第144話:千本鳥居の隠れ道と、離れ離れの夜
京都駅の巨大な吹き抜けを抜けると、五月の心地よい初夏の風が吹き抜けていた。
一日目の午後。各班に分かれての自由行動がスタートした。
「よし! まずは定番、伏見稲荷大社から攻めるぞ!」
陸がガイドブックを片手に先頭を歩く。
俺と奏羽、そして結衣がその後に続いた。
朱色の鳥居がどこまでも連なる、伏見稲荷の千本鳥居。
修学旅行生や外国人観光客でごった返す中、奏羽は人混みに圧倒されたように、俺のブレザーの裾をぎゅっと掴んできた。
「……湊くん、すごい人だね。はぐれちゃいそう」
「ほら、手、繋ぐか? ここなら誰も見てないしな」
俺が右手を差し出すと、奏羽はパァッと顔を輝かせ、迷わずその手を握りしめてきた。
細くて、少しだけひんやりとした指先が、俺の指と絡まり合う。
「あーあ、早速やってるよあのバカップル。……ちょっと蒼太、あんたも手くらい繋ぎなさいよ!」
「はぁ!? なんで俺がこんな人前で……バカかお前!」
少し前を歩く結衣が、別の班のはずなのに偶然(という名の示し合わせで)合流していた蒼太の腕を引っ張ってギャーギャーと騒いでいる。
不器用な幼馴染カップルのおかげで、俺と奏羽のイチャつきは完全にカモフラージュされていた。
「……ふふっ、結衣ちゃんたち、すっごく可愛い」
奏羽が俺の肩に身体を寄せながら、楽しそうに笑う。
「あいつらも素直じゃないからな。……でも、奏羽。お前、疲れてないか?」
「ううん、全然! 湊くんと一緒なら、どこまでも歩けちゃうもん」
朱色の鳥居の隙間から差し込む木漏れ日が、奏羽の黒髪を艶やかに照らし出す。
ふと、人の波が途切れ、鳥居の曲がり角に二人きりになる瞬間があった。
奏羽は足を止め、繋いだ手をクイッと引っ張った。
「……ん? どうした?」
振り返ると、奏羽は少しだけ背伸びをして、俺の耳元に顔を寄せてきた。
ふわりと、あの甘いシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。
「……京都、湊くんと来られて、すっごく嬉しい」
「ああ。俺もだよ」
「明日も……いっぱい、湊くんの隣にいさせてね?」
上目遣いで微笑む彼女の唇に、思わず触れたくなりそうになるのを、俺は必死に理性の手綱を引いて堪えた。
* * *
夕方、俺たちは宿泊先の老舗旅館に到着した。
畳の匂いが漂う広大な旅館。だが、ここからは「修学旅行の現実」が待っていた。
「——これより、夕食前の点呼を行います。各クラスの室長は、生徒会本部まで報告に来てください」
館内放送で流れる、奏羽の凛とした声。
旅館に着いた瞬間、彼女は俺の甘えん坊な彼女から、全校生徒を束ねる「完璧な生徒会長」へと完璧に切り替わっていた。
「……あいつ、さっきまで俺の手を握ってデレデレしてたのにな」
男子の大部屋で浴衣に着替えながら俺が呟くと、隣の陸がニヤニヤと笑いながらトランプを切っていた。
「切り替えがプロすぎるよな、会長。……ほら湊、大富豪やるぞ! 蒼太、お前も来い!」
「……チッ、めんどくせぇな」
部屋の隅で結衣からのメッセージに返信していた蒼太が、渋々といった様子で輪に加わった。
男子部屋の夜は、修学旅行らしい騒がしさで更けていく。
* * *
そして、夜十時半。消灯時間を告げる鐘が鳴った。
男子生徒たちが次々と布団に潜り込み、部屋が暗闇に包まれる。
(……奏羽、ちゃんと眠れてるかな)
枕元に置いたスマホを、画面を暗くしてそっと開く。
すると、まるでタイミングを見計らっていたかのように、一件のメッセージが届いた。
『湊くん、起きてる……?』
『起きてるよ。どうした? 眠れないか?』
俺がすぐに返信すると、画面の向こうで文字が打たれている気配がした。
『うん……。お布団が、湊くんの匂いじゃないから、寂しくて……。お部屋の女の子たち、みんなもう寝ちゃったの』
メッセージの向こうで、一人布団の中で小さく丸まっている彼女の姿が目に浮かぶ。
俺は通話ボタンを押したい衝動をグッと堪え、文字を打ち込んだ。
『明日までの我慢だ。明日の夜は、約束通り足湯に抜け出そう。……お前を、朝まで足りない分ぜんぶ甘やかしてやるから』
数秒後、返信が届いた。
『うんっ……! 絶対だよ! 湊くんの「トントン」がないと死んじゃうからね!……おやすみなさい、わたしの湊くん』
『おやすみ、奏羽』
スマホを閉じ、胸の上に置く。
離れていても、彼女の想いは確かにこの胸に届いていた。
明日の夜。
教員たちの目を盗んで決行される、二人きりの深夜の抜け駆け。
俺は高鳴る鼓動を毛布の下で抑え込みながら、明日への眠りについた。




