表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/62

第19話:不器用な練習と、夜の特等席

「『……各校が手を取り合い、より良い未来を築いていくための……その第一歩と、なりますように』」


図書室の奥、俺の膝枕の上で。

奏羽が、ゆっくりと、しかしはっきりとした声でスピーチ原稿の最後の一文を紡ぎ終えた。

目を閉じたままの彼女の表情は、最初の頃の強張りから見違えるほど穏やかになっていた。


「……どうかな、湊くん」

「完璧だ。途中、一度もつっかえなかったし、早口にもならなかった。この調子なら、日曜日も大丈夫だろ」


俺が頭をポンポンと撫でてやると、奏羽は嬉しそうに目を開け、ふにゃりと笑った。


「湊くんが……膝枕で、ずっと頭撫でててくれたから。湊くんの体温と、匂い……すごく、安心する」

「そ、そうか」


下から見上げてくる彼女の潤んだ瞳と、無防備すぎる言葉に、俺は思わず視線を逸らした。

「甘やかす」と宣言したのは俺自身だが、この体勢は健康な男子高校生にとって、かなり理性を削られる。

彼女の柔らかい頭の重みと、甘いシャンプーの香りがダイレクトに伝わってくるのだから無理もない。


「……でも、まだ怖い」


奏羽が、俺の制服の裾を握る手にきゅっと力を込めた。


「今は湊くんがすぐそばにいるから読めるけど……日曜日は、体育館のステージで、何百人もの前で一人で話さなきゃいけないんだよ? 零の目もあるし……わたし、また頭が真っ白になっちゃうかも」


彼女の不安はもっともだ。

俺の「声」と「体温」に依存してプレッシャーを和らげている以上、本番で俺がいなければ、元の木阿弥になってしまう可能性は高い。


「……わかった。じゃあ、本番でも俺がそばにいるって思えるような『お守り』を作ろう」

「お守り?」

「ああ。少し体を起こしてくれ」


俺が言うと、奏羽は名残惜しそうにしながらも、ゆっくりと体を起こし、俺の隣に座り直した。


俺は自分の鞄をごそごそと漁り、いつも図書委員の仕事で使っている、少し大きめの紺色のシュシュを取り出した。

本を縛ったり、作業中に袖を捲る時に使っているものだ。


「これ……」

「右手を貸して」


俺は奏羽の細い右手首に、そのシュシュを二重に巻きつけた。


「俺がいつも使ってるやつだから、少しだけど……俺の匂いがついてると思う。本番で緊張しそうになったら、こっそりこれに触れて、深呼吸してくれ。俺が隣で膝枕してる時と同じくらい、リラックスできる……かもしれない」


少し気恥ずかしくて早口になってしまったが、奏羽は手首に巻かれたシュシュをじっと見つめ、パァッと顔を輝かせた。


「湊くんの、匂い……」


彼女はシュシュを鼻先に近づけ、スーッと深く息を吸い込んだ。

そして、宝物のように両手で包み込む。


「……これがあれば、絶対大丈夫。湊くんが、ずっと一緒にステージに立ってくれてるみたい」

「それは少し大げさだけどな」

「ううん、本当だよ。……ありがとう、湊くん。わたし、日曜日、絶対に成功させるね」


一条副会長に言い返した時のように、彼女の瞳には強い意志が宿っていた。

これなら、きっと乗り越えられる。そう確信した時だった。


「……風森くん、奏羽ちゃん。そろそろ閉館の時間よ」


カウンターの方から、柚原先輩の声が響いた。

ハッとして時計を見ると、いつの間にか下校時刻のチャイムが鳴り終わっていた。


「やば、もうこんな時間か。柚原先輩、すみません! すぐ片付けます!」

「ふふっ、ゆっくりでいいわよ。……特訓の成果、出るといいわね」


柚原先輩は意味深に微笑みながら、鍵の束をチャラチャラと鳴らした。

おそらく、膝枕での朗読特訓も、シュシュを渡したことも、すべてお見通しなのだろう。


 * * *


その日の夜。

俺はベッドの中で、スマホの画面を見つめていた。

時刻は夜の十一時半。


「……そろそろ、寝たかな」


最近は寝落ち通話の頻度を減らしている(奏羽の「甘えすぎ」への反省のため)が、日曜日が近づくにつれて、彼女の不眠が再発していないか心配だった。


——ピコン。


その時、メッセージアプリに通知が届いた。

奏羽からだ。


『湊くん、起きてる……?』

『起きてるよ。眠れないのか?』


すぐに既読がつき、返信が来る。


『ううん。今日は、湊くんのシュシュがあるから……すごく安心してるの。でも、少しだけ……声が聞きたくて』


俺は小さく息を吐き、通話ボタンを押した。


「もしもし、奏羽?」

『……湊、くん』


スマホ越しに聞こえる声は、とても穏やかだった。


「シュシュ、効果あったか?」

『うん。湊くんの匂いがして……図書室の特等席にいるみたい』

「そっか、よかった」

『……ねえ、湊くん』

「ん?」

『日曜日……わたしのスピーチ、見に来てくれる?』


交流会議は生徒会役員と関係者だけの集まりだが、一般生徒も見学することは可能だ。


「ああ、もちろん行くよ。お前が完璧にやり遂げるのを、一番後ろの席で見届けるから」

『……うんっ。絶対、成功させるから。……おやすみなさい、湊くん』

「おやすみ、奏羽」


通話が切れる直前、微かに「……すき」という寝言のような呟きが聞こえた気がしたが、俺は深く追及せず、そっとスマホを置いた。


決戦の日曜日まで、あと三日。

孤高の生徒会長と平凡な図書委員の、試練の週末が始まろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ