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第36話:朝の奇襲と、氷の女王との再戦

チュン、チュン……。

窓の外から聞こえる鳥のさえずりと、カーテンの隙間から差し込む朝の光で、俺はゆっくりと目を覚ました。


「……ん」


寝返りを打とうとしたが、身体が妙に重い。

特に右半身に、生温かくて柔らかい重りが乗っているような感覚があった。


「……すぅ、すぅ……湊くん……えへへ……」


薄目を開けると、俺の右腕を抱き枕のようにホールドし、顔を胸元に擦り寄せて爆睡している奏羽の姿があった。

昨夜のラフなパーカー姿のまま、彼女は完全に俺のベッドの主と化している。


(……そうだ。昨日の夜、こいつが俺の部屋に押しかけてきたんだった)


俺は一気に目が覚めた。

同時に、昨夜眠る直前に抱いた「現実的な恐怖」が、鮮明に蘇ってきた。


「おい、奏羽。朝だぞ、起きろ」


俺が肩を揺さぶると、奏羽は「んぅ……あと五分……」と寝言を漏らし、さらに俺の腕に強くしがみついてきた。


「五分じゃない! 今すぐ起きないと、お前のお母さんが……!」


——ピンポーン。


その時だった。

マンションの静かな朝の空気を切り裂くように、無機質なインターホンの音が鳴り響いた。


「……っ!!」


俺の心臓が、早鐘のように打ち鳴らされる。

時計を見ると、朝の六時半。宅配便やセールスの時間ではない。

考えられる訪問者は、たった一人しかいなかった。


「奏羽! 起きろ! 多分、お母さんが来たぞ!」


「えっ……お母様……!?」


その言葉に、奏羽は弾かれたように飛び起きた。

寝癖のついた髪を振り乱し、完全にパニック状態に陥っている。


「ど、どうしよう湊くん! お母様、なんでここが……」

「お前が俺の住所を知ってたんだ。向こうだって、学校に問い合わせればすぐにわかる。……とりあえず、お前は奥の部屋に隠れてろ!」


俺は奏羽を寝室のクローゼットの奥に押し込み、大急ぎでパジャマから制服に着替えた。

そして、覚悟を決めて玄関のドアへと向かった。


ドアスコープを覗くと、そこには予想通り、般若のような形相で立つ凪瀬夫人の姿があった。その後ろには、いかついスーツ姿の男(運転手か何かだろう)が二人控えている。


「……ふぅ」


俺は深呼吸をして、チェーンを外した。


「おはようございます、凪瀬夫人。朝早くからどうされましたか?」


俺が努めて冷静にドアを開けると、凪瀬夫人は一切の挨拶を省き、冷え切った声で言い放った。


「娘を出してください」

「……娘さん、ですか? 昨日の夕方、お宅でお別れしたはずですが」


俺がしらばっくれると、夫人の目が吊り上がった。


「白々しい嘘はおやめなさい! 奏羽が昨夜から部屋におりません。スマホも置いていったためGPSも機能しない。……あの真面目な子が、貴方以外の誰のところへ行くというのです!」


夫人の剣幕に、俺は一瞬たじろいだが、ここでおとなしく引き下がるわけにはいかなかった。


「……もし、奏羽さんがここにいるとして。貴女は彼女を連れ戻して、またあの『完璧な令嬢』という檻の中に閉じ込めるおつもりですか?」


俺の問いかけに、夫人は怒りに震えながら答えた。


「それが、凪瀬家の娘としての『責務』です! 貴方のような不良の真似事をさせて、あの娘の将来を台無しにするわけにはいきません!」

「不良の真似事? ……彼女が、ただ安心して眠りたいと願うことが、そんなに悪いことですか?」


俺は一歩前に出た。


「昨日の夕方、彼女が俺の前でどんな顔をしたか、見ましたよね? あれが、彼女の『本当の顔』です。……貴女の求める完璧さに押し潰されて、彼女は毎晩、一睡もできずに苦しんでいたんですよ」


「……っ!」


俺の言葉に、凪瀬夫人の表情が僅かに揺らいだ。

彼女もまた、娘を愛しているからこそ、娘の苦しみに気づけなかった自分を責めているのかもしれない。


「……それでも。彼女は凪瀬の人間です。貴方とは住む世界が違う」


夫人は唇を噛み締め、再び冷たい声に戻った。


「今すぐ、娘を返しなさい。さもなくば、警察を呼びますよ。未成年者略取誘拐で」


警察。

その言葉が出た瞬間、俺の背筋に冷たい汗が流れた。

確かに、俺が奏羽を家に匿っているのは事実だ。親の同意がない以上、法的に俺の立場は圧倒的に弱い。


(……くそっ、ここまでか)


俺が諦めかけた、その時だった。


「——だめっ! 警察なんて呼ばないで!」


玄関の奥から、部屋着姿の奏羽が飛び出してきた。

彼女は俺の前に立ちふさがり、両手を広げて母親を睨みつけた。


「奏羽……!」

「お母様! わたしが、勝手に湊くんの家に押しかけたの! 湊くんは悪くない!」


奏羽の声は震えていたが、その瞳には、かつての「完璧な令嬢」にはなかった、燃えるような強い意志が宿っていた。


「……奏羽、貴女という子は……!」

「お母様。わたしはもう、お母様の言う『完璧なお人形』には戻らない。……わたしは、湊くんの隣でしか、息ができないの!」


それは、母親に対する完全な反逆宣言だった。

そして同時に、俺に対する、これ以上ないほど不器用で、まっすぐな告白でもあった。


朝のマンションの廊下。

俺と奏羽、そして凪瀬夫人。

三人の間に、ヒリヒリとした沈黙が降り下りた。


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