第33話:宣戦布告と、二人だけの作戦会議
「——凪瀬の家に、もう一度」
俺の決意表明に、電話の向こうの奏羽は息を呑んだ。
『ほんとに……行くの? お母様、きっと……湊くんを追い返すよ?』
「構わない。何度追い返されたって、お前の隣にいる資格があるって認めてもらうまで、俺は通い続ける」
『湊くん……』
彼女の声に含まれていた不安が、少しずつ、確かな信頼へと変わっていくのがわかった。
「だから、明日の放こ……いや、明日の昼休み、屋上で作戦会議だ。いいな?」
「うんっ! わかった!」
電話を切った後も、俺の心臓は高鳴り続けていた。
勢いで告白してしまったが、後悔はない。
むしろ、これで腹が決まった。俺はもう、ただの「寝かしつけ係」じゃない。彼女の隣に立つ、たった一人の男になるのだ。
* * *
翌日の昼休み。
屋上へ続く階段の踊り場は、すっかり俺たちの秘密基地になっていた。
昨日までの甘い雰囲気とは違い、今日の俺たちの間には、戦場へ向かう同志のような、心地よい緊張感が漂っている。
「それで、湊くん。作戦って、一体どうするの?」
奏羽が、俺が買ってきたメロンパンを頬張りながら、キラキラした目で尋ねてくる。
彼女は昨夜、俺の告白のおかげで久しぶりに朝までぐっすり眠れたらしく、今日の顔色は最高に良かった。
「まず、大前提として、真正面から『お嬢さんをください』って言っても、十中八九追い返される」
「うん、それは間違いないと思う」
「だから、俺たちは凪瀬夫人の『弱点』を突く必要がある」
俺がそう言うと、奏羽は不思議そうに小首を傾げた。
「お母様の、弱点……? そんなのあるかな。お母様は、いつも完璧で、隙がない人だよ?」
「いや、ある。……昨日、俺は確かに見たんだ」
俺は、昨日の夕暮れの一瞬を思い返す。
あの時、凪瀬夫人は俺のことを「娘に近づく害虫」を見るような冷たい目で見ていた。
だが、その視線は、奏羽に向けられた瞬間、ほんの僅かに——本当に僅かに、揺らいだのだ。
「奏羽、お前、母親の前だとどんな感じなんだ?」
「え? えっと……『完璧な令嬢』でいるように、ずっと頑張ってきた。感情を表に出さないように、礼儀作法も完璧に……」
「だよな。だから、お前の母親は『本当のお前』を知らないんだ」
俺は奏-羽の手を取り、真剣な目で見つめた。
「作戦はこうだ。——放課後、俺が凪瀬家に行く。でも、お前はいつも通り、俺の後ろで『完璧な令嬢』のフリをしてるだけでいい」
「え? それじゃあ、昨日と同じじゃない」
「いや、一つだけ違うことをする。……俺が、お前の母親の前で、お前を『甘やかす』」
「……へっ!?」
奏羽が、素っ頓狂な声を上げた。
「あ、甘やかすって……どういうこと!?」
「例えば、俺が話してる間、お前の頭を撫でるとか。いつも図書室でやってるみたいに」
「そ、そんなことしたら、お母様に殺されちゃうよ!?」
「殺されはしないだろ。……いいか、奏羽。お前の母親は、お前が俺に『弱みを握られてる』と思ってる。だから、俺が一方的にお前に手を出しているように見せかけるんだ」
俺の狙いはそこにあった。
凪瀬夫人は、娘が「完璧」であると信じている。その完璧な娘が、俺なんかに心を許すはずがない、と。
「俺がお前に馴れ馴れしくするのを見て、お前の母親は間違いなく俺を追い出すだろう。でも、その時、お前がどんな顔をするか……それを、彼女は見てしまう」
「わたしが、どんな顔……?」
「俺に甘やかされて、安心しきった、トロトロの顔だよ」
俺がニヤリと笑うと、奏羽の顔がみるみるうちに真っ赤になった。
「と、とろとろって……!」
「お前の母親は、お前がそんな顔をすることを知らない。完璧な娘が、実はこんなにも普通の女の子で、俺の前でだけ心からの笑顔を見せる……その事実を突きつけられたら、彼女の『完璧な娘』という幻想は、少しだけ揺らぐはずだ」
これは賭けだ。
激昂した彼女に塩を撒かれて追い出されるかもしれない。
だが、これが奏羽の「呪縛」を解くための、唯一の突破口だと俺は信じていた。
「湊くん……」
奏羽は、俺の突拍子もない作戦に呆然としながらも、その瞳には確かな信頼の色が宿っていた。
「……わかった。やってみる。……でも、もしお母様が包丁とか持ち出してきたら、ちゃんとわたしを盾にして逃げてね」
「お前を盾にはしないだろ!」
俺たちは顔を見合わせて、小さく笑った。
二人だけの、無謀で、少しだけロマンチックな作戦会議。
放課後、俺は覚悟を決めて、再びあの重厚な門の前に立つことになる。
平凡な図書委員による、「氷の女王」への宣戦布告。
そのゴングは、もう間もなく鳴り響こうとしていた。




