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第26話:初めてのデートと、繋ぎたい右手

土曜日の午前十時、駅前の広場。

俺は少しだけ落ち着かない気持ちで、待ち合わせ相手の姿を探していた。


(……どんな服で来るんだろうか)


制服姿しか知らない彼女が、どんな私服を選ぶのか。

想像するだけで、心臓が変な音を立てる。

周りを行き交う人々の中で、ひときわ目を引く存在がいないかキョロキョロと見渡していた、その時だった。


「……湊くん。お待たせ」


背後からかけられた声に振り返ると、俺は呼吸を忘れた。


そこに立っていたのは、紛れもなく凪瀬奏羽だった。

しかし、その姿は学園で見る「孤高の生徒会長」とは全く違っていた。

ふわりとした白いワンピースに、淡いブルーのカーディガン。いつものストレートヘアは緩く巻かれており、風に揺れるたびに甘い香りが漂ってくる。

普段はほとんど見せない、ほんのりと色づいたリップが、彼女の大人びた魅力を際立たせていた。


「……」

「……あ、あの……変、かな?」


俺があまりにも呆然と見つめていたせいか、奏羽は不安そうに自分のスカートの裾を握りしめた。

その仕草は、いつもの図書室での彼女と同じで、俺はハッと我に返った。


「い、いや、変じゃない! 全然変じゃない! むしろ……その、すごく……似合ってる」

「ほんと!? よかったぁ……」


奏羽はホッと胸を撫で下ろし、花が綻ぶように笑った。


「零にね、『初めてのデートなんだから、少しは女の子らしくしなさい』って言われて……昨日、一緒に買いに行ったの。ど、どうかな、ちゃんと女の子に、見えてる……?」

「……見えてるどころじゃない。正直、心臓に悪いレベルで可愛い」


俺が本音を漏らすと、奏羽は「えへへ……」と嬉しそうにはにかみ、頬を赤く染めた。

氷の生徒会長と、平凡な図書委員。

今日だけは、そんな肩書きを忘れて、ただの高校生の男女として一日を過ごすのだ。


「それで、どこに行くんだ?」

「えっとね、今日はわたしが決めてきちゃった。……湊くん、水族館は好き?」


 * * *


薄暗い青色の光に満たされた水族館の中。

巨大な水槽の中を、色とりどりの魚たちが優雅に泳いでいる。


「わぁ……綺麗」


奏羽は子供のようにはしゃぎ、水槽に顔を近づけて目を輝かせている。

そんな彼女の横顔を眺めているだけで、俺の心は温かいもので満たされていった。


「湊くん、見て! あの魚、すごくキラキラしてる!」


彼女が指差す方を見ると、銀色に光る魚の群れが、まるで一つの生き物のように渦を巻いていた。

その幻想的な光景に、俺も思わず見入ってしまう。


その時だった。


「……湊くん」


奏羽が、俺の隣で小さく呟いた。

振り返ると、彼女は水槽ではなく、俺の顔をじっと見つめている。

そして、おずおずと、彼女の白い指先が俺の右手に触れた。


「……っ」


俺の心臓が、大きく跳ねた。

彼女の指は少しだけ冷たくて、微かに震えている。


「あのね……」


奏羽は、少しだけ俯き加減で、潤んだ瞳で俺を見上げてきた。


「図書室だと、いつも湊くんの袖を掴んでるけど……今日は、制服じゃないから。……その、代わりと言ってはなんだけど……」


彼女は、勇気を振り絞るように、ぎゅっと俺の小指を握りしめた。


「……て、手を……繋いでも、いいかな……?」


——破壊力が高すぎる。

こんな無防備な顔で、こんな可愛いおねだりをされて、断れる男がいるだろうか。


俺は、返事の代わりに、彼女の冷たくて震える手を、そっと包み込むように握り返した。


「……っ!」


奏羽の肩がビクッと跳ね、顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。


「……湊、くん……」

「袖より、こっちの方が温かいだろ?」


俺が少しだけ意地悪く笑いかけると、彼女は「……うん」と消え入りそうな声で頷き、ぎゅっと俺の手を握り返してきた。


繋がった右手と左手。

そこから伝わるお互いの体温と鼓動が、薄暗い水族館の中で、二人だけの秘密の熱を生み出していく。

言葉はなくても、これだけで十分だった。


俺たちの初めてのデートは、ただ黙って手を繋ぎ、巨大な水槽の前で寄り添っているだけで、世界で一番幸せな時間へと変わっていた。


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