第49話:同棲初夜のハプニングと、危険なエプロン姿
マンションに到着し、買い出しの荷物と巨大なキャリーケース二つを運び込むと、俺はドッとソファに倒れ込んだ。
「……重かった。奏羽、お前本当に何日泊まる気だよ」
「えー? だって、二学期の中間テストまでずっといるんだよ? これでも厳選した方だもん」
奏羽は悪びれる様子もなく、キャリーケースを開けて中身をクローゼットに詰め込み始めた。
俺の服が端に追いやられ、彼女の夏服やルームウェア、そしてお気に入りの大きなウサギのぬいぐるみが、俺の部屋をどんどん「女の子の部屋」へと侵食していく。
「あ、湊くん。夕飯の前にシャワー浴びてきてもいい?」
「ああ、いいぞ。タオルは洗面所の下に入ってるから」
「はーい!」
奏羽が鼻歌交じりに脱衣所へ向かうのを見送りながら、俺は深い深いため息をついた。
(……ついに始まっちまったな、本格的な同棲生活)
期末テスト期間中のお泊まりとはわけが違う。これからは毎日、この距離感で彼女と過ごすのだ。俺の理性が夏休みの終わりまでもつのか、本気で自信がなくなってきた。
* * *
「……ふぅ、さっぱりしたぁ」
数十分後。
リビングのドアが開き、シャワーを浴び終えた奏羽が出てきた。
その瞬間、俺の思考は完全に停止した。
「……なっ」
彼女が着ていたのは、持参したという「可愛いルームウェア」だった。
いや、可愛いのは間違いない。もこもこした素材のショートパンツに、同じ素材のキャミソール。
問題は、そのショートパンツから伸びる、雪のように白くて細い生足と、キャミソールの胸元から覗く無防備すぎる谷間だ。
さらに、濡れた黒髪から滴る水滴が、彼女の白い肌を艶やかに濡らしている。
「ど、どうかな? これ、新しいパジャマなんだけど……」
「……破廉恥すぎるだろ! お前、男の部屋でその格好は……!」
俺が顔を真っ赤にして視線を逸らすと、奏羽は不思議そうに首を傾げた。
「えー? だって、夏は暑いし、お母様も『風森さんの部屋ではリラックスしなさい』って……」
「お母さんが言ったリラックスはそういう意味じゃない! ほら、上に何か羽織れ!」
俺は慌てて自分の薄手のパーカーを彼女に投げつけた。
奏羽は「もー、湊くんのえっち」とむくれながらも、嬉しそうに俺のパーカーを羽織り、袖に腕を通す。
ダボダボの「彼シャツ(パーカー)」状態になった彼女は、破壊力が下がったどころか、むしろ別のベクトルで俺の理性を削りにきていた。
「じゃあ、夕飯作ろっか! わたし、サラダ作るって約束したもんね!」
「……お、おう。包丁には気をつけてな」
動揺を隠しきれないまま、俺はキッチンに立ち、ハンバーグの準備を始めた。
隣では、奏羽が「ふふーん♪」とご機嫌な様子でレタスをちぎり、トマトを洗っている。
「よし、次はトマトを切るね!」
「おう。……って、おい! 奏羽、何やってんだ!?」
振り返った俺は、思わず声を荒げた。
奏羽は、まな板の上のトマトを、なんと両手で包丁を握りしめ、親の仇でも討つかのように上から叩き切ろうとしていたのだ。
「え? トマト切るんでしょ?」
「それは『切る』じゃなくて『叩き割る』だ! 危ないから貸せ!」
俺は慌てて彼女の背後に回り込み、彼女の両手の上から自分の手を重ねて、包丁を握った。
「ひゃっ……!」
背中合わせの密着状態。
俺の腕の中にすっぽりと収まった奏羽は、ビクッと肩を跳ねさせ、顔を真っ赤に染めた。
俺も、彼女のシャンプーの甘い香りと、薄着越しに伝わる体温に、心臓が爆発しそうになるのを必死に堪えていた。
「……い、いいか。包丁はこうやって、刃を滑らせるようにして切るんだ。力任せにやったら、指を切るぞ」
「う、うん……。わかった、湊くん……」
俺がゆっくりと手を動かし、トマトを綺麗にスライスしていくと、奏羽は俺の腕の中で「はぁ……」と熱い吐息をこぼした。
「……どうした?」
「……湊くんの匂い、すっごくする。……後ろから抱きしめられてお料理するの、夢だったの……」
「……っ!」
俺は慌てて手を離し、一歩後ずさった。
「お、俺はハンバーグ焼くから! サラダの盛り付けは任せたぞ!」
「あはは、湊くん顔真っ赤だよー?」
完全にからかわれている。
氷の生徒会長だった彼女は、いつの間にか「小悪魔な彼女」へとクラスチェンジを果たしていた。
* * *
無事に夕食を終え、二人でテレビを見ながらくつろいでいた夜十時。
夏休みの勉強計画を立てようと、俺がノートを広げたその時だった。
——ゴロゴロ……ピシャンッ!!
突然、窓の外がピカッと光り、地響きのような雷鳴が轟いた。
夏のゲリラ豪雨だ。
「ひゃあぁっ!」
奏羽が短い悲鳴を上げ、俺の腕にしがみついてきた。
「……奏羽、雷苦手だったのか?」
「う、うん……。おっきい音が、怖くて……」
彼女はブルブルと震えながら、俺のパーカーの袖をぎゅっと強く握りしめている。
不眠症で夜が怖い彼女にとって、雷の轟音はパニックを引き起こすのに十分な破壊力を持っていた。
——ピカッ! ガラガラドシャァンッ!!
「……っ!!」
さらに大きな雷鳴が響いた瞬間、部屋の電気がフッと消え、テレビの画面も真っ暗になった。
停電だ。
「……湊くんっ! 怖い、暗いっ……!」
「大丈夫だ、俺がここにいる。……すぐスマホのライト点けるから」
俺は震える彼女の背中を抱き寄せ、もう片方の手でスマホを探そうとした。
しかし、奏羽は俺の腕に全力でしがみつき、離れようとしない。
「だめっ、離れないで……! 湊くんの匂いがしないと、わたし……っ」
暗闇の中、彼女の熱い吐息が首筋にかかる。
雷の恐怖で限界に達した彼女は、俺の首に腕を回し、顔を押し付けてきた。
「奏羽……」
「……湊くん、お願い。……ぎゅってして。雷の音が聞こえなくなるくらい、強く……」
暗闇の密室。
雷雨の音だけが響く中、俺は彼女の細い腰を力強く抱き寄せた。
夏休みの同棲初日。俺の理性の防波堤は、天候という不可抗力によって、早くも決壊の危機に瀕していた。




