第18話:特訓と、膝枕の朗読
一条副会長から突きつけられた、日曜日の合同交流会議での「完璧なスピーチ」という試練。
もし奏羽が失敗すれば、俺たちは二度と関わることができなくなる。
「……凑くん、ごめんね。わたしのせいで、こんなことになって」
翌日の放課後。図書室の奥の特等席で、奏羽はしょんぼりと肩を落としていた。
いつもなら真っ先に俺の袖口を掴んで寄りかかってくるのに、今日は少しだけ距離を置いている。昨日の「甘えすぎた」という反省と、俺を巻き込んでしまった罪悪感で、彼女なりに遠慮しているのだろう。
「謝るのは禁止。それに、俺から売り言葉に買い言葉で受けた勝負だろ」
俺はわざとらしくため息をつき、彼女の隣に腰を下ろした。
そして、彼女の手を取って、俺の右の袖口に無理やり握らせた。
「ほら、いつも通り」
「……いいの?」
「よくないわけないだろ。俺がお前を『全力で甘やかす』って言ったんだから」
奏羽はホッとしたように瞳を潤ませ、ぎゅっと袖口を握りしめた。
その手は、冷たくて微かに震えている。日曜日が近づくにつれて、プレッシャーが重くのしかかっている証拠だ。
「よし、じゃあ早速特訓だ。スピーチの原稿は持ってきたか?」
「うん……これ」
奏羽が鞄から取り出したのは、ビッシリと文字が書き込まれた数枚のプリントだった。
目を通してみると、他校の生徒会役員を歓迎する挨拶から始まり、今後の合同行事の提案など、かなり堅苦しくて長い内容だ。
「これを、日曜日に大勢の前で暗唱するのか」
「……うん。去年は、途中で頭が真っ白になっちゃって……手元のメモを見ながらじゃないと、全然ダメだったの。零にすごく怒られて……」
彼女はプリントを握る手に力を込め、俯いた。
完璧な生徒会長。その重圧が、彼女を不眠症に追い込み、今もこうして苦しめている。
「……じゃあ、まずは俺が読んでみる。奏羽は目を閉じて、リラックスして聞いててくれ」
「湊くんが、読むの?」
「ああ。俺の声で、この堅苦しい原稿が少しでも聞きやすくなるか試してみよう」
俺は軽く咳払いをして、原稿に目を落とした。
「『——本日はお忙しい中、我が校にお集まりいただき、誠にありがとうございます。……』」
俺は、いつもの童話の朗読と同じように、ゆっくりと、低く穏やかなトーンで読み始めた。
体育館でのスピーチのように張り上げるのではなく、隣にいる奏羽だけに語りかけるように。
「『……私たちは、各校の垣根を越え、より良い学園生活を共有するための……』」
数分間読み続けると、最初は強張っていた奏羽の肩の力が、少しずつ抜けていくのがわかった。
「……どうだ? 聞いてて、頭に入ってきたか?」
俺が読み終えて尋ねると、奏羽は閉じていた目をゆっくりと開けた。
その瞳には、少しだけ驚きの色が浮かんでいた。
「……うん。湊くんの声だと、なんだか……すごくすんなり言葉が入ってくる。怖い言葉じゃなくて、優しいお話を聞いてるみたい」
「そうか、ならよかった。じゃあ、今度は奏羽が読んでみてくれ。俺が聞いてるから」
奏羽はこくりと頷き、原稿を手に取った。
しかし、いざ声に出そうとすると、途端に呼吸が浅くなり、声が震え始める。
「『ほ、本日は……お忙しい中……わ、我が校に……』」
「……ストップ」
俺は優しく彼女の手から原稿を取り上げた。
プレッシャーで完全に体が強張っている。このままでは、暗唱どころか読むことすらままならないだろう。
「奏羽、一旦落ち着こう」
「……ごめん、なさい。やっぱり、わたし……」
今にも泣き出しそうな彼女を見て、俺は少し考えた。
どうすれば、彼女の緊張を解きほぐし、いつもの「リラックスした状態」に持っていけるか。
「……よし。ちょっと失礼」
俺は壁を背にして長座の姿勢になり、自分の膝をポンと叩いた。
「え?」
「ここに頭乗せて。膝枕」
「ひゃっ!?」
奏羽の顔が、ポンッと音を立てて真っ赤に染まった。
「ひ、ひざまくらっ!? ここ、図書室だよ!? 柚原先輩が来たら……っ」
「大丈夫、この時間は奥まで来ないって。それに、俺の肩より膝の方が、完全に力抜けるだろ?」
「そ、それは……そうかも、しれないけど……」
「いいから。俺がお前を甘やかすって決めたんだ」
俺が半ば強引に促すと、奏羽はおずおずと俺の足の間に体を滑り込ませ、仰向けになって俺の膝に頭を乗せた。
ふわりと、あの甘いシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。
下から見上げる彼女の顔は、恥ずかしさで真っ赤だったが、その瞳は完全に俺に依存しきっていた。
「……で、どうするの?」
上目遣いで聞いてくる彼女の頭を、俺は優しく撫でた。
「この状態で、俺がもう一度原稿を読む。奏羽は目を閉じて、俺の声を聞きながら、心の中で一緒に復唱してくれ」
「……うんっ」
奏羽は嬉しそうに目を閉じ、俺の制服の裾をぎゅっと握りしめた。
完全に安心しきった、無防備な姿。
「じゃあ、いくぞ。『——本日はお忙しい中……』」
俺は彼女のサラサラの髪を撫でながら、ゆっくりと原稿を読み上げた。
膝から伝わってくる彼女の体温と、穏やかな寝息に近い呼吸。
少しずつ、彼女の強張っていた表情が和らいでいく。
(……これで、少しでも日曜日のプレッシャーが減ればいいんだけどな)
膝枕での朗読特訓。
それは、一条副会長には絶対に見せられない、極甘で秘密の特訓だった。




