第137話:新入生の監視網と、机の下の独占欲
三年生になって数日が経った、ある日の昼休み。
三年A組の教室を出て廊下を歩いていると、曲がり角の陰からピョコッと見慣れたショートヘアが飛び出してきた。
「——見つけましたよ、風森先輩!」
仁王立ちで俺の行く手を阻んだのは、新入生にして生徒会書記候補の白石若葉だった。
大きな瞳をギラギラと光らせ、まるで獲物を狙う小型犬のような気迫だ。
「……白石さん。お前、一年生の教室は一階だろ。なんで毎日のように三年生のフロアをうろついてるんだよ」
「決まってるじゃないですか! 会長が風森先輩という『不審人物』にたぶらかされていないか、パトロールに来たんです!」
若葉は胸を張り、フンッと鼻を鳴らした。
彼女の中では、俺は完全に「生徒会長の優しさにつけ込む怪しい男」としてロックオンされているらしい。
「不審人物って……。俺たちはただ、普通にクラスメイトとして過ごしてるだけだぞ」
「怪しいですね! だって今朝も、昇降口で会長が先輩の袖を嬉しそうに握っているのを私は見逃しませんでした!」
(……見てたのかよ)
「あれはただの……その、歩幅を合わせるための癖みたいなもので……」
「言い訳無用です! 会長は学園の至宝なんですから、先輩みたいな地味な人が馴れ馴れしくしていい相手じゃないんです! 私が目を光らせていますからね!」
若葉はビシッと俺を指差すと、満足そうに踵を返して去っていった。
嵐のような後輩の背中を見送りながら、俺は深い深いため息をついた。
* * *
そして、放課後の生徒会室。
俺はいつものように、引き継ぎ作業の書類整理を手伝うために部屋を訪れていた。
「あ、風森先輩! また来てる!」
デスクで資料をまとめていた若葉が、俺の顔を見るなり露骨に警戒モードに入った。
「白石さん、風森くんは私が手伝いを頼んだのよ。……彼は手先も器用だし、書類の処理も早くて助かっているから」
奏羽が、凛とした大人の笑みを浮かべてフォローを入れる。
その姿はどこからどう見ても、後輩を優しく諭す「完璧な生徒会長」そのものだ。
「会長がそう仰るなら……ぐぬぬ……」
若葉は渋々引き下がり、隣の席で作業をしていた一条副会長(零さん)に「一条先輩、このデータ入力終わりました!」と報告に向かった。
その瞬間だった。
(……ん?)
デスクの影、若葉や零さんからは死角になっている場所で。
俺の制服のズボンの裾を、ツンツンと引っ張る感触があった。
視線を落とすと、隣に座る奏羽が、涼しい顔で書類にペンを走らせながら、机の下でそっと俺の左手を掴んできたのだ。
指と指を絡め合わせる、恋人繋ぎ。
(……っ! 奏羽、お前……!)
俺が驚いて彼女の横顔を見ると、奏羽は一切表情を崩さず、完璧な生徒会長の顔のまま、机の下で俺の指をぎゅっと強く握りしめてきた。
そして、俺にしか見えない角度で、ほんの少しだけ口角を上げ、小悪魔のように微笑んだのだ。
(若葉が見てる前で、なんてスリルあることするんだ……!)
俺の心臓が早鐘のように鳴り始める。
もし若葉に「机の下で手を繋いでいる」ことがバレたら、今度こそ大騒ぎになるのは目に見えている。
だが、奏羽は手を離すどころか、指先をすりすりと動かして、俺の手のひらをくすぐってきた。
「……会長、ここの予算の数字ですが」
「ええ、確認するわね」
零さんに話しかけられても、奏羽は動じずに右手で書類を受け取り、左手では俺の手をガッチリとホールドし続けている。
この状況を楽しんでいるとしか思えない大胆さに、俺は冷や汗が止まらなかった。
* * *
「——本日の業務はここまでとします。白石さん、お疲れ様でした」
「ありがとうございました! 明日もパトロール頑張ります!」
ようやく引き継ぎ作業が終わり、若葉と零さんが生徒会室を出て行った。
バタン、とドアが閉まり、部屋に完全な静寂が訪れる。
その瞬間。
「……ふぁぁぁぁ……っ!」
奏羽は持っていたペンを放り出し、そのままの勢いで俺の胸に飛び込んできた。
「わっ……! 奏羽!?」
「……疲れたぁ……。若葉ちゃんの前でずっと『いい先輩』やってるの、すっごく緊張したよぉ……」
俺の制服の胸元に顔をぐりぐりと押し付け、情けない声を出す奏羽。
さっきまで机の下で大胆に俺の手を弄んでいた小悪魔はどこへやら、完全にいつもの甘えん坊なお姫様に逆戻りだ。
「お前なぁ……さっき机の下で手を繋いできた度胸はどこに行ったんだよ」
俺が苦笑いしながら背中をトントンと撫でると、奏羽は俺の胸の中でモゴモゴと呟いた。
「……だって、若葉ちゃんがずっと湊くんのこと見てるんだもん。……わたし、ちょっとだけヤキモチ妬いちゃったの」
「……は? 後輩の女子だぞ?」
「関係ないもん。……湊くんのこと見つめていいのは、わたしだけだもん」
上目遣いで、少しだけ唇を尖らせる奏羽。
後輩からの敵意すら、彼女にとっては「湊くんを奪われるかもしれない」という小さな嫉妬の対象になっていたらしい。
「……本当にお前は、可愛い奴だな」
俺が彼女の頭を優しく撫でると、奏羽は「えへへ……」と幸せそうに目を細め、俺の首に腕を回してきた。
「……湊くん。誰もいないから……もっと、ぎゅーってして?」
夕暮れの生徒会室。
後輩の監視網をかいくぐった後の二人きりの時間は、いつもより少しだけスリリングで、そしてとびきり甘いものだった。




