第148話:八ツ橋の甘さと、肩の上の寝息
深夜の足湯で心ゆくまで語り合った後、俺と奏羽は誰にも見つかることなく、奇跡的にそれぞれの部屋へと生還することができた。
裏庭から戻ってきた蒼太と結衣も無事だったらしく、早朝に結衣から『大・成・功!』とハイテンションなスタンプが送られてきていた。
そして迎えた、修学旅行の最終日。
「……ふわぁ。なんか、あっという間だったな」
清水寺へと続く参道。人の波をかき分けながら、陸が名残惜しそうに空を見上げた。
「だな。でも、最終日が一番晴れてよかったよ」
俺の隣を歩く奏羽は、少しだけ眠そうに目を細めながらも、俺のブレザーの裾をしっかりと掴んでいた。
昨夜の足湯での秘密の時間を思い出すと、まだ少しだけお互いに気恥ずかしさが残っている。
「……あ、湊くん! あそこでお土産買お!」
奏羽が指差したのは、老舗の八ツ橋屋だった。
「お前、翠へのお土産か?」
「うんっ! 留守番してくれてる翠ちゃんに、一番美味しいやつ選んであげたいの!」
奏羽は嬉しそうに店内へ飛び込んでいき、季節限定のいちご味や抹茶味の八ツ橋を真剣な表情で見比べ始めた。
彼氏の妹である翠を、本当の妹のように大切にしてくれている姿が、たまらなく愛おしい。
「……湊くん、これ試食してみて。はい、あーん」
奏羽が小さな爪楊枝で八ツ橋を差し出してくる。
「おい、人前だぞ……」
「いいの! 湊くんが美味しいって言ったやつにするんだもん」
上目遣いで迫られ、俺は観念して口を開けた。
ニッキの香りと上品な甘みが口いっぱいに広がる。
「……うん、美味い。翠も絶対好きだと思う」
「ほんと!? じゃあこれにするね!」
満面の笑みでお会計を済ませる奏羽。
少し離れたところで、結衣が蒼太に八ツ橋を無理やり口に押し込んで「どう? 美味しいでしょ!?」と詰め寄っているのが見えた。あちらも相変わらずのようだ。
* * *
午後、京都駅の団体待合広場。
東京行きの新幹線を前に、修学旅行の解散式が行われた。
「——この三日間、大きな事故もなく、全員が無事に全日程を終えられたことを、生徒会としても誇りに思います」
整列した全校生徒の前で、マイクを握る奏羽。
数時間前に八ツ橋を俺に「あーん」してデレデレしていた少女とは別人のように、凛として、威厳に満ちた「完璧な生徒会長」の姿だった。
(……かっこいいな、やっぱり)
列の後ろからその背中を見つめながら、俺は誇らしい気持ちでいっぱいだった。
どんなにプレッシャーがあっても、彼女はもう逃げない。自分の足で、堂々と光の当たる場所に立ち続けているのだ。
* * *
東京へと向かう帰りの新幹線。
車内は、遊び疲れた生徒たちの静かな寝息と、規則正しいレールの音だけが響いていた。
「……湊くん」
窓際の席で、奏羽がコテンと俺の肩に頭を預けてきた。
新幹線が発車した途端、生徒会長のスイッチがパツンと切れたらしい。
「お疲れ、奏羽。最後の挨拶、立派だったぞ」
俺が小声で囁くと、奏羽は「……えへへ」と力なく笑い、俺の左腕に自分の両腕をぎゅっと絡ませてきた。
「……すっごく、緊張した。でも……湊くんが後ろで見ててくれたから、最後まで頑張れたよ」
「ああ。ずっと見てた」
「……湊くん」
「ん?」
「……東京帰ったら、また、あのコタツで……ぎゅーって、してくれる?」
「もう春だからコタツは片付けたぞ」
「じゃあ、ベッドで……」
奏羽は俺の肩に顔をすり寄せ、ふぁ……と小さなあくびを漏らした。
そして、数秒もしないうちに、規則正しい、穏やかな寝息を立て始めた。
(……本当に、どこでも俺の肩で寝るんだから)
俺は苦笑いしながら、彼女の黒髪を指先でそっと撫でた。
窓の外を流れる夕暮れの景色。
修学旅行という非日常の旅は、間もなく終わりを告げようとしている。
だが、俺たちの日常は、これからもずっと続いていく。
東京駅に到着するまでの二時間。
俺は肩に乗る愛しい重みと温もりを感じながら、静かに目を閉じた。




