそうに「えへへ」と笑い、俺に背中を向けて座り直した。
ブォォォン……というドライヤーの温かい風と音が、リビングに響く。
俺は彼女のサラサラとした長い黒髪を指で優しく梳きながら、丁寧に乾かしていった。
「……湊くんの指、気持ちいい……」
奏羽が、心地よさそうに目を細めて呟いた。
「プール、楽しかったな」
「そうか? 俺は零さんの特訓で死にそうだったけど」
「ううん。湊くんと手を繋いで、波に揺られて……すっごく、キラキラしてた。……わたし、今年の夏休みが、人生で一番楽しいよ」
ドライヤーの音に負けないくらい、彼女の声は弾んでいた。
完璧な生徒会長という檻から抜け出し、普通の女の子として夏休みを満喫している彼女の姿は、俺にとっても何よりの喜びだった。
「……よし、乾いたぞ」
俺がドライヤーのスイッチを切ると、奏羽はくるりと振り返り、俺の顔を真っ直ぐに見つめた。
「ありがとう、湊くん。……あのね、今日の『ご褒美』、まだもらってないんだけど」
「えっ?」
俺が驚いていると、奏羽は膝立ちになり、俺の首に腕を回してきた。
そして、そのまま俺をソファへと押し倒すようにして、馬乗りになる。
「なっ……! 奏羽、お前……っ!」
「プールの時、零に見つかっちゃって、途中までしかできなかったでしょ? ……だから、続き」
潤んだ瞳と、少し熱を帯びた吐息。
半乾きの髪から香る甘い匂いが、俺の理性を完全に麻痺させる。
「……お前、本当に疲れてるのか?」
「湊くんを前にしたら、疲れなんて吹き飛んじゃうもん。……それに、夜の勉強が始まる前に、ちゃんと『充電』しておかないと」
奏羽は小悪魔のように微笑み、ゆっくりと顔を近づけてきた。
俺は抵抗することを諦め、彼女の細い腰に手を回した。
「……んっ……ぁ……」
静かなリビングに、リップ音だけが響く。
プールの波の中でのキスよりも、ずっと深く、甘く、そして長い時間。
彼女の柔らかい舌が絡み合い、俺の身体からプールの疲労を完全に別の熱へと変換していく。
「……ぷはっ……湊くん……」
数分後、唇を離した奏羽は、茹でダコのように顔を真っ赤にして俺の胸に倒れ込んだ。
「……充電、完了したか?」
「うんっ……。これ以上やったら、わたしが勉強どころじゃなくなっちゃう……」
「俺のセリフだよ、それは」
俺が苦笑いしながら彼女の背中を撫でると、奏羽は「えへへ」と幸せそうに笑った。
「……よし。じゃあ、夕飯食ったら、零さんの課題やるぞ。十位以内に入らないと、この生活も終わっちまうからな」
「うん! わたしが、湊くんを絶対に十位以内にする!」
プールの疲労と、甘すぎるアフターケア。
俺たちの過酷で幸せな夏休みは、こうして一日一日、確かな絆を深めながら過ぎていった。
そして、運命の二学期中間テストは、もうすぐそこまで迫っていた。




