第6話:公園のベンチと、甘い特等席
図書館から歩いて十分ほどの距離にある、古びた児童公園。
休日だというのに子供の姿はなく、錆びついたブランコと、色褪せた滑り台だけがポツンと置かれている、静かで寂れた場所だった。
「ここなら、誰も来ないだろう」
公園の隅にある、木陰のベンチを指差して俺が言うと、凪瀬さんはこくりと頷いた。
そして、俺のシャツの袖口を握ったまま、テテテッと小走りでベンチへ向かい、ちょこんと端っこに座る。
さらにポンポンと、自分のすぐ隣の空いたスペースを叩いた。
「……湊くん、ここ」
(……距離感、バグってないか?)
学校の図書室の死角ならまだしも、ここは(一応)屋外の公共の場だ。
しかも私服姿の美少女に、密着するほどの距離を指定されている。
俺は少し躊躇いながらも、袖を引かれるがままに、彼女の隣に腰を下ろした。
「……っ」
座った瞬間、凪瀬さんの肩が俺の腕に触れた。
ふわりと、昨日の放課後にも嗅いだ、甘くて清潔なシャンプーの香りが鼻をくすぐる。
「じゃあ、持ってきた本を読むけど……これでいいか?」
俺が図書館で借りてきたばかりの、短編集の表紙を見せる。
凪瀬さんは本の内容には全く興味がないようで、ただ俺の顔をじっと見つめながら、こくりと頷いた。
「湊くんの、声なら」
「……ハードル高いな」
苦笑いしながら本を開くと、同時に——こつん。
「えっ」
屋外だというのに、凪瀬さんは躊躇うことなく、俺の右肩に頭を預けてきた。
そして、シャツの袖口を両手でぎゅっと握りしめ、目を閉じる。
「ちょ、凪瀬さん。ここは外だぞ? 誰か通ったら……」
「……だれも、いないもん。それに……」
彼女は目を閉じたまま、微かに顔を俺の肩に擦り寄せるようにして、もごもごと呟いた。
「……ここが、いちばん、安心するから」
そんなことを言われて、引き剥がせるわけがない。
孤高でミステリアスと言われている美少女が、俺の肩を「一番安心する場所」だと言ってくれているのだから。
俺は諦めて小さくため息をつき、本に視線を落とした。
「『——その街には、不思議な時計職人が住んでいました。彼は、人々の無くした時間を……』」
木々の間を吹き抜ける柔らかな風の音に、俺の低い声が混ざっていく。
凪瀬さんの呼吸は、朗読を始めて三分も経たないうちに、深く規則正しいものへと変わっていった。
「……すぅ、すぅ」
昨夜一睡もできなかったという彼女は、限界だったのだろう。
完全に脱力し、全体重を俺の右半身に預けている。
(……温かいな)
俺の肩で眠る彼女の体温が、服越しにじんわりと伝わってくる。
整った横顔。長いまつ毛。少しだけ開いた桜色の唇。
この無防備な寝顔を独り占めしているのが、クラスで一番地味な図書委員の俺だなんて、誰が信じるだろうか。
「……湊、くん……」
不意に、凪瀬さんが寝言のように小さく呟いた。
「……ん、なんだ?」
「……いかないで、ね……」
ぎゅっ、と。
俺の袖口を握る手に、さらに力がこもる。
夢の中でさえ、彼女は何かを恐れ、俺の存在を確かめようとしているようだった。
どれほどの孤独を一人で抱えてきたのだろう。
完璧な美少女という仮面の下で、毎晩どれほど怯えていたのだろう。
「……行かないよ。ずっと、ここにいるから」
俺は、彼女を起こさないように、極力優しく、ぽんぽんと彼女の頭を撫でた。
サラサラとした黒髪が指の間を滑り落ちる。
その心地よさに、凪瀬さんは「んふ……」と微かに口角を上げ、さらに深く俺の肩に顔を埋めた。
休日の公園のベンチ。
それはいつの間にか、俺と彼女だけの、誰にも邪魔されない甘い特等席に変わっていた。
(……月曜の朝、陸になんて言い訳しようか)
そんな現実逃避めいた思考も、彼女の穏やかな寝息を聞いているうちに、どうでもよくなっていくのを感じていた。




