第136話:三年生の春と、会長を護る小さな番犬
四月。
満開の桜が風に舞う学園の昇降口で、俺と奏羽は新学期のクラス発表の掲示板を見上げていた。
「……あった! 湊くん、三年A組! わたしたち、同じクラスだよ!」
奏羽がパァッと花が綻ぶような笑顔を浮かべ、俺の制服の袖口を両手でぎゅっと握りしめてきた。
三年生への進級。掲示板の『凪瀬 奏羽』と『風森 湊』の文字が並んでいるのを見て、俺も胸の奥でホッと安堵の息を吐いた。
「よかったな、奏羽。……でも、ここは昇降口だぞ。あんまり引っ付くと新入生が見てるから」
「えー? だって嬉しいんだもん。……それに、新入生にも早いうちに『湊くんはわたしのもの』ってアピールしておかないと」
不満そうに唇を尖らせる奏羽。
二学期の中間・期末テストを経て、凪瀬夫人からも公認をもらった俺たちの関係だが、彼女の独占欲は春を迎えてさらに勢いを増している気がする。
「相変わらず、朝から胸焼けのする甘さですね」
背後から、氷のように冷静な声が降ってきた。
生徒会副会長の一条 零だ。
「おはようございます、零さん。……クラス、離れちゃいましたね」
「私は特進クラスですから当然です。……会長、はしゃぐのはそこまでになさい。三年生は生徒会の引退も控えていますし、後継者の勧誘も始まりますよ」
「はーい、分かってます。……じゃあ湊くん、また放課後ね!」
奏羽は名残惜しそうに俺の袖を離し、零さんと共に新歓の準備へと向かっていった。
歩き出した瞬間、彼女の表情は「甘えん坊な女の子」から、一寸の隙もない「完璧な生徒会長」へと完璧に切り替わっていた。
* * *
放課後。
俺は図書委員の仕事を片付け、いつものように生徒会室へと足を運んだ。
引退を控えた奏羽たちの、次期役員候補の面接を手伝うためだ。
「失礼します」
ドアを開けると、部屋の中には奏羽と零さん、そして見慣れない小柄な女子生徒がいた。
少し大きめの真新しい制服に、ショートヘア。彼女は目をキラキラと輝かせながら、奏羽に熱弁を振るっていた。
「——本当に、入学式での会長のスピーチ、鳥肌が立ちました! 私、会長のような気高くて完璧な女性になりたくて、この学園に入ったんです! ぜひ、生徒会で働かせてください!」
「ありがとう。……貴女のように情熱のある後輩が入ってくれるなら、とても心強いわ。お名前は?」
「はいっ! 一年C組、白石 若葉です!」
元気いっぱいに頭を下げる若葉に、俺も思わず微笑ましくなった。
「お疲れ様。……活気のある新入生が入ってくれそうでよかったな」
俺が声をかけながら入室すると、奏羽がふわりと表情を和らげた。
「あ、湊くん。お疲れ様」
「初めまして、図書委員の風森 湊です。よろしくな、白石さん」
俺が軽く会釈すると、若葉は「よろしくお願いします!」と元気に返事をした。
——だが、次の瞬間。
若葉の大きな瞳が、ジトッと細められ、俺の全身を品定めするようにスキャンし始めた。
「……あの、風森先輩」
「ん? なんだ?」
「風森先輩って、生徒会役員じゃないですよね? なんでそんな『俺の席』みたいな顔して生徒会室に入ってくるんですか?」
純粋ゆえに切れ味の鋭い質問。俺が言葉に詰まっていると、奏羽が当たり前のトーンで答えた。
「湊くんは、わたしの専属サポーターだから。いつもここで、わたしの手伝いをしてくれているのよ」
「専属……サポーター?」
若葉の眉がピクピクと跳ねる。
そして、彼女の視線は俺と奏羽を行き来し、やがて確信に満ちた敵意の目を俺に向けた。
「ちょっと待ってください! 会長みたいに完璧で美しい人の隣に、なんでこの……失礼ですけど、平凡でパッとしない風森先輩が当然のようにいるんですか!?」
「「えっ」」
「もしかして先輩……! 会長の優しさにつけ込んで、良からぬ企みをしているんじゃ……! だめですよ会長、こういう地味で無害そうな男ほど、裏で何を考えているか分かりませんから!」
若葉は両手を広げ、奏羽を俺から隠すようにして立ちはだかった。
憧れの生徒会長を害虫(俺)から守るための、番犬のような警戒態勢だ。
「お、おい、誤解だ。俺は別に怪しい男じゃ……」
「怪しいです! 会長の隣に立つには、あまりにもオーラが足りません! 私が会長をお守りしますから!」
「わ、若葉ちゃん、落ち着いて! 湊くんはそんな人じゃないから……っ!」
奏羽が顔を真っ赤にして弁解するが、若葉の暴走は止まらない。
零さんは「……また厄介なのが湧きましたね」とため息をつき、我関せずと書類に目を落とした。
俺はただただ、元気すぎる後輩の剣幕にタジタジになるしかなかった。
* * *
「——今日はありがとうございました! 明日もパトロールに来ますね、会長!」
一時間後。
嵐のような面接を終え、若葉が元気に去っていった。
零さんも「私は職員室へ寄っていきます」と退室し、生徒会室には夕日と、俺と奏羽の二人だけが残された。
バタン、とドアが閉まった、その瞬間。
「……ふぁぁぁぁぁ……っ」
奏羽の背筋からスッと力が抜け、彼女は机の上にペタンと突っ伏してしまった。
「……奏羽? 大丈夫か?」
俺が恐る恐る近づくと、奏羽は力なく手を伸ばし、俺の制服の裾をぎゅっと握りしめてきた。
「……疲れたぁ……。後輩の前でずっと『完璧な先輩』やってるの、すっごく緊張したよぉ……」
顔を上げた彼女の瞳は、限界までうるんでトロンとしていた。
さっきまでの気高い生徒会長のオーラはどこへやら、完全にいつもの「湊くんに甘えたいお姫様」の顔だ。
「……湊くん、充電して……。ぎゅーってして、いっぱいよしよしして……」
「お前なぁ……さっきまであんなに凛としてたのに」
俺は苦笑いしながら、彼女の細い身体をそっと抱き寄せた。
奏羽は俺の胸に顔をぐりぐりと押し付け、甘ったるい吐息をこぼす。
「だって……湊くんがいないと、わたし、完璧な会長なんて一秒も保てないもん。……それに、若葉ちゃんが湊くんのこと『平凡』とか言うから、本当は『湊くんは世界一かっこいいわたしの彼氏なんだから!』って叫びたかったのに……」
「いいよ、そんなこと言わなくて。……お前のこの可愛い姿を知ってるのは、俺だけで十分だからさ」
俺が彼女のサラサラとした黒髪を優しく撫でると、奏羽は「……えへへ」とだらしなく相好を崩し、俺の首に腕を回してきた。
「……湊くん、大好き。……ずっと、こうしててね」
夕暮れの生徒会室。
騒がしい後輩の登場によって、俺たちの「秘密の甘やかし」は、これまで以上に愛おしく、甘い時間へと変わっていくのだった。




