第138話:尾行する番犬と、夕暮れのスーパー
放課後。
生徒会室での引き継ぎ作業を終え、俺と奏羽は並んで下校の途についていた。
春の柔らかな夕暮れ時。校門を出ると、奏羽は当然のように俺の制服の袖口をぎゅっと握りしめてくる。
「……湊くん、今日の夜ご飯は何にする?」
「冷蔵庫に豚肉が余ってるから、生姜焼きにするか。翠も好きだしな」
「わぁ、生姜焼き! わたし、キャベツの千切りお手伝いするね!」
嬉しそうに目を輝かせる奏羽。
だが、俺は少し前から、背後にまとわりつく「不穏な気配」に気づいていた。
(……あいつ、本当に分かりやすいな)
数十メートル後ろの電柱の陰から、ピョコッとショートヘアの頭が覗いている。
白石若葉だ。
彼女は俺たちの後をつけ、俺が奏羽に何か良からぬ企みをしていないか「尾行捜査」をしているつもりらしい。
隠れるのが下手すぎて、電柱から制服のスカートが半分以上はみ出しているのだが、奏羽は俺との会話に夢中で全く気づいていないようだった。
「……奏羽、駅前のスーパー寄るぞ」
「うんっ!」
俺たちはそのまま、いつものスーパーマーケットへと足を踏み入れた。
* * *
スーパーに入ってからも、背後からの鋭い視線はずっと続いていた。
陳列棚の隙間から、若葉が目を限界まで見開いてこちらを覗き見ているのが、俺の視界の端にはっきりと映っている。
そんな尾行に気づく様子もなく、奏羽は俺の腕にぴったりと身体を密着させてきた。
「湊くん、見て見て! このお肉、タイムセールで半額になってるよ!」
「おお、ナイスだ奏羽。じゃあこっちの大きいパックにするか」
「えへへ、褒められちゃった!」
奏羽が嬉しそうに小躍りする。
さらに、野菜コーナーに行くと——。
「湊くん、キャベツは重い方が美味しいんだよね? ……よいしょっ」
「重いのはいいけど、お前、それ二玉持ったらカゴに入らないだろ。一玉で十分だ」
「むー。わたし、いっぱい千切り食べるもん」
奏羽が少しだけ唇を尖らせてすねるので、俺は苦笑いしながら、彼女の頭をポンポンと優しく撫でてやった。
すると奏羽は、一瞬でとろけるような笑顔になり、俺の服の裾をぎゅっと握りしめて擦り寄ってきた。
棚の向こう側で、若葉が「あ、ありえない……っ!」と言わんばかりに口を手で覆い、ショックで壁に激突しているのが見えた。
彼女の憧れる「氷の生徒会長」が、地味な男の腕にしがみつき、頭を撫でられてデレデレになっているのだ。新入生のピュアな心には、刺激が強すぎたのかもしれない。
* * *
買い物を終え、マンションへの帰り道。
両手に買い物袋を提げた俺の横で、奏羽はご機嫌そうに鼻歌を歌いながら、俺の腕に手を絡ませていた。
「湊くん、荷物重くない? わたしも半分持つよ?」
「いいって。キャベツ一玉くらい大したことない」
「もう、湊くんたらすぐかっこつけるんだから……」
奏羽が俺の肩にこてんと頭を預けてきた、その時だった。
「——そこまでですっ!!」
曲がり角から、顔を真っ赤にした若葉が猛ダッシュで飛び出してきた。
肩で息を荒げ、プルプルと震える指先で俺たちを指差している。
「……白石さん。ずっとついてきてたな」
俺がため息をつくと、奏羽は「えっ? 若葉ちゃん!?」と驚いて、パッと俺から身体を離そうとした。
だが、若葉はそれ以上にショックで今にも泣き出しそうな顔で叫んだ。
「か、会長っ! 見てしまいました! 二人で仲良くお肉を選んで、頭を撫でられて嬉しそうにして……挙句の果てに腕を組んで歩くなんて……っ! お二人は、一体どういう関係なんですか!?」
若葉のストレートな追及に、奏羽の顔がみるみるうちにリンゴのように真っ赤に染まっていく。
後輩の前で見せていた「完璧な生徒会長」の仮面が、完全に粉々に砕け散った瞬間だった。
「わ、若葉ちゃん、これは……その……っ!」
奏羽がパニックになって目を泳がせていると——。
ガチャリ、と俺のマンションのエントランスの自動ドアが開き、中からジャージ姿の少女がゴミ袋を持って出てきた。
「あ、お兄ちゃん、奏羽さん、おかえりー。……って、何この修羅場?」
春の受験を見事に突破し、この四月から俺たちと同じ高校の1年生になった、妹の翠だった。
翠の登場によって、状況はさらにカオスを極めようとしていた。




