第39話:朝の登校と、仕組まれたハードル
「……ごちそうさまでした。湊くんの作ったごはん、世界で一番美味しい……」
朝の陽射しが差し込む小さなダイニングテーブル。
向かい合ってトーストを頬張る奏羽の顔は、昨夜の涙が嘘のように晴れやかだった。
俺の作った簡単な朝食を、まるで宝物のように大切に食べる彼女。その姿に、俺の胸の奥は温かいもので満たされていく。
(……それにしても)
俺はコーヒーを飲みながら、ふと考えた。
一条副会長も、凪瀬夫人も。
奏羽を「完璧な偶像」として縛り付けておきたいはずの彼女たちが、なぜ俺を排除せず、「条件付き」で猶予を与えたのか。
副会長の時は、「スピーチの成功」。
今回は、「俺の学年十位以内」。
どちらも厳しいが、クリアすれば認めざるを得ない「正当な理由」になる。
あの二人は、もしかしたら奏羽の限界を察していて、俺が彼女を支える「資格」があるかどうかを試しているのかもしれない。
「……湊くん? どうしたの、難しい顔して」
「いや、なんでもない。……そろそろ学校行くか。奏羽、その紙袋は置いていけよ」
俺が指差したのは、昨夜彼女が着ていたスウェットが入った紙袋だ。
奏羽は「あ、忘れてた」と苦笑いして、それを俺のベッドの横に置いた。
「そうだね。……これから毎日ここで寝るんだから、持っていく意味ないもんね」
さらりと、とんでもないことを言う。
俺の部屋に、彼女の私物が一つ、また一つと増えていく。
その事実に、俺の心臓は朝から落ち着かなかった。
* * *
学校の門をくぐる時、周囲の視線はこれまで以上に突き刺さるようだった。
いつもは一人で凛と歩く生徒会長が、地味な図書委員の隣で、その袖をぎゅっと掴んで歩いているのだ。
「おい、あれ……一緒に登校してんぞ」
「昨日、会長が夜中に家を飛び出したって噂、マジだったのか……?」
不穏な囁きが聞こえるが、奏羽はどこ吹く風で、むしろ俺の腕にギュッと身を寄せてきた。
俺はと言えば、彼女の熱量に完全に押し切られ、ただされるがままに歩くしかない。
「……湊くん、みんな見てるね」
「ああ、生きた心地がしないよ……」
「ふふっ。いいの。これがわたしの『ありのまま』なんだから」
そして昼休み。
いつもの屋上の踊り場で、俺たちは一条副会長——零と対峙していた。
「——遅いですね。朝から二人で登校したという報告は受けていますよ」
零は眼鏡を押し上げ、冷徹な視線を俺に向けた。
その手には、凪瀬夫人から送られてきたという、俺の過去の成績データが握られている。
「風森さん。貴方、今回の条件を『会長に教えてもらえばなんとかなる』と甘く見ていませんか?」
「えっ……まぁ、奏羽は学年トップですし、俺もそれなりには……」
俺の言葉を、零は鼻で笑った。
「甘いですね。我が校の学年十位以内というのは、幼少期から英才教育を受けてきた『特進Sクラス』の連中が独占している指定席です。一般クラスで中の上の貴方が、たかだか二週間の付け焼き刃で入れる領域ではありません」
零の言葉に、俺はハッとした。
そうだ。この学校には、国立大医学部や海外の難関大を目指す、化け物じみた秀才が集まる「特進クラス」が存在する。
彼らは定期テストを「満点以外は失点」と考えるような連中だ。
凪瀬夫人は、初めから達成不可能な条件を突きつけて、俺を合法的に排除しようとしている。
「……っ。学年十位、そんなに高い壁なのか……」
俺の足が少しだけ震えた。
押しに弱く、プレッシャーに弱い俺の性格を見透かしたような、絶望的な数字。
「……ですが、ご安心を」
零は一枚のプリントを差し出した。
分刻みでビッシリと書き込まれた、狂気じみた学習計画表だ。
「今日から期末テストまでの二週間、貴方の放課後は生徒会が管理します。会長の勉強時間を確保するため、そして貴方の成績を十位以内に引き上げるため……私と会長による『地獄の特別補習』を受けてもらいます」
「じ、地獄の……」
「ええ。貴方に拒否権はありません。奏羽ちゃんを失いたくなければ、死ぬ気でついてくることです」
零の冷たい宣告に、俺は顔面蒼白になった。
だが、隣にいる奏羽はパァッと顔を輝かせた。
「ほんと!? 零、ありがとう! 湊くんと一緒に勉強できるの、すっごく嬉しい!」
「……会長。喜んでいるところ申し訳ありませんが、私が見ている前でいちゃつく暇など与えませんよ。……風森さん、覚悟はいいですね?」
逃げ場のない包囲網。
不眠症の彼女を助けるはずが、気づけば俺自身が「学力」という戦場に引きずり出されていた。
俺たちの「甘い同居生活(予定)」を懸けた、命がけの勉強会が幕を開けようとしていた。




