第28話:デートの翌朝と、学園に広がる噂
月曜日の朝。
俺は昨日一日の甘い余韻を引きずったまま、少しだけ気だるい足取りで教室のドアを開けた。
すると、そこに広がっていたのは、いつもの騒がしい朝の風景ではなかった。
——シン……。
クラス中の視線が、まるで申し合わせたかのように、一斉に俺へと突き刺さった。
男子生徒たちは驚愕と嫉妬が入り混じった目で、女子生徒たちは興味津々の好奇の目で、俺を値踏みするように見つめている。
「……な、なんだ?」
俺が戸惑っていると、親友の陸が血相を変えて俺の元へ駆け寄ってきた。
「湊っ! お前、昨日……やったらしいな!!」
「はぁ!? やったって、何をだよ!?」
「とぼけんなよ! 学園中に噂が広まってるぞ! 『氷の生徒会長・凪瀬奏羽が、週末に謎の男子生徒と水族館でイチャイチャデートしていた』ってな!!」
陸の言葉に、俺は全身の血の気が引くのを感じた。
(……見られていたのか!?)
確かに、昨日の水族館は休日ということもあり、それなりに人がいた。その中に、うちの学校の生徒がいても何ら不思議はない。
俺たちの姿は、奏羽の圧倒的な美貌も相まって、かなり目立っていただろう。
「しかもだ! その相手の男ってのが、どうやらお前のことらしいんだよ!」
「な、なんで俺だってバレてるんだ!?」
「目撃情報によると、『男は地味な見た目だったが、凪瀬会長がその男の袖をずっと掴んだり、手を繋いで幸せそうに寄り添っていた』って話だ! そんな奇行に及ぶ相手なんて、お前しかいねぇだろ!!」
陸の的確すぎる推理に、俺はぐうの音も出なかった。
クラス中から「やっぱり風森だったのか……」「会長をどうやって誑かしたんだ……」「爆発しろ」という念のようなものがヒシヒシと伝わってくる。
「湊……お前、ついに一線を超えちまったんだな……」
「だから超えてないって! ただ普通にデートしただけだ!」
「手を繋いで歩くのを『普通』とは言わねぇんだよ、あの会長に限っては!」
まさにその通りだった。
学園の誰もが見てみたいと願いつつも、決して見ることができないはずだった「氷の生徒会長のデート現場」。
その相手が、クラスで一番地味な図書委員の俺だと知れ渡ってしまったのだ。
——その時だった。
「——風森くん、おはよう」
教室の入り口から、凛とした、しかしどこか弾むような声が響いた。
クラス中の視線が、再びそちらへと集中する。
そこに立っていたのは、他でもない凪瀬奏羽だった。
彼女は俺の姿を認めるなり、パァッと花が綻ぶような、それはそれは幸せそうな笑顔を見せた。
その手には、昨日と同じウサギ柄の布に包まれた、二段重ねのお弁当箱が握られている。
「……っ」
俺は、これから起こるであろう惨劇を予感し、顔面蒼白になった。
「昨日は、ありがとう。すっごく、楽しかった。……今日もお弁当、作ってきたから。お昼、また屋上で一緒に食べよ?」
奏羽は周囲の視線など全く気にする様子もなく、俺の席まで歩み寄ると、当然のようにお弁当箱を机の上に置いた。
その仕草は、もはや隠す気など微塵もない、完全な「彼女」としての振る舞いだ。
「な、凪瀬さん……! 今、学園中がお前の噂で持ちきりなんだぞ!?」
「うん、知ってるよ。零から聞いた」
「知ってて、なんでこんな堂々と……!」
俺が慌てて小声で言うと、奏羽は不思議そうに小首を傾げた。
「だって、本当のことだもん。わたしは昨日、湊くんとデートしたし、すごく幸せだった。……それを隠す必要なんて、ないでしょ?」
彼女は悪戯っぽく微笑むと、俺の耳元にそっと顔を寄せた。
「それに……」
甘いシャンプーの香りと共に、熱い吐息が耳にかかる。
「『湊くんはわたしの彼氏なんだから、誰も手を出さないでね』って、みんなに分かってもらった方が、わたしも安心できるし」
囁かれた言葉は、あまりにも大胆で、甘い独占欲に満ちていた。
氷の生徒会長は、もはや自らの恋心を隠すどころか、学園全体に対して「マウント」を取りに来ているのだ。
「じゃあ、お昼休みに迎えに来るね、湊くん」
奏羽は満足そうに微笑むと、ひらりと手を振って教室を出て行った。
嵐が去った後の教室。
俺は、クラス中の男子生徒たちから放たれる、殺意にも似た嫉妬のオーラを全身に浴びながら、ただ乾いた笑みを浮かべることしかできなかった。
俺の平穏だった学園生活は、どうやら完全に終わりを告げたらしい。




